15. きょうだい児はほんとは不器用で
世の中の、「障がい児」の兄弟姉妹のことを「きょうだい児」と呼ぶ。
私の兄達は障がい者だ。私が産まれた時にはもう、そうだった。
いつの間にか。
兄にできないことを、私がどんどんできるようになっていくなかで。
よく、親戚やご近所からこんな言葉を聞いてきた。
「女の子はいいわよね〜」
「しっかりした子ねえ」
そのぐらいなら、まだまだ嬉しいものだ。
でも。
だんだん、物心もつき様々なことを「なんとなく分かる」頃には。
「お兄ちゃんのぶんまで、頑張ってね!」
「お母さんのこと、いっぱい助けてあげてね?」
そして、うちの日常には。
気がつくと、私は次男のことをよくよく見ていた気がする。
ボタンかけ。お金の計算。ひらがな。
(実になったかは……)
たぶん、覚えてないのとか、すごく小さなことも入れると。
「すごく『いっぱい助けて』いなくちゃいけない」
そんな、自分ルールが出来上がってた。
よく「あきらめなくちゃ」と。
そう思うこともあった。
気づくとうちは、次男のペースで回る。
外食をしようとしても。
例えば、私の誕生日の時でも。
「うぅ〜う! あっちがいい!!」
次男が「どうしても」のようにぐずると。みんな、もうあきらめて、それに従うのが、だいぶ小さな頃から定着していた気がする。
だから、もう。
ひとに何かを譲ったり、自分の意見を曲げることも。
だんだん、なにも感じなくなっていった。
そうしていくうちに、自分がどんどん可愛げのない、無表情な子になっているのに気づいても、
「まあ、いいや」
と、「あきらめて」いたのは、何のためだったんだろう。
大人になればなったで、二人は。
私には一度も言ってもらっていないような類の「褒め言葉」を、よく周りから言われていた。
「ハリウッドスターみたいな、ハンサムに育ったね!」
「明るくて、しっかりあいさつもできて。いろんな言葉を知ってるのねえ」
兄たちへの、親戚からの言葉は、当人たちよりも覚えていたりする。
だいたいいつも、何も言われずに私は終わる。
絞り出してみても。
「頑張ってね、お姉ちゃん!」
とか、そんなありきたりな言葉すら、言われたかどうか。
――そんなんじゃない。
私が言って欲しかったのは。見てほしかったのは「しっかり者の妹ちゃん」なんかじゃなくて。
ただ「私」一人として、見てほしかった。
グチグチと、そんなことを言った日があったせいか。
最近では。
「もう、兄ちゃんたちのこと見なくてもいいよ」
言う方は、きっと善意のつもりだろう。
でも、私はそんなことを言われると。まるでこれまでの自分の行動を否定されたような。
ひどく、哀しい気持ちになるんだ。
私はべつに。
兄たちを「悪」と捉えてるんでも、ひとりっ子になりたかっただのでも。
そういう気持ちじゃない。
ただ、ごく普通に。
「ありがとう」、「助かった」とか。
ちゃんと、すぐに。
褒めてほしかったんだと思う。そう思うくらい、私の心は飢えていた。
「ごめんね」とか、「一人でゆっくりしてて」とか。
これまでと違う意味で。
私はまた。今度は家族からも、否定されてしまうの?
ある時まで、人から頼られていたことを、突然
「もうそれは必要ないよ」
と言われること。
それはまるで。
「もう、あなたのことは用無しなんだよ」
「あとは勝手にしていいよ」
そんなふうに、突き放されたようで。
とても、すごく。
心細く、かなしくて、寂しい。
ひとは。
「諦める」ことを覚えると、いろんなことに対して執着しなくなるのかもしれない。
だから。私もとうの昔に、
「親に甘える」ことを諦めるうちに、忘れていって。
「ひとに頼る」ことが、まるでいけないことのように感じることが多い。
いざ、
「どうぞ」とされるのも、身構えてしまって、どんな心持ちをすればいいのかわからない時が、多々ある。
その末に
「大丈夫だから!」
と、善意を跳ねのけてしまう。
私たち「きょうだい児」は。
大人になりすぎて、物分かりがよく見えがちなくせして。
けっこうな不器用。分かりにくく、とてもねじれている。
そんなひとも、ほら、そこに。
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