八文字

「真由美っ! ヘビは!?」


 蛇原が部室のドアを勢いよく蹴飛ばす。困った顔をした真由美が、机の下を指差している。


「ユーちゃん大きな声出さないで……、ほら、あそこ……」


 真由美の指差す先、部屋の隅に一筋の影がある。細身の体に縞模様、つぶらな瞳が妖しく光る。大きくはないが、あれは確かにヘビだ。小さな舌をチロチロと出して周囲を警戒しているが、まだこちらには気が付いていないようだ。


「でかしたぞ、真由美。今日で三日目か……、逃がさねえぞ」


 写真部の部室に蛇が現れるようになったのは、三日前のこと。時刻は決まって放課後、授業が終わって真っ直ぐ部室に向かうとそこにヘビはいた。しかし、彼らはいつもドアや窓の小さな隙間を縫って部室から逃げてしまい、なかなかその姿をフィルムに収めることができずにいた。


 蛇原がじりじりと近寄っていくと、気配に気づいたヘビが体をくねらせ、その場から逃げようとする。しかし、行けども離れども壁にぶつかり、いつまでたっても身を隠す場所を見つけられずにいた。


「へへ……、逃げらんねえだろ。今日はな、隙間という隙間をガムテープで貼ってやったからな。昨日や一昨日のようにはいかねえぞ」


 一体どこから忍び込んでくるのか見当もつかないが、とにかくヘビをこのフィルムに収めることができればいい。だからそれ以上深く考えないでいた。そんなことはどうでも良かった。このヘビさえ撮ることができれば、俺はコンテストで優勝できる。鏡に勝つことが出来るんだ。


「そうだ……、良い子だ。こっちに来な」


 ヘビは部屋の角に追い詰められ、オロオロと戸惑う。

 迫りくる大きな影に脅えていた。


「そう……そう……、じっとしてな」


 蛇原はカメラのレンズを覗き、蛇の瞳に焦点を絞っていく。

 そして、人差し指を押し込み、シャッターを切った。


「よし」


 撮影した写真をディスプレイで確認し、蛇原は一息つく。カメラの持つ手を降ろしたのを見届けて、真由美がゆっくりと蛇原に近づいていく。


「ユーちゃん、撮れたの……?」

「……」

「ユーちゃん?」


 蛇原は彼女に背を向け、じっと蛇を見下ろしていた。


「どうしたの? もういいんでしょ? 上手く撮れた?」

「……」

「ユーちゃん……?」

「―――――違う」


 吐き捨てるような冷たい言葉。


「違うって……?」

「違うんだよ。こんな写真で、ヘビが撮れたなんて言わないぞ。俺はそこまで甘ちゃんじゃない。見ろよ、真由美。こんなちっこくて臆病なヘビを写真に収めたって、誰も評価してくれねえ。鏡にだって鼻で笑われちまう」

「でも蛇を撮りたいって言ったのはユーちゃんだよ? これ以上どうしたいの?」


 蛇原は振り返って口角を吊り上げた。


「コイツに闘争本能を覚えさせる」

「闘争本能?」

「今からコイツを俺の足で踏んでやるんだよ。そうすりゃ、俺に噛みついて来ようとするだろ? 追い込まれた蛇が人間を噛むか、面白いな。そうだ、タイトルは『窮蛇人を嚙む』なんてどうだ? 面白いだろ?」


 ヘラヘラと笑う蛇原を、心配そうな目で見つめる真由美。

 

「本当にやるつもり?」

「当たり前だろ? 俺は次のコンテストに賭けてんだよ」

「そんなに焦ることないよ。卒業までまだ時間もあるし」

「お遊びでやってるお前には分からないだろうな。写真家には危険が付き物だろ」

「だからって蛇を撮りたいだなんて」


 蛇原の目の色が変わる。


「その一枚に俺の魂を込めるんだ」


 強く拳を握る。真由美の感情もたかぶっていく。


「なんで蛇を撮るの?」

「なんでって、ガズデン旗を掲げてアイツに勝つためだ」

「ガズデン旗って何?」


 真由美の問いかけに辟易とした蛇原は、呆れたように笑って見せる。


「待ってろ。今に見せてやるからな」


 そう言うと彼は再びカメラのレンズを覗き込み、ヘビを画角に入れてゆく。自分を覆う影が大きく濃くなっていくことに気づいたヘビは警戒態勢に入る。しきりに舌なめずりをして、上を見上げ、迫る蛇原に驚いて、慌てて逃走経路を確認する。


