編集済
第1話 「色即是空 空即是色」すべてはここから始まったへの応援コメント
大変参考になりました。
以前から仏教に傾倒している凡夫です。
最近読んだ本、スマナサーラ氏の「現代人のための瞑想法」の最後の方に、瞑想していると成功率はほぼないが、すべてに実体はなく波動である、無を体験する瞬間がある、ということが書いてあり驚きました。
もっと知りたくなり「仏教 量子力学」で検索していたら御著作にヒットしました。
以前から量子力学が仏教に近づいている、という見解があるのを知っていたからです。
スマナサーラ氏はまた、物体は「エネルギーの流れ」として見えるということを述べられており、その時はわけがわらかなかったのですが、御著作を読んでなんとなく思索が進められる気がしました。
これからも応援しています。
よろしくお願いします。
追記。
お返事までいただきありがとうございます。
浅学な自分がちら聞きしたことがありますが、ブッダのように真理を見極めた方は、ブッダ以前にもいたようですね。
みんなが道徳を守る時代は、ブッダのような説法も必要なかったんだとか聞いたことがあります。
それが故に、ブッダ以降は人類の不道徳が顕著なのではないでしょうか。
UFOですが、思わず大槻教授にペテン師扱いされてしまいそうですが、エネルギー保存則で言うなら、どのようにエネルギーが移動したり、感受するかもわからず、少なくとも全否定はその人間の浅ましさを示していると思います。
カミングアウトになってしまいますが、自分がなぜ俗世間のように有るものだけを信じて生きることをよしとしないかを、よくよく考えたら、たぶん小4頃に脳裏で見た2次元的宇宙やら、霊体験やらが関係していると思いました。
宇宙はたぶん純粋なエネルギーの状態を見たのではないかと思います。それがよくわからず恐怖心しかありませんでした。霊体験は、残留思念を受け取ったのか?そのあたりはよくわかりませんが…。
今や私は54才のジジイですが、やっと少年期の謎が解けそうで充実感を感じています。それと同時に人生の謎も。
作者からの返信
ご感想ありがとうございます。
ご指摘の通り、仏教と量子力学の関係性についての研究は多くあります。特に「無」についての仏教の考え方は宇宙物理学に通じるところが多々あります。
極論を申しますと、仏教はその大昔に古代宇宙人が宇宙の真理につき地球人に残した啓示ではないかと思っています。あまりに難解で当時の地球人には「宗教」として伝承するしかなかったのではないかということです。
それが今日、科学の進歩によって少しずつ謎が解き明かされ始めた。宇宙物理学を志す人にとって、仏教から得られるヒントがあれば、それをもとにしてより真理に近づけるのではと思っています。
そして、もし仏教の教えが単なる宗教ではなく、純粋に「最先端の科学」であるという理解が広まれば、まったく違った世界観が生まれると思います。
最近アメリカの国防省がUFOについて報告し、いま世の中が大騒ぎになっていますが、お釈迦様が現代社会に降臨されたら面白いですね。宇宙について何を語ってくださるのでしょうか。
第3話 「輪廻転生」の本当の意味への応援コメント
本当に分かりやすく解説されていて、理解でしました!!
マジでヤバいっす!
ありがとうございました🙇♂️
第一話特に勉強になりました。
第10話 なぜ無用の殺生をしてはいけないのかへの応援コメント
「富者は天国の門に入れない」も説明できますか?
編集済
第2話 人生はすべてバーチャルリアリティーへの応援コメント
ツジさん、おはようございます。
僕の家は代々浄土真宗なのですが、あれは中国に起源を持つ「浄土教」という仏教とは全く異なる宗教だと思っています。
お経は全部で5000部もあるそうですが、そのほとんどが、後世に付け加えられた偽経で、その最たるものが、浄土三部経だと思っているんです。
お釈迦様の教えはやはり原始仏教が正伝で、チベットを介した仏教は、お釈迦様の本当の教えを伝えていないんじゃないでしょうか。
でないと、つじつまが合いません。
お釈迦様が説法をした人は次々に悟りを拓いていったのにたいして、最近は僧侶の方でも悟りを拓いているのか、疑問を呈する人達ばかりだからです。
まあ、僕もつきあいがあるので、最後は浄土真宗でお葬式されるんでしょうけど。
僕はお釈迦様の教えはもっとシンプルだったのではないかと思っているんです。四諦八正道と、空 (縁起) の教えです。空の教えは最初は何のこっちゃですが、人生経験を経るに従って理解ができるようになりました。
自分の外側もがらがら変わっていくし、自分の内面もがらがら変わる経験を十年ほどまえに経験したからです。
「不可思議世界の私的考察」も読んでみます。
ともあれ、返信有り難うございました。
作者からの返信
村岡様
再々の応援メッセージありがとうございます。
