20. いじめを見て見ぬふりするあなたへ

 私には、後悔したことがいくつもある。

 その中の1つは。


「いじめ」


 学生時代といえば、ありとあらゆるいじめのカタチがある。

 私は「いじめられっ子」側だ、一応。


 こんな話をしよう。

 小学校の頃に、

「あいつはなんかキモイ」「菌がうつる」

 まあ、よくありそうなセリフだけども。

そんな言葉を。大多数の、クラスの女子からコソコソと陰口をたたかれていた男子がいた。

 私の、その頃いた「グループ」の女子たちも、その口だった。

 私自身は、まだまだ弱っちかったから、その陰口に参加も反論もしていなかったけど。

 「無干渉」をできるだけ貫いていた。「当たり障りなく」というやつだ。

 今思えば、どっちつかずにいることで、「自分は関係ない」と思いたかったんだろう。

 

 そして、ついに。

その陰口が、担任の教師の耳に届いた。

「悪口を言ったひとは立て!」

 多数の女子が立ち上がった。私のいたグループの子も、ほぼほぼ立った。

(立たなかった子もいたけれど)

 

「連帯責任」

というと、小学生にしては大人びていたかもしれない。

そんな、「直接ではないが、見て見ぬふりをしてきた」身として、私も立ち上がった。

そして、周りと同じように


「菌と言ってごめんなさい」


と、言ってもいないことを謝った。

 けれど、今ならこう言いたい。


「見て見ぬふりをして関わろうともせず、庇ってあげられなくて、ごめんなさい」



 もしかしたら、相手の男子は不思議に思ったかもしれない。言われていないひとから謝られて。

 不思議に思ったのは、グループの女子もだったらしい。

 なかには、こんな声も聴いた。

「ずっと言ってた〇〇ちゃんは立たなくて、なんで言ってなかったあゆむちゃんが立ってたのかな」


 そう。そういうのは「見ている人は見ている」ものだ。私も、自分をいじめてくる人と、そうしない人は、ちゃんと見ていた。


 だから、「どうして?」って、「なんで誰も助けてくれないんだろう」って、思っていたから。

 それが、だんだん麻痺していって、「いじめるものと、いじめないもの」になっていた。

 実際には、「見て見ぬふりするもの」なんだと思う。

 


 令和二年、5月。

 今現在は、「コロナウイルス」という流行り病が、世界中で人々を苦しめている。

 学校も閉じている。

 コロナがもっと落ち着いたら学校もあるのだろうけど。

 どうにも、「コロナ差別」というものもある。

 大人がそうするように、子ども達の間でも「コロナいじめ」がある。

「親の背を見て子は育つ」

とは、よく言ったものだ。

 そういう、世の中の様々なことが、はやく穏やかになってほしいと、切に、本当に切に願う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る