35. 自分の名前を愛すること
古来より、「もの」には名があった。
人類の祖先の、一番初めは、言葉というほどのものをあまり使ってはいなかったという。
それが、進化の過程で言葉を覚え、それぞれの国ができ、そこでまた、別々の国の言語を広めていった。
今では、地球という惑星のなかで、数えきれないほどの、人類が築いた「もの」がある。
さて。
言葉や文字には念が宿る、とはよく聞く話だ。 嘘か誠か、それを明確に実証するような技術はないが。
名前をつけられた側は、
「こんな名前は嫌だ!」
と、自分の名を、嫌悪するひともいる。理由も様々だ。
ひらがななのが嫌だ。
逆に、正しく呼ばれることが少ないような、難しい漢字が嫌だ。
例として
「お兄ちゃんにでも、書ける名前が良かったから」
という理由でひらがなにする親もいる。
しかし。名付ける側にも、大抵は考えることがある。……と、信じたい。
親である自分が、難しい読み方の名前での苦悩があり、子どもには、同じ思いはさせたくない。
色んな候補の中から、ピンときたのが、なかなか読み方の難しいものだった。
あるいは、言葉の「響き」で決めるひともいるだろう。
私自身は、それなりに自分の名前を気に入っているし、愛着もある。
名付けた父からは、
「女の子なら、絶対この名前にしたかった」
と、いつ聞いても変わらない回答がくる。
試しに、
「兄たちでも書けるように、って気持ちはあった?」
そう聞くと
「そんなふうには考えなかった。ただお父さんが、ひらがなが好きだったからだよ」
その言葉を、私は信じておこうと思う。
自分の名前というのは、もちろん自分では決めることは出来ない。
今でこそ、大人になり様々な事情で名を変えるひともいる。
ただ、私はこう思う。
「名前を愛せないのは、悲しいことだ」
憎しみの感情(特にきょうだいは)を、ずっと抱えて生きるのはなかなかにエネルギーを使う。疲れるのだ。
だからもう、由来も理由も、気にしないで。
名前を、自分のことを、ただひたすらに考えてみる。案外、考え方によれば楽なものある。
「自分を愛して、大切にする」
その手段のひとつが、名前を好きになることでもあると、私は考えた。
だから。どうしても愛せなければ、改名も一つの手とも言える。
あだ名をつくることも、気軽に出来ることのうちに入る。
「自分を愛する」ことは、人により難易度が全く違う。
――それでも。自分を好きになることを、諦めてほしくない。
少しずつ、なにかが、誰かが。良い変化を起こせることを、 部外者としては切に願うしか、できることはない。
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