二人の気持ちが交わるとき
くちもち
見つけた
「ずっと前から倉宮くんのこと……好き、でした。良かったら、その……付き合ってください!」
倉宮は微笑みを浮かべながら、一生懸命に紡がれる言葉を聞いていた。そして、眉を少し下げ、申し訳なさそうな、困ったような、けれど嬉しいという気持ちがほのかににじみ出ているような、そんな表情で、空気を震わせた――。
パタパタと走っていく女生徒の後ろ姿をぼんやり眺めるその人は、優しく甘い顔のつくりをしている男子生徒だ。無表情なのにほんのり微笑んでいるように見える、穏やかで爽やかなイケメン。そう呼ばれている生徒。名は倉宮 薫という。薫は彼女が完全に見えなくなったのと同じくらいにこうなったきっかけを思い出す。
今朝、自分の靴箱を開いてみたら可愛らしい手紙が丁寧に上靴の上に置いてあった。たまに何回か同じようなことがあったから薫はこれといって驚きも喜びもしなかった。その場でさっと目を通し、流れるようにカバンの中に押し入れる。そして何事もなかったかのように教室に向かう。その後はただ淡々と、無表情に無感動に一日を過ごしていくのだ。帰りのHRが終わり、人が少なくなるのを待って、頃合いの時間になったので手紙に書いてあった裏庭に赴き、彼女と対面した。そして予想通りの事を言われた。
「…………ずっとっていつだよ。」
彼は学校中に響き渡る部活動生の活気ある声や音にかき消される呟きを思わず漏らした。呼び出した彼女はとっくに去っている。用事は終わったのだから自分も帰ればいい。だというのに、どうしても〝あの″言葉が引っ掛かった。
――同じクラスになった時に〝爽やかな″人だなって思ったの。それにすごく
〝安心する″微笑みが印象的だった。単純かもしれないけど、その表情を見た瞬
間に、「いいな」って思ったの……。
告白をしてきた彼女を、俺は知っていた。何度か話したこともあるし、一年か二年の時に同じクラスだったから。普段の彼女はいつも楽しそうに愉快そうに友達と笑いあっていた。顔はかわいらしい部類に入るし、ちょくちょく周りの男子が話題にしているのを聞いたこともある。でも、自分とは違う世界に住んでいるように思えた。だから「クラスメイト」以外の感情を持ったことも向けたこともなかった。そんな彼女がまさか自分に好意を持っていたなんて驚き以外の何ものでもない。
薫がそう思うのは当然だった。いつも愉快そうに、この空間が、世界が、心底心地よいといったような彼女と、大切な人を失って、周りに気付かれないように誤魔化し、欺いてきた自分とは光と影、太陽と月、それくらいの違いがあると感じていたのだから。そして薫は自分から明るい、陽だまりの優しい場所に心を持っていく気持ちや行動力はなかった。だからこそ、彼女に対して大した感情を抱かなかったのだ。それ以上でもそれ以下でもなかった……、はずだったのだが、告白をきっかけに彼女はそれ以下になってしまった。
シュルリ
きっちりあわせていた第一ボタンを外しネクタイも緩める。普段は制服の下に隠してある十字架を、自分の鎖骨に触れるようにして引っ張だす。
――五年前に両親を亡くしてからというもの俺は未だに暗くて寒い部屋から抜け出せていない……。
片手で握り込めるほどな大きさの十字架を見つめながら思う。どうやってもあの時の感情に雁字搦めにされて身動きが取れない。なんでもいいからこの気持ちを振り切りたい。整理したい。そう思って、縋った。それがこの十字架。今をどうにかフツウに生活できているのは、縋った先の教会でよくしてもらったからだ。だから、この十字架を離すことは絶対にしない。それが俺の唯一の拠り所となるモノだから。……でも、頼ることはできても安らぎはない。温かさも同じく。常に暗く冷たいところで、二度と離しはしない、と。今あるものを必死に手繰り寄せて掴んでいる状態だ。だからこそ、ふと思う。暗くて寂しくて冷たい場所から俺は抜け出せるのだろうか。一生このままなのではないか。
ゾワゾワゾワ
「ッは」
