34. 私がいじめられていた話
それは、中学1年生の、二学期頃からのこと。
一番に気づいたことは、その子の「目つき」からだった。
私の元々の性質は、争いを嫌い……というよりも、面倒くさがりな面を持つ。なので、何事もできるだけ穏便に行きたい。目立ちたくないのもある。
「彼女」は、一学期はまだ「クラスメイト」のうちにとどまっていて、一緒に遊んだことも無くはない。まあ、とても仲が良い、という程ではないが。
でも、それだけのはずだったのだ。少なくともこちらからすれば。
最初はやっぱり、「言葉」からだった気がする。
「キモイ」、「ウザい」、「臭い」に「死ね」ときた。それ自体は、小学生の頃からの「慣れ」もあり、まだ大丈夫のうちだった。
その少し後に、二学期の「○○係」を決めたとき。
私は、どの教科だったかの、「宿題やテストに関すること等のお知らせ」を教師に聞き、帰りの会で、報告する係にしたつもりだった。
それが、担任の教師のミスというのか。ちゃんとその「係」になっていなかった。
そこで、「彼女」に聞くことになってしまったのだ。
「同じ係に入らせてください」
と。
その時、担任は彼女をどう思っていたかは分からないけれど。
そこで提案を断って、自分でほかの係に聞くという勇気がなかった。ただ、それだけだ。
その「お願い」に対して彼女は。
「うん、いいよ!」
怖いほどの笑みを浮かべていた。
それからだ。
一学期で、なんとか仲良くなった数少ない同じクラスの女子は、彼女に盗られた。
そして、背の順に並ぶと、彼女は私の後ろにつくことになる。
だから、クラスで並ぶたびに、かかとを思いっきり蹴られたり、踏まれたりした。
そんなある日、ふと聞こえたのだ。
「あんただって、あいつのことウザいって言ってたじゃん!」
それは、彼女が私から奪った友達との会話だった
それを聞き、自分の心の「なにか」の線が切れた気がする。
……ああ、そうだったの。けっきょくみんな、嫌々仲良くしてくれていただけで、本当は関わりたくもないんだ……。
なら、もう期待するのはやめたほうがいいな。
こんなに、苦い思いをするなら。最初から距離を置いていれば。
そうしていれば、こんなに傷つくこともないのかもしれない。
もう、その後は。
あらゆる人と、不自然じゃないくらいに心の距離を置いて。顔はほぼ真顔。だから、「笑わないひと」と思われて、何を言っても反応無しな人間になった。反応をしなさすぎて、鈍感なんだとも、思われた。
「素」をだせるのは、我が家だけ。
授業が体育で、校庭だった日のあと。
自分の上履きが、下駄箱になかった。そして、なぜか彼女の上履きはある。
ピンときた。彼女の仕業だ、と。
さて、どうしたものかと。考えていた。
そこに。
「あれ? どうしたの?」
別のクラスの、名前は知らないが、挨拶はしたことのある女子が数人。声をかけてくれた。
「上履きがない」というと、彼女たちは一緒に探してくれて。
最終的に、職員室に付いてきてくれるだけでなく。担任を呼ぶのに、教室までついてきてくれた。
それらは、学校での優しさに飢えていたその頃には、涙が出そうなほど嬉しかった。……たぶん顔には出ていない、と思う。
その次の日の朝。
また、上履きがない。
担任と、ほかの教師にも一緒に探してもらうと。
「あれ? あったよ。あぁ、間違えられて同じ名字のひとのところに入ってたんだね」
――違う、そうじゃない!
そう、言えたらどんなに良かったことか。
言えなかったのは。
担任と二人になったら、言われたのだ。
「――「彼女」でしょ?」
担任いわく、ハーフの子だから、と。その一言で、全て終わった。終わらされた。
そのまたべつの日には、って、上履きにいくつもの画びょうが入れられていたので、「落とし物」として、職員室に届けたことも、あったような。
数学のテストの、とてつもなく低い点数を見られて。廊下で大声で叫ばれたことも、もうどうでもよかった。好きに叫べばいい。プライドもなにもない。
クラスの外には、小学生からの付き合いの友人や、部活動がきっかけで仲良くなった友人はいた。でも、「いじめられている」なんて、自分からは一言も言わなかった。諦めていたのだ。
言ったところで、何が変わるのか、と。
これは、「クラスの内」の事だったから、と。
半年以上、そんな生活をしていれば、心がボロボロにもなるというものだ。
だがしかし、決してそれが表面に出てこないのだから、「笑わない人」と言われるのも仕方ない。
そんな中で、中学1年目が過ぎていき、晴れて彼女のいるクラスから、やっと解放されるのももうすぐ。
その、三学期のいつか。
放課後、「彼女」の目が無いときに、こんなことを言われた。
「私たち、本当は嫌ってなんてないから」
「ごめんね」
それは、
――あんただって、あいつのことウザいって言ってたじゃん!
そう言われ、言い返すことをしなかった子達。
たぶん、言い返せなかった、というほうが近かったのだろう。
その時までは、本気で嫌われていたと思っていた。だからこそ、なんとも言い表せない感情が湧いたものだ。
そんなことがありつつ、三学期も終わって、学年が上がる。
その最後に、私の母が、担任にこんなように言われたらしい。
――お宅の子が、最後のターゲットだったんですよ。
ただ、学年が上がっても、彼女からの嫌がらせは無くなるわけではなかった。
2年生の廊下でも、通り過ぎるたぴなにかを言ってくる。ああ、これは終わらないな、と思った。
ボロボロになった心は、最終的にビリビリに破けた。
あとは、不登校になり、ある時に心療内科へと連れられて。高校はそれまでの人がいない高校へと、進学した。
私の「今」があるのは、家族――特に母の存在と、高校で出会った人たち、そしてその「縁」のおかげだ。そう思う。きっと、ほんとはいくら感謝と謝罪をしても、足りないくらいのもの。
これが、自覚のあるいじめの、最凶の思い出。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます