木蓮短編集

文月 譲葉

白い妖

深い山の緑の中、白木蓮の白い花だけが己の存在を主張していた・・・


 毎年、白木蓮の咲く季節になると俺は一人山に登る。

 白い妖に逢いに、白木蓮の樹を目指す。


「また来たのか。わっぱ。よう飽きんと来よるのぉ」


 そう言って、薄く笑う白い妖が今年もまた俺を出迎える。

 細く儚げな姿とは裏腹に纏う空気は氷のように冷たくて、でも、俺の姿を捉えた瞳の奥に柔らかな色が宿る。


「人間の命など取るに足らぬ。あれらが死んでいようが生きていようが吾には関係ない。邪魔をするようであれば刈り取るがのぅ」


 出逢った頃に言っていた言葉は虚言などでは無く、俺は幾度となくこの白い妖が人間を屠っていくのを見てきた。きっと、俺が路を阻めば俺のことも簡単に殺すのだろうと容易に想像がつく。

 だが、不思議と恐ろしいとは思ったことがない。ただこの白い妖を独りにしたくない、それだけが俺の胸の内を占める。絶対的な力を持つこの白い山の主は、俺が居なくなってしまったら独りになってしまう。人間は嫌いだと言いつつも、俺が訪れるとその瞳の奥には俺の無事を喜ぶ色が時折見え隠れする。素直じゃないこの白い妖が、俺はどうしようもなく好きらしい。


 ある年の暮れ、大きな戦が起こった。俺も徴兵された。白い妖と出逢ってから初めて逢いに行けなくなった。

 2年目に片目を失った。最後の年に片足を失った。

 5年に亘る戦の間、一度も逢いに行けなかった。

 戦が終わったのは停戦協定が結ばれたのだからだと風の噂で聞いた。


 狭くなった視界と片足だけで進む不安定な足取りで、俺はようやく白木蓮の元へと向かった。

 俺を見付けた白い妖の顔が何かを堪えるかのように歪んだ。


「よう来たな、童。暫く来なんだから死んでしもうたかと思うたわ・・・しばらく見ぬうちにしこたま傷をこさえおってからに・・・鈍くさい奴じゃのぅ。」


 言葉では何でもない風に装うくせに、安堵の色を隠し切れていないその瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだった。


「何度も死にそうになったさ。でも、俺が死んだらお前が独りになっちまう。お前の為にも死ぬわけにはいかなかったからな。隻眼になろうが足が一本になろうが命あってこそだろう?こうしてまたお前に逢えたんだから。」


 俺がそう言うと白い妖は今まで堪えていた涙をぽろぽろと零しだした。


「童が来んようになってから、童が心配で堪らんかった。できる事なら直ぐにでも傍へ行って無事を確認したかったんじゃ。でもの、吾は此処から離れられん・・・想うことしかできなんだ。童の無事を願うことしかできなんだ。」


 そう言って、溢れる涙を拭うこともせずただただ泣いていた。俺を想って涙を流す白い妖が、とても愛おしく思えた。


 「俺はお前よりも先に死ぬ。だが、俺の命が続く限り、俺はお前の傍にあると誓おう。」


 俺はそっと呟いて、白い妖を抱き締めた。



 深い深い山の奥。山の主の住む白木蓮の樹の根元には、石を積み上げただけの簡素な墓があると言う。美しい白い妖がその墓を守っているそうな・・・



 (完)

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