過去1

僕はそのまま胸に突き立てられ虚しく刺さったままになっている包丁を見下ろし深いため息を吐いた。

「これだから人間は。少し見直しはじめてたのにな。こんな事で僕を失望させないでよ。」

2人の顔は引きつっていた。窓の外から降りはじめた雨の音が染み込んでくる。

「よかったね。死ななくて。殺人は犯罪でしょ?下手したら死刑じゃん。」

2人は引きつった顔のまま動けずにいた。僕はゆっくりと胸の包丁を抜きそのまま床に置いた。

「な、なんでだよ。」

先に口を開いたのは男、つまり父にあたる方だった。

「なんで、なんで死なないんだよ。」

僕は血の滲む傷口を撫でながらなるべく丁寧に答えた。

「なぜって?さっき自分たちが言ったじゃないか。『悪魔め』って。その通りだよ。僕は人間たちが地獄って呼んでいるようなところから来たから。」

もう傷は塞がったが傷があった場所がチリチリと痛んだ。尚も染み込んでくる雨音は先程よりも心なしか強さを増しているように思えた。

「悪魔なんかがどうして、こんなところに。」

「簡単さ、監視と記録ってのもあるけど僕の中では半分以上は趣味だね。」

父は変に口角を持ち上げ乾いた笑いを洩らした。母の方はというと先程から放心状態のままだった。

「はっ、ははっ、随分と悪趣味なやつだな。悪魔だから当たり前か。」

「そうなのかもしれないね。何もすることがなくて暇だから仕方なくって感じでもあるかな。」

もう傷は完全に消えてしまった。しかし足元の血溜まりと洋服の染みが先程のことが現実であったことを示していた。

「僕、邪魔なんだよね。じゃあ出て行くことにするよ。今まで家に置いてくれてありがとう。それなりに楽しかったよ。さようなら。」

僕は2人の前で姿を大学生に変え、もう一度「さようなら」と言ってベランダから飛び降りた。

15階建マンションの10階にあるベランダ、少し前まで僕がいたところを落ちながら見上げる。2人は出てくる気配すらなかった。

地面に着くタイミングを少し見誤り足が粉々になるかと思ったが間一髪、骨折程度で済んだ。

怪我をした時などは自分が不死身でよかったと心の底から思うのだ。痛みというものはほとんど感じない。ピリッと弱い電流が走ったようなものがあるだけだ。

生身の人間があの高さから落ちたらまず生きては帰れないだろうし形すら残らないのではないかと思う。

僕はもう一度部屋の方を見上げたが、すぐに視線を戻し歩き始めた。

そしてもう二度と振り向くことはなかった。

こんな日は土砂降りくらいがちょうどいい。この世界から何もかもを洗い流していってしまえばいいのに。

そんなことを考えた自分に少し驚きながらも黙々と土砂降りの雨の中を歩き続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る