11. 障がい児ときょうだい児の親たちへ

 今回は、思いっきりノンフィクションを交えて。


 ――あそこの不思議な子たちときょうだいの子のお家は、とっても仲良しなのよ。

 お兄ちゃんが、すごく面白い、元気な子でね。

 もう一人のお兄ちゃんは、声をかけるとペコっとおじぎを返してくれるし。

 妹ちゃんは、家族想いの『しっかり者のお姉ちゃん』に育っているわ。



 上記の、特に『しっかり者のお姉ちゃん』あたりは、小さいころから作者がよく言われていた、又は「そう望まれていた」ことだ。

 もっぱら、両親からの言葉ではなくて、近所のおばさま方やたまに来る親戚、兄たちの行っていた学校での、いわゆる「ママ友」に近い方々からの、「我が家の見え方」だ。


 ――しっかり者のお姉ちゃん。

 聞こえはいいが、そのなかにあるのは「本人の特徴」ではなく、「その子の役割」のように思える。

 だから、私は小さいころから「そうしなくてはいけない」と、自分に言い聞かせてきて、今ではもう変えられないくらいには、板についている。



 理由はきっと、最初は単純に。

 ――お姉ちゃんになれば、ひとに褒めてもらえるから。

 だから、「お姉ちゃん」らしく、親に手間をかけさせまいと。幼稚園の年少にして、母から紐を奪い取って自分で髪を結いだ。

(半分は母の結いに納得できずもあるが)

 そうすれば。

「わあ、自分でしちゃうの、すごいね!」

 なんて言って、褒めてもらえるかな、なんて思ったり。

(でも自慢するのは「子どもっぽい」から躊躇う)


 だが、現実はどうだろう。

 最初こそ驚かれるものの、それが「いつものこと」になれば、

「あ、結い終わったー?」

なんて感じになる。

 

 ――そう。ひとは驚くようなことを見ても、続いていけば「慣れる」ものだ。

 ひとというのは、ちょっと自慢気味にしたり、それをみんなに、あるいは誰かに、盛大に褒めてほしいときというのは、誰しも心では思うものだ。




 ……話を変えて。

 親、特に母親からしてみれば。

 自分の子どもが障がいをもっている。それはとても、それこそ当人にしかわからない葛藤があるのだとは、思う。

 その末に「育てよう」と、障がいに向き合えるのは、誰しもが必ずできるものではなかろう。


 ――あなたは自分を誇っていい。

 けれど同時に。忘れないで。


 きょうだい児にも遅かれ早かれ、そういう葛藤のようなものは、自覚のない子だとしてもあって。むしろ、家庭によっては親よりも、きょうだいとして近くにいることもある。

 兄姉だったり、弟妹だったりとして。

 家庭によっては、離れようとするきょうだいもいる。疎ましく思うことも日々のなかであるものだ。

 これは、インターネットで得た情報であり、私自身にも多少当てはまるものだが。

 

 「障がいあるお兄ちゃんのことを、よく面倒見てくれる。そんなにお兄ちゃんが好きなのねえ。うちの子たちは仲がいいわ」

 どんな面倒見のいい子どもでも、ただただ「お兄ちゃんが好きだから」という「だけ」で一緒にいるわけではない。

 「面倒見のいい自分」のことを評価して、単純に「褒めて」ほしいのもあるし、その子どもの元々の性格もあるが。

 そういう時、ちゃんと

「すごいね、偉いね」とか。「いつもありがとう」。

あるいは。


 ――「我慢」させちゃって、ごめんね。


 ここを、どうか見逃さないでほしい。

 「いつもいつも、障がいのある子のペースになって、自分はそれの引き立て役みたいになっている」

 そう感じるきょうだいは、けっこう多いはずだ。

 更に。なんで、と反発すれば、親やら親戚からは非難の言葉を返される。

「どうしてそんなふうに思うの? 

しょうがないでしょう。この子はこうなんだから。

ちょっとぐらい、譲ったっていいじゃないの」

 ……「しょうがない」って、なにが?

 いつもそうやって、きょうだいの相手をするのをおざなりにする。

そのくせ障がい児のほうには、当たり前に笑いかけて、何かすることに、オーバーなリアクションをとる。

 


 きょうだい児たちの多くは。

 障がい児の家族に対して、どこかで、何かしら。

 ――なんであの子ばっかり、みんな寄っていくの。なんであの子は「特別」にされるの。

 ――あの子が憎らしい、もう嫌だ、嫌いだ。

 そして。そんなふうに考えてしまう自分自身が、どうしようもない、誰よりも醜い人間なんだろう、と。


 ――そうじゃない。

 そう思うのは、なにもおかしいことじゃないんだ。

 そうやって、独りで思い悩むことのできるあなたは、本当はとても優しいひと。

 優しすぎるから、本当は平等になりたいって。障がいの子に「譲る」んじゃなくて。

 ――兄弟姉妹として、ちゃんと「対等」でありたいって、思っているんだ。



 これはこれで、当てはまる人ばかりじゃないけれど。

 人前で、ずっと「いい子」な、優等生は、特に。

 早くに大人の心になったつもりだから、ある時反動が起きるものだ。

 きょうだいたちも、どこかでサインを送っている。きょうだいは、生まれながらにどこかで必ず「我慢すること」を強いられる。

 それに、早く気づいてほしい。

 障がいに対して「理解」して「協力」してくれる。それが、「ごく当たり前」なことだとは、思わないでほしい。


 ――まずは、きょうだいのための時間や枠なんかを、取るところから。

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