41. 「かわいそう」を本人に言って良いものか
作者の通所している施設には、それぞれ何かしらの障がいを抱えるひとが通所している。
精神の人もいれば、発達の人もいる。
気持ちが不安定になりやすいひと、コミュニケーションが得意でないひと。
車椅子のひと、はっきり言葉を紡ぐのが苦手なひと。
彼らも、自分に出来る範囲のことを。そして時に、周りからの助けを借りることもありながら日々を生きている。
それらのなかには、身体に麻痺があるひともいる。
今回はその「彼」にまつわった話。
とある日。
ある女性から、彼は質問を受けていた。体のことについてだ。
最初は、「どうして麻痺があるのか」に近いことを聞かれていた。
女性は、話すことは大好きなのだが、多少話し過ぎる傾向がある。そして時に、周りからすれば「失礼」に値することを言うひとでもある。
その日も、それは起こった。
「体が不自由なの、かわいそうですね」
手が一瞬止まった。この流れはあまり良くない気がする。
なので、向かいに座っていた私は、
「でも、○○さんとっても器用なんですよね」
と、密かな応戦をしてみれば。
「うん……。器用になるしかなかったんだよね」
「…………」
そう言われると、なんと言葉をかけるべきか。
当人の前でゴタゴタ言うのは控えたが。
本当に器用なひとなのだ。彼は、様々なことを片手でこなす事ができる。
食事はもちろん。施設での仕事だって、両手のひとでも難ある作業も、慣れさえすれば彼も失敗せず取り組める。
そのために、「どうすればやりやすいか」をスタッフと探って、最終的には自身の力でこなす。
確かに、「器用になるしかなかった」とも言えるが。
ひとは、甘えや驕り、怠けや諦めもする。
彼のような障がいがあるひとのなかには
「動けないんだから仕方ない」
と言う人間もたくさんいる。
それを簡単に「良いか悪いか」での判断はできない。少なくとも、他人にできる判断ではないと思う。ましてや「かわいそう」と、思うのは勝手だが、それを本人に言うのはどうだろう、と。
だから、彼が「器用」であることを「当たり前」のように。「かわいそう」だと第三者が言うことは。それはきっと違うと、私は思う。
作者の周りには、当たり前でない日常が溢れているのだ。
けれど、その人たちをただただ憐れみの眼で見るのは、相手に対して逆に失礼になると。
発達障害者を兄に持ち、精神障害者である身としては、日常でふいにそう感じている。
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