一瞬で薫の体を寒気と恐怖、そして不安が駆け抜けていく。
「ぁ……ッ」
その感覚は未だに忘れられない。五年前の記憶を呼び覚まし、薫の心をむしばんでいくものだ。思わずその場に蹲る。掌の十字架を右手で握りしめ額に当て、左手は自身を抱きしめるかのように右肩を掴む。
はぁ、ハァ、は、ぁ……
両目を閉じ、ぎゅっと力をいれて耐える。ここがどこで誰がいるかなんて関係ない。自分のことでいっぱいいっぱいだ。そんな状態の薫は、微かに芝生を踏みしめる音が近づいてきていることに気付かなかった。
(嫌だ厭だイヤだいやだ! もうあんなこと、あんな思いは……! )
「倉宮君、大丈夫!?」
ガシッと両肩を掴まれ大きな声で名前を呼ばれた。薫は、ハッとして顔をあげる。そこにいたのは、同じクラスの華景 葉月。普段の凛とした表情とかけ離れた、どこか戸惑っているような、不安そうな、心配そうな、少し切羽詰っているような。複数の感情がない交ぜになった表情をして自分を見つめている。
「ねえ、大丈夫? すごい顔色悪いし、……震えてる。」
葉月は表情からは考えられないほどの冷静な声音で薫に問いかけた。
「……こんな時間に、倉宮君が残っていることが意外だったから、何してるんだろうと思って少し見てた。そしたら、いきなり蹲ったから驚いたよ。……気分が悪くなったんだったら、とりあえず保健室行こう。」
もう、落ち着いたのか普段通りの凛とした、少し冷たい印象を与える顔で話し出す。だが少しだけ気まずそうにしていた。少しばつが悪いと思っているはずなのに、彼女は相手を思いやる気持ちが強いのか、落ち着くように、ぽん、ぽん、と優しく肩を叩きながら話かけていく。薫は呆然としていて何を言われているのかわからなかった。けれど、あの飲み込まれるほどの暗くて寒い感情の波から救われたということだけは理解した。
グっと思わず唇をかみしめる。一度瞼を閉じ深呼吸をし、心地の良いリズムで叩かれる手の重みを感じる。何度かそれを繰り返した後ゆっくりと瞼を開く。そうして、やっと切り替えられた。
「……わるい、その、――助かった。」
少し、幼い感じの声音になってしまったが、自分が落ち着きを取り戻した、ということを伝える。罰が悪そうに視線をそらして、だったが……。葉月は薫の表情を少し見つめてから、そう。とだけ呟いて両肩から手を離した。が、次の瞬間、薫の右手首を思いきり握りしめて引き上げた。
!?
急な行動に俺は思わず目を見開きながら右足を出して耐える。彼女は、
「落ち着いたのならとりあえず移動しよう。ここはあんまり長居したくないから。」
とにこりと笑って歩き出した。右手首を結構な力でつかんだまま。
「力強いなって思った? こう見えても剣道してるからね。」
引っ張るようにして進んでいく華景 葉月の後ろ姿を眺めながらついていく。ふいに先ほどまでいた裏庭が気になった。視線を向けるために振り向く。そこには自分が来た時に包まれていた黄色や赤、橙といった温かみのある光がなかった。その代わりだというように薄暗く、濃紺や灰色、紫とった冷たい色に包まれていた。音も何もしなかった……。
◇◆◇
二人が属しているクラスに戻るのはそれ程かからなかった。誰もいないのに明かりは爛々としている教室。そのせいか、日中の活気に満ち溢れた空間と同じ場所ということが薫には結び付け難かった。放課後の教室というのをあの日を境に全く見ていなかったから、余計に……。
のろのろと窓際から二つ離れた列の自分の席に向かう。今まで気にも留めなかったが、華景 葉月は窓際の席で自分よりも一つ斜め前だったようだ。そんなどうでもいいことを考えていると、ふいに問いかけられた。
「保健室、本当にいかなくてよかった?」
