地獄へようこそ
地獄へ行ってみようと言ったのは、信也が先だった。私たちはいつものように、真夜中のドライブを楽しんでいた。「地獄まであと50 km」という標識を見つけた時は、まさかこの先に、本当に地獄が存在していようとは、これっぽっちも思っていなかった。これはきっと話の種になる。軽い気持ちで、私は信也の意見に賛成した。
「おい、俺たちは一体どうなるんだ」
信也がフロントガラスから目を離すことなく尋ねた。ハンドルを握る手が震えている。
窓の外では、鬼たちが棍棒を振り回し、逃げ惑う人間たちを楽しそうにいたぶっている。
「そうだな。ひとまずは、彼らのようになりたくはないな」
殴るだけでは飽き足りないのか、鬼たちは人間の皮をむき始めた。私は二度と肉料理を食べる気は起きないだろう。そもそも、早くここから抜け出さなくては、肉を食べるチャンスすら一生こないかもしれない。私は脱出を試みるべく、手元の地図にもう一度目を落とした。しかし、すぐに断念することとなった。今どこにいるのか、現在位置が分からないのだ。そうなってしまえば、地図などもはやただの紙くずに過ぎない。だが、ここで諦めるわけにはいかない。
「信也、何か現在地が分かるような、建物でも看板でも何でもいい、地図に載っていそうなものを探してくれ」
私たちは、一つの手がかりも見逃すまいと、血眼になって外の景色を観察した。
「だめだ、龍一。どこを見渡しても、三百六十度、鬼と人間と、似たような光景ばかりが広がっている」
パラパラと地図をめくってみたが、こんなに広大で不気味な土地は、地図のどこにも載っていない。私たちに生き残る道は残されていないのか。
「なあ、俺たちは千葉の大多喜にいたわけだろう。あの標識を見つけてから、一時間と車を走らせてはいないわけだから、そんなに遠くまで来てはいないはずだ。大多喜のページ、もしくはその周辺の地図には何か載っていないのか」
その考えはなかった。今日の信也はなかなか冴えているようだ。私は、期待を込めて地図を開く。パラパラと地図をめくるうちに、再び絶望の世界に叩き落された。
「なんてことなんだ。大多喜のどこにも、地獄なんて文字は載ってないぞ」
私の言葉に、信也の顔もみるみる青ざめていく。
万事休す。打つ手なしだ。いや、一つだけ残っている。だがこの案は、恐ろしくも法に反するため、一度信也によって却下されている。逡巡の末、私は少し控えめに提案した。
「やっぱり引き返さないか。道はずっと一本道だったわけだし、道なりに沿って行けば帰れるんじゃないのか」
「だめだよ」
考える素振りすら見せず、信也は私の案を否定した。そして、冷たい視線が私の体を射抜く。
「龍一だって見ただろう。最初の標識になんて書かれていたのか。交通ルールは守らないと」
「ああ、済まない。魔がさしただけだ。忘れてくれ」
私たちは、気まずい雰囲気のまま車を走らせ続けた。そして、あたりに広がる光景が段々に姿を変え、黒々とした大きな建物が見え始めた時、本日二度目となる標識を見えた。
『地獄へようこそ。引き返すことはできません』
掌編集 紅葉カナ @momizi632
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