白木蓮の少女と男の恋

こがらし吹いた 冬の日に

はらはら舞った 白い雪

硬く蕾んだ花の芽が

緩み咲くのはいつの日か


木蓮咲いた 白い花

咲いてほころぶ 白い花

冬が去り 春が来たこと告げる花


木蓮散った 白い花

散りゆく木蓮 はらはらと

舞う花びらは 雪のよう


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白木蓮の花を見ると、何故か切なくなるの。

冬の終わりを告げて、春が来たことを短い命の中で精一杯に伝えてくるからかしら?

咲き綻ぶ花を見る度に、散りゆく花を見る度に、忘れてしまった何かが私の中でもがいている気がするの。

忘れちゃいけない筈のものを忘れているような、そんな気がするの。

大切な何かを忘れてしまっているような気がするのよ・・・


ベッドから身を起こし、窓の外の白木蓮を見ていた女が小さな声で呟いた。


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遠い遠い昔の話。

山の際に大きな白木蓮の木があった。

何度季節が廻っただろう?

一身に浴び続けた太陽の愛といだき続けた大地の愛に満たされた白木蓮から、新たな命が生まれた。

目覚めた命は白い少女のカタチをしていた。小さな命は白木蓮の枝葉に抱かれ、ゆっくりと大きくなっていった。

少女が生まれて幾度となく季節が廻った。


ある冬の終わり、少女は一人の男を見つけた。山を彷徨い、日々の糧を探す男だった。

来る日も来る日も少女は男を見続けた。


季節が巡り、春になった。

男は山の幸を糧に生きていた。


夏になり、男は川の恵みを糧に生きていた。


秋になり、男は木々の実りを糧に生きていた。


冬になり、男は糧を失った。

雪を食らう男は哀れだった。獣のように木の皮を食らう男が哀れだった。

オオカミの群れが男に近付きそうになればオオカミ達を逆方向へと導いた。男が飢えを感じていたら野ウサギを向かわせた。

少女は、只管ひたすら男を見守り続けた。


ある嵐の晩のこと、とうとう男は少女が生まれた白木蓮の下に辿り着いた。嵐の夜を過ごさんと白木蓮の幹に身を寄せた。

嵐は収まるどころか酷くなる一方で、少女は男の身を案じた。

一際大きな稲光と共にいかづちの落ちる大きな音が、嵐の中響いた。

雷は確かに男へ向かって走って来ていた。

身を守る術を持たない男を焼き尽くさんと向かって来ていた。

少女は男を守らんとその身を投げ出し、小さな背で男を必死に庇った。


「何故・・・」

と、男の声にならぬ問いを聞いた気がした。男に届かぬと知りながらも、少女は命を振り絞って言葉を紡いだ。

「死なせたくなかったの。命の巡りを繰り返す山の中で、貴方だけが山の理(ことわり)から外れていた。貴方の存在だけが私の興味を引いた。貴方の生き様を見てみたかったの。私達とは違うあなたが生きていくのを、ずっと、見ていたかったの。・・・いつの間にか、貴方に心を奪われていたの。私は唯の白木蓮なのに・・・」


一輪だけ咲いた白木蓮の花。

少女が必死の想いで咲かせたそれは、流れる命と共に散っていく。

風が優しく吹き上げて、少女は細い指で男の頬をそっと撫でた。


涙が一滴ひとしずく、男の頬を伝い落ちていった・・・


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男はある貧しい家の三男坊。自由気ままに生きていた。

役に立たない奴に食わせる物など無いと、男は家から追い出され、山の中なら食う物もあるだろうと山の中へと入って行った。


春には山菜を食べた。


夏には魚を食べた。


秋には果物を食べた。


冬に食べる物がなくなった。男は日に日に飢えていった。

雪を食らっても腹には溜まらぬ。木の皮は人間であった男に食えるものではなかった。

オオカミの気配が近付き、そして遠退いていった。

ある日、男は野ウサギを見付けた。男は野ウサギで腹を満たした。

男が飢えを感じる度に、小さな獣が現れた。男は生き延びる為に命を食らった。


ある夜、山は嵐に包まれた。

男は嵐から身を守る為目に付いた中で一番大きな樹の元へと向かった。

男が幹に身を寄せた時、一際大きな雷が男に迫って来ていた。

男は己が命の終わりを悟った。

稲光に目が眩み、痛みを覚悟し男は腕で顔を覆った.

雷が落ちたその瞬間、男は白い少女の姿を見た気がした。小さな体で男を庇う、白い少女の姿を見た気がした。

幾ら待てども覚悟した痛みは襲ってこない。男は腕の隙間から周りを窺った。そして我が目を疑った。

白木蓮の大木が、まるで男を庇うかのように雷に打たれ倒れていたのだ。

「何故・・・」

と、男は声にならぬ問いを吐き出した。


一輪だけ咲いた白木蓮の花が、ゆっくりと散って行く。

風が優しく花弁を吹き上げて、男の頬をそっと撫でた。

その時男はかすかな声を聞いた。

「死なせたくなかったの。命の巡りを繰り返す山の中で、貴方だけが山のことわりから外れていた。貴方の存在だけが私の興味を引いた。貴方の生き様を見てみたかったの。私達とは違うあなたが生きていくのを、ずっと、見ていたかったの。・・・いつの間にか、貴方に心を奪われていたの。私は唯の白木蓮なのに・・・」

小さな小さな少女の声だった。


涙が一滴ひとしずく、男の頬を伝い落ちていった・・・


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嵐の夜から幾年月いくとしつきが過ぎただろうか・・・

命尽きた白木蓮を苗床に、新たな白木蓮の若木が芽生えていた。眠っているようにも見える年老いた男の亡骸が若木に寄り添っていた。


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白木蓮を見ていた女の傍らに、そっと寄り添う男が一人。

女が温もりを欲すれば男はそっとそのかいなに女をいだき、女が涙を流せば男はその指で涙を拭う。


ある日、男は女に言った。

「命尽きるその日まで、命尽きたそのあとも、共に命を歩んでくれないか?」

女は白い頬を淡く色付かせ、硬い蕾が綻ぶようにふわりと微笑んだ。

「はい・・・!」

男には、遠い昔に己を庇って消えた白い少女が重なって見えた。


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ある冬の終わりの日、白木蓮が咲き誇る教会で結婚式が行われた。

純白のウェディングドレスに身を包んだ新婦と、同じく純白のタキシードを身に纏った新郎が、自分達がこの世で一番幸せなのだと笑い合っていた・・・



(完)

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