13. 守られるべきはなにか
――子どものころの、辛い体験というのは、思いのほか心をえぐられるものだ。
そして、ぽっかりと開いてしまった穴は、なかなかに、埋められないものだ。
作者は、いわば典型的な「いじめられっ子」だった。
人望がなかったわけではない。差し伸べようとしてくれた手もなかにはあったし、高校では縦にも横にも、友人に恵まれた。
これは、高校よりも前のこと。
「菌がいる」
「あいつの触ったものなんて、汚いから触れない」
「キモい」
「死ね」
それらの言葉を「聞き飽きた」のは、小学校中学年ほどの頃。
小学校では男子多数。中学校では一人の女子。
更に言えば、「自覚のないいじめ」として、小学校から中学にかけて、ある一人の女子から。
時には折れた傘で、追いかけられランドセルを傷つけられたり。
靴を隠されたり、画びょうを入れられたり。それを見ても担任からは
「あの子はハーフだから。しょうがないのよ」と言われて。誰が味方か、そもそも「味方」なんているのかもわからなくなったときもあれば。
帽子を砂場に投げられ、「取ってこーい」と遊ばれるは。雨上がりに、傘を車道に投げられるは。剣のようにして、傘をぶつけられたりもした。
テレビドラマのごっこ遊び(乗ったつもりはない)で、悪役のように、
「けがらわしい!」と言われては平手打ちされる日々もあった。
母が相手の母に聞くと、
「ちょっとふざけてるだけよ。きっと悪気はないわ」なんて言われたとか。
……きっと、今思うと。
「聞き飽きた」と思うのは。そうでもしなければ、その環境に対応できない、と。
壊れていく心を。自分で自分に隠していたんだと思う。
だが、「隠す」ことにも限界が到達したとき、私はついに、「全てに恐怖」し、「全てに遠慮する」ことに対して、疑問すら抱かなくなった。
――ついに、心が粉々に壊れたのだ。
今は。
信頼できる友人に出逢えたり、クリニックでカウンセリングや、薬の処方をしてもらったり。過去のことをちゃんと母と話したりなどで。
壊れたパーツをゆっくり作り上げて、それを繋げているようなところだ。
それでも、「ひとに遠慮する」ことばかりは、まだまだ変えられない。「名残」とでもいうのか。
――いじめ。
それは、どんな場所でも、様々なカタチで起こりうることであって。悲しいことに、きっとそう簡単に無くなってはくれない。
自分で「いじめている」という自覚がなく、けれども相手や見る人からすれば、完全に「いじめ」であるケースも、なかにはある。
体験談として、「無自覚」ほど恐ろしいものはない。
その時、辛いだけなら、まだマシなのかもしれない。
私のように、そのひとの心の奥底に、深く残ることも多くある。
そこまであるのに。
「うちのクラスに虐めはない」と、加害者を庇う教師たち。
「まさかうちの子が、そんなことするわけない」と、子どもを信じすぎて、子どもたちの闇に気づかない親たち。
――大人たちは、本当に大切なことが何なのかを、何処かに置き忘れてしまっているのかもしれない。
一番に傷ついているのは誰なのか、それをちゃんと知って、認めて。その子どもの心を、守らなければならないのに。
だが。着目すべきは、被害者側だけではない。加害者側の子どもが「どうして」そうあるのか。そちらを見逃してしまえば、「いじめ」なんて、何度でも起こる。
一見、「気にくわないから」だと言っても。もしかしたら、その心理には、本人なりの「闇」があることもある。ないときもあるが。
個人的に、深く印象に残ったことは。
生徒の心を守らなければいけないはずの教師が、「諦めなさい」かのごとくに、手を引っ込め、守ってくれなかった。
それまで、「普通」に、仲の良いと思っていたひとに、ある日から近付くことすら、拒まれる。
――信じていたひとに裏切られること。そうして、全てが自分から遠ざかっていくこと。
その果てに、「全てを諦めること」を覚える。それは何よりも、辛くて苦しくて、痛くて悲しいものだ。
そんな思いをする人は、自分ひとりで、もう十分だ。
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