第29話

 私は重い腰を上げて食べ終わった食器をキッチンに運ぼうと立ち上がった。トレイに食器を重ねて乗せ、キッチンへ向かう。その時、ふいに後ろから掛けられた言葉に体が少し跳ねた。


 「なんか疲れてる?」


 トレイのバランスを崩しそうになったが、なんとか持ち堪えた。そして平静を装って答える。


 「ちょっとね・・・。でも大丈夫」


 振り返らず、夫の顔を見ないで答える。


 「今日は早く寝た方がいいんじゃない?」


 私が答える前に夫が髪と肩を撫でてきた。その瞬間、まるで電流が走ったかのように鳥肌が立った。とっさに夫の手から離れるように振り返って笑顔を見せた。


 「あなたの方が疲れてるでしょ?ゆっくり休んで」


 思ってもいないことを笑顔で言える私はなかなかできる妻だと思う。夫はその言葉を疑うことなく受け止めて、ふにゃりとした笑顔でソファーへ向かった。単純で分かりやすい反応に安心する。もうそのまま何も言わずにいてほしい。今夜はこれ以上心を乱されて疲れたくはなかった。


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