葉月はさっきよりはマシにはなった、でもまだ少し青白い薫の顔を横目に尋ねる。HRが終わった後すぐに委員会に呼び出されたため帰り支度がまだなのだ。もくもくとカバンの中に教科書、ノート、ファイルなどを丁寧に入れていく。薫はそんな葉月の動きをじっと見つめながら、口を開いては閉じ、息を深く吸い込んでは吐き出し、を数回繰り返している。そうして、薫がなにかをためらっている間に、葉月は身支度を終わらせてしまった。しかし、葉月は自分の机の上にカバンを寝かしつけて椅子を引き、左手で頬杖をついて座った。ただ、何をすることもなく、真っ直ぐにすぐ横にある窓の外の、闇に飲まれていくグラウンドを、街の景色を、じっと静かに見つめて。その無言の優しさは今の薫に必要なものだった。薫自身も気づいていなかった、薫がほしくてたまらなかった種類の優しさ――。
こくり。
わずかに喉がなった。薫が今から言うことは何も知らない、関係のない、ただのクラスメイト。そんな彼女にはとても重く、苦しいものだ。けれど、それでも俺は、この人に、あの裏庭で飲み込まれ、溺れそうになっていた、真っ暗な底のない湖から救い出してくれた彼女に、伝えたい。とそう強く思ってしまったのだから。薫が音を震わせるのと同じタイミングで、真っ直ぐに窓の外を見ていた瞳が、薫を写す。その瞳は絶対に否定しない。怖がらない。なんだって受け止める。そういう揺らぎない意志が浮かんでいた。
私は、ずっと気になっていた。三年になって同じクラスになった倉宮 薫という男子生徒が。常に穏やかに微笑んでいる爽やかなイケメン。そういうイメージを周りは最初から持っていたみたいだ。けど私はそうではなかった。入学式で一目見た時から、彼には、〝ナ ニ カ ガ ア ル″と直感で感じていた。それと同時に強く魅了されたのも覚えている。それが一目ぼれだということに気付いたのは三年目で同じクラスになったときだったけど。
あの時の私が感じていたモノが三年目にして少しだけ分かった。もともとたった三年で知ることができるとは思っていなかったし、クラスメイト程度の関係で終わると思ってい。だから今、かなり驚いてはいる。
葉月は、目の前であの時に感じた〝ナニカ″の一部をミセラレていた。「穏やかで爽やかなイケメン」と言われている彼の、本当の部分。隠していたモノ。それがこんなにも――。
私は、私が私で良かったと心の底から思った。
そうでなければ三年間自分自身も気づかぬうちに育っていた好意を捨ててしまっていたかもしれないのだから。でも、私は私だから、捨てることは絶対にしない。できない。
なぜか唐突に、今はまだ高校生で、十代で無力な子供の範囲だ。と頭に浮かんできた。けれど、それでも――。
今この時、こうして、少しでも、手を差し伸べて、抱きしめて、彼を、倉宮 薫という孤独な人を、癒してあげられる。自分よりも小さい私に縋りつくようにきつくきつく抱きしめてくる彼を。しっかりと私の腰に回されたその腕に、そっと手を乗せて、強く心に決めた。
――絶対に君を救い出してみせる……と。
【おわり】
花言葉:いつも愉快 ひとめぼれ
参考サイト:誕生日の花
(http://www.hana300.com/aatanjyo.html)
倉宮 薫 とてもとても家族を大切にしていた少年。綺麗な顔立ちで優しい雰囲気をしている。そのため学校では穏やかで爽やかなイケメンと言われている。本人は恋愛ごとに興味はない。が、何人かと付き合った事はある。五年前の出来事をきっかけに彼のなかの何かがゆがみ始めた。とりあえずクラスメイトは覚えとく主義。
花影 葉月 凛とした少し冷たい顔をした少女。本人はそのつもりはないが、パーツが整っており常に冷静なため周りから冷たい人と思われがち。実際は心優しく真面目で構いたがり。面倒見がいいともいう。剣道を幼少期よりたしなんでいるため一部女子から憧れの対象。(百合ではない)
モブ女 一年か二年のときに薫と同じクラスだった。かわいらしい顔立ちと陽気な性格のため男子から人気がある。また鼻にかけていたり媚を売ったりしているわけではないため女子とも良好。同じクラスになった時に薫に恋をした。
二人の気持ちが交わるとき くちもち @ris_orijin
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