私事ですが、以前仕事の関係でサウジアラビアで2年間ほど暮らした経験があります。世上言われている、女性の自動車運転禁止は確かにその通りでしたが、本当のところはイスラム教が理由でありません。第一、マホメットの時代に自動車なんかありませんよね。
実際は、女性の運転を禁止することで、外国人の運転手の雇用を義務付け、その労働ビザ発給に当たり身元引受人が必要で、その身元引受を有力王族が一手に押さえていて、身元引受料(要するに稼ぎの上前)をはねることで自らの収入を得ていたのです。こうした外国人労働者はサウジだけで500万人はいると言われていました。
かわいそうに、エジプト、インド、フィリピンなどから送られてくる出稼ぎ労働者は身分保障もなくまさに奴隷のごとくこき使われ、もう10年も親の顔を見ていないという人も大勢いました。
最近、ようやく女性の運転解禁が行われ、一部の悪徳王族に対する処罰も実施され、近代化への一歩が踏み出されたようですが、まだまだ古い利権にからむ王族の嫌がらせもあるようです。
このように、宗教は時として、一部の権力者による利殖の道具として使われ、宗教という美名のもとで民が苦しめられることがあります。マホメットが聞くと恐らく嘆き悲しむことでしょう。
日本でもオウム真理教のように宗教が誤った方向に利用され、多くの人が犠牲になるという事件もありました。ご指摘の通り、多くの宗教では、始祖の教えが正しく伝承されず、後々の権力者や凡弟子たちによりゆがんだ解釈がなされ、おかしな慣習ばかりが残ることとなります。
「仏教と物理学の奇妙な関係」には、こうした私の信念もこめられており、仏教の本質は何かを科学的に検証したい、あるいは検証しないまま「お経」を丸暗唱したくない、という願いも込められています。科学的裏付けのないものは一切信じないと言うと、それは「サイエンス教」とう新興宗教ですかと言われそうですが、まあそれに近いかもしれません。
ツジセイゴウ
第1話 「色即是空 空即是色」すべてはここから始まったへの応援コメント
いろいろ勉強になりました。
作者からの返信
村岡様
ご愛読いただきありがとうございます。本文中でも注釈しました通り、かなりこじつけ的な部分もあります。ただ、最近の仏教が「形式仏教」「葬式仏教」になってしまっているのが気がかりで、本当はどういう意味があるのかを科学的に解釈してみたかったというところです。
当家は「真言宗」で、子供のころからよく意味も分からず、般若心経や真言を暗唱させられました。ただ、真言宗の始祖「空海(弘法大師)」は、立派な宗教者である前に、当時超一流の科学者であったことはあまり世の人に知られていません。空海は、唐に留学中、仏教だけでなく、医学、工学、生物学、気象学、地学なども学び、日本に持ち帰りました。当時、はるかな後進国であった日本の人々は、空海がその科学知識により起こすことを「奇跡」として伝承したのでしょう。今日においても、「弘法の……」という伝説が日本の至る所にあります。もし、空海が現代社会に生まれていたら、何をどう語るのか興味深いところです。
私には不幸にして子供がいません。私の血筋は私の代で終わりです。どうしても「死後の世界」が気になってしまいます。あっ失礼しました。それこそ「煩悩」というやつですね。
最近、「不可思議情報の私的考察」を公開しました。もしよろしかったら、そちらもご覧ください。
ツジセイゴウ
編集済
第11話 仏教には終末論がないへの応援コメント
仏教は確かに形而上学ではありませんが、物理学ではありません。
めちゃくちゃなことを言わないでください。
追記
釈迦はあの世の存在を示唆していません。無記です。
「宇宙最後の日」について言うと、お釈迦さまなら、そんなのどうでもいいから、ただ毎日を四諦八正道にしたがって生活しようと言うでしょう。(念のため書いておきますが、輪廻とあの世は別の概念ですよ)
空海は怪しいスポンサー付き錬金術師です。密教や浄土教の話なら、いわゆる大乗仏教と書かれた方が誤解が少ないのではないかと。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
大変失礼ですが、すべて読まずにご批判をいただいているような気がいたします。
「宇宙最後の日」が必ず訪れると分かってしまうと人間は何を考えるでしょう。懸命に生きることも、懸命に子孫を残すこともバカらしくなり絶望しか残りません。
でも仏教が示唆する「あの世」とやらが本当に存在すると科学的に証明されるなら、人間の価値観や人生観は大きく変わってきます。
「宗教」って本来そういうものであるべきはずのものです。
かの弘法大師空海は偉大な宗教者である前に当時最先端の科学者でもありました。彼が為したと言われる数々の奇跡は、彼が中国で学んだ工学、薬学、気象学、地学などの知識によるもので、決して奇跡でも手品でもありません。
このお話は、宗教に科学的裏付けを与えることで、人々に信じる気持ちと未来への希望を持ってもらいたいという意図で書かれています。
「こじつけ」と思われるなら仕方ありません、ご批判はそのままお受けいたします。