 しかし、遅かった。

 すでに蛇原の足が一本筋の体躯の軌跡に入っている。

 徐々に迫る彼の足の腹が、体を捉えている。


「やめなさい!!」


 その声がなければ、踏みつけていた。

 蛇原は足をゆっくりと降ろして、声する方に振り向く。そして舌打ちをした。


「あなた、今、何をしようとしてたの?」


 鬼の委員長、鬼嶋沙耶がまさに鬼の形相で睨みを利かせている。

 彼女の後ろには、いつか倉庫で見た一年の女子と、鏡の姿があった。


「なんだっていいだろ」

「そこにいるの、蛇でしょう。また性懲りもないわね」

「お前らに関係ないだろ。撮影の邪魔だ。出て行け」

「ええ、関係はないわね。どうせあなたが頑張って撮ろうとしてるのだって、かがみんにライバル心燃やしてるからなんでしょ」


 蛇原は口を尖らせる。


「だから、それは好きにしてもらっていいけど」


 僕は言いたいことがありますけどね、と口を挟んだのは鏡。

 しかし、今はそのタイミングでないと黙殺する沙耶の圧力に押され、慌てて引き下がる。


「今、その蛇を踏みつけようとしなかった?」

「……そうだ。蛇は自分の体を踏まれると、反射的にそいつを噛みつく習性を持ってる。その瞬間を、捉えるんだよ」

「バッカじゃないの。そんなことしていい訳ないでしょ。そりゃ私だって蛇なんて踏みつけて、二度と私の前に現れないようにコテンパンにしてやりたいと思うけど……、自分より立場の弱い生き物を傷つけちゃいけないことくらい分かる。自分のやりたいことのために、弱いものをイジメて利用するなんて……、あなたがやってることは下種にも劣る最低な行為よ!」


 沙耶はビシッと人差し指を蛇原に向けて差す。

 取り巻きの鏡が強く頷きながら手を叩く。


「分かってないんだよ。写真家にどれほどの危険が付きまとうか、知らないだろ! お前らごときに分かってたまるかよ!」


 興奮のあまり肩で息をする蛇原。


「危険……?」


 沙耶が首を傾げる。

 白けた空気に興が冷めて、落ち着きを取り戻す蛇原。ふと表情を険しくして、とうとうと語り始める。


「『写真家には危険が付き物』、それが俺の親父の口癖だった。親父は売れない風景写真家だった。世界中を旅しながら、拙いコラムと各地の絶景写真を出版社に売り込んでた。正直、写真家としての仕事は一つも実になってなくて、母親も俺も愛想を尽かしてた。でも、俺が小学生の頃だ、親父が家に帰ってこなくなって一年が経ってることに気づいた。それまでも、海外に行っている間は一年や二年ロクに帰ってこないこともあった。でも、たまに帰ってきては、写真を捲りながら海外での苦労話や武勇伝を聞かせてくれた。国際便で手紙が届くこともしばしばあった。だが、その一年の間に、親父からの連絡は全くなくなっていた。確か、アフリカの南部に渡航したという記憶があった。俺も母親も、毎度のことに、はっきりと場所を覚えていなかったんだ。一年半が経った頃、親族が発起して本格的に捜索を始めた。あらゆる手を使って捜したが、ついに親父は見つからなかった。最後に日本を離れてから、七年が経ち、親父に失踪宣告が下った」


 蛇原は唇を噛み締める。


「その後、遺品整理をしながら、俺は親父が残した絶景写真を見ていた。崖の上から岸壁を見下ろす写真。氷山のクレバスに落ちるクルーを捉えた写真。トウモロコシ畑を地面ごと引きはがすほどの巨大な嵐に飲み込まれる写真……、震えたよ。親父はこんな危険な目に遭ってたんだって。でも、俺が夢中になった写真はそんな危険な現場を捉えた写真ばかりだった。その時、分かったんだ。『写真家に危険は付き物』って言葉は、写真家の元に危険が訪れるって意味じゃない。写真家は写真を撮るために敢えて危険に飛び込むんだ、ってことがその時ようやく分かった」


 喉奥で微かに声を震わせる。


「だ……っ、だからっ……! 俺はこいつを踏みつける! 危険に敢えて飛び込むんだよ!!」


 上げた足を振り下ろす。


 その場にいた全員が声を掛けるより先に、彼を止めようと体が動いた。しかし、間に合わない。彼は、迷いなく、蛇の上から地面を踏みしめた。


 ずん、と思い一撃がのしかかる。


 目を覆う沙耶、咄嗟の出来事に足を滑らせた鏡、それに巻き込まれ地面に突っ伏す千代、執行委員のメンバーは踏みしめる蛇原の足先をただ見つめるしかなかった。




「……どう、なってんだ?」


 蛇原がポツリと呟く。


「おい、どこ行った? ヘビ! どこ行った?」


 落とし物を探すように足元を見回す。

 

「なんでだよ、さっきまで、ここに……」

「何、言ってるの? あなた、今そこにいたヘビを踏んだじゃない……」

「蛇原! はっきりしない物言いはよせ! ヘビが急に消えるなんてありえないだろう!」


 蛇原は足の裏を上げて確認するが、蛇を踏みつけた痕跡は無かった。

 狼狽する蛇原の様子に戸惑う周囲の喧騒を切り裂く、小さな声。


「ユーちゃん、ダメだよ」


 視線が真由美に集まる。

 皆の表情がギョッとして、青ざめる。


「蛇をイジメたら、ダメ」


 真由美の腕に、シマヘビが巻き付いていた。蛇原の足元にいた、つぶらな瞳のシマヘビだ。怯えた様子はなく、彼女に懐いているようだった。


「おい、真由美。そのヘビ、どうした……?」

「どうした?っていまユーちゃんが踏みつけようとしてたんじゃない。だから助けてあげたの」

「いやいや、待て待て……。お前の距離から俺の足元にいたヘビを拾い上げられるわけないだろ? それに、その……、ヘビがお前に懐いてるのも可笑しい」

「ユーちゃん、私ね、ユーちゃんが蛇を撮りたいって言ってくれた時、すごく嬉しかった。私、手伝えることは何でも手伝いたい。そう思ってた」


 真由美は腕を伸ばし、蛇を首筋まで誘導する。蛇は肌を滑って、彼女の頬に顔を擦りつける