25. 「知らない」で済まされては困ること

 つくづく、人間というのは視野が狭い生きものだと思う。私もそうだ。

 自分にとって未知の領域に対して、単純に疑問に思う者もいれば、怖気付く者、無関心を貫く者もいる。いや、大抵は興味なんて持たないのか。

 「解らない」からと、「見たことがない」と、反発する者もいるのだろう。


 身体も心も、たったひとつだけなのだ。

 そんなに簡単に、この世の中にある「全て」をその身で感じることは難しいとも思う。

 テレビや新聞、雑誌等の中の項目で。

 「政治、経済、国際、学問、福祉、心理、生命、芸能、音楽」とかの項目があったとして。

 音楽家が、例えば「ウミガメがどうして、誰のせいで絶滅危惧種に指定されているのか」を、魂込めて熱ーく語る番組だとか。少なくとも私は見たことはない。

 ――そう。

 人というのは、得意不得意があるのと同じ様に。

 熱の入るものと、それほどでないもの、いっそまったく、興味のないもの。

 そういうものがあるのは、当然っちゃ当然なのだろう。

 

 でも。その物事の「当事者」にとっては、「知らないで済まされては困る事」もある。

 例えば。怪我をした人への正しい応急処置が、どれほどありがたいのか。

 「自分は他人だから」と、救急車すら呼ばずに素通りされるのが、どれほど恨めしく感じられるのか。




 100歩譲って、誰よりも積極的になれ。とまでは言わない。

 でも、誰一人とも声をかけなかったから。誰も何も行動を起こさなかったから。

 それで怪我人の容体が急変して、呼吸が止まって。最悪の場合に、死に至る。

 それは、一体誰が、何がいけなかったのか。


 時には、勇気をだしてほしい。自分ひとりが怖ければ、知らない人相手でも巻き込めばいい。それか、いっそ交通機関を頼るのもいいだろう。


 「日本人は、優しい」

 それは、あくまでも「比べると」だと思う。

 世の中、日本人だって優しいひとばかりじゃない。

 いざ、その窮地に自分がなると、「なんて、人は冷たいんだ」と思うかもしれない。

 もちろん、「ああ、こんなにも優しいひとがいるものなのか」という体験もあるかもしれない。


 「ひとから感謝されたいから」

 「自分に救える何かがあるなら」


 偽善だと、言われるかもしれない。

 でも、私はそれが「悪いこと」だとは思わない。

 「夢」というのは、時に誰かを見て、その人のようになりたい、という気持ちから出てくることも多いはずだ。

 世の中にある「表と裏」の、どちらにも好かれたい、なんて。とても難しいことなんだと思う。


 大切なのは、自分の想いだ。それに問いかけて、行動を起こすこと。

 誰に何を言われようと、それは出来るだけ、無くさないようにしたい。

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