30. 椅子を投げたひと、逃げなかったひと

 その子どもは、小学校に入ってすぐから卒業に至るまで、学年の「問題児」扱いをされていた。

 

 それで、日頃何をしていたかといえば。

 物を壊す、投げる、そして、ベランダへと出る。

 ベランダで何をするかというと。


「ここから飛び降りてやるぞ!?」


 それが、よく言うセリフだった。

 これだけだと、本当に一人の「問題児」という認識になるけれど。

 見るひとが見れば、それだけでなさそうなのが、分かるのではないか、と思う。

 


 ここからは、「みるひと」からの目線でいこう。

 少年――太郎は、単純に沸点が低い。つまりは怒りっぽい所がある。

 加えて、勉強は得意でない。だから、宿題を授業の時に、生徒たちで答え合わせしようものなら、

「おい、太郎! お前宿題穴だらけじゃねーか!」

と、宿題をやってないのか、あるいは分からなかったのか。よくブーイングが飛んでいた。


 運動も、得意でない。そして逆上がりなんて、とても回らない。

 なぜ、逆上がりをマスターする必要があったのやら。義務教育とは、よく分からないものだ。

 

「飛び降りてやるぞ!」

と言うと、数人の男子たちは

「出来るものなら、やってみろよ〜」

というものだから。

 学年が上がり、教室が5階、6階へと上がるにつれ、そのやり取りにヒヤヒヤ度も上がるというもの。

 そして、その「お馴染みのやり取り」に、周りも多少思考が麻痺していた気もする。


 なんとなく、兄たちの通う特別支援学校の生徒を見ていた自分としては、「何か持ち」だろうなと、感ずいてはいた。

 しかし、特別に気にかけるという程もなければ、周りとともに「問題児」としての扱いでもなく。

 ただの、「目立ちやすい同級生」というくらいの認識だった。

 

 ただ、「周りが煽るのが一番悪い」という感情はあった。

 彼は短期で、意地っ張りなところがある。だから強気に出た手前、ちょっと引っ込みがつかないのだ。

 自分の行動を後で後悔するし、特に誰かに意地悪をしているつもりでもない。


 そして、その事件は起きた。

「いつものように」彼は怒りだした。 ――おそらくはパニックになっただろう、その子どもは、椅子を持ち上げた。

 当たり前だが、周りは「またか」と、すぐさま悲鳴とともに教室の端へと逃げる。

 そのままの勢いで、彼は椅子を投げた。

 そこに、何故か自分はいたのだ。まあ、行動が周りよりワンテンポ遅かったのだろう。あとは、危機感のなさも多少はあるか。

 そして。


 ――椅子はものの見事に、自分の眉間にぶつかってきたのだ。


 そこから、記憶は保健室までほぼ飛んだ。

 ぎりぎり覚えてる限りで。ポカンとした本人とは対照的に、教室内は悲鳴と怒声じみた声で溢れた。

 幸い、椅子の足の、クッションの部分でもあったのと、鼻筋のちょっと上、本当に眉間のあたりにぶつかっていたらしい。

 とはいえ、傷にはなっていて。 

ちょっとした大事では、あったらしい。あとちょっと横にズレていたら、失明していたかもしれない、ということだった。

 本人は、未だにそんな自覚を持ってはいないけれど。



 家に帰宅して、母になにも言われなかったから、

(ああ、そんなに目立つ傷じゃないんだな)

と、謎の一安心も束の間。

 担任から、電話がきた。

 対応した母いわく、泣きながらの謝罪だったとか。

 しかし、母はそれを、本人からはまったく聞いていないものだったから、すぐには話について行けなかった。

 事の経由と、謝罪を聞き、母が何を思ったかは、子どもには分からない。

 後に、とても驚いた、とは聞いた。

 

 その後に、少年の両親からも電話がきて、謝罪と、傷の心配をし、治療費は払う、とまで言っていたとか。

 その後、どのくらいかで、その傷も綺麗になくなったから、問題はない。



 電話で謝り倒された後日。

「ほんとうに、すまなかった……!」

 椅子を投げた本人からの謝罪に、こちらは、なんでもないことのように、

「大丈夫だよ、気にしてないから」

 と、返していた気がする。

 それは、わりと本心だった。

 逆に、自分が逃げなかったせいで、また更に周りからの目が「問題児化」してしまったのだろうなという、こちらはこちらで少々、申し訳ない気持ちがあった。


 もう、今となってはそうめったに会うこともないが。

 彼が、明るい未来を掴んでいれば良い。ただ、そう思う。



 子どもというのは、無邪気で、でもだからこそ時に残酷だ。

 大人達は、それをわかった上で。

「そうなることには、きっと、なにか理由がある」

と、教える必要があると思う。

 もしかしたら、とてもくだらない理由かもしれない。理不尽な言い訳になるのかもしれない。「理由」とは言えないような、残酷なこともあるかもしれない。

 ――それでも。

 ひとは、最初から何もかも、考えることを簡単に放棄してはいけないことが、世の中にはある。

 

「そのひとの気持ちになって、考えてみる」


 それを、子どものうちに、もっと真剣に考えられるようになっていれば。

 ――この世界も、今よりもっと、優しくなれるような気がする。

 そんなふうに、なると良い。

 とても、そう思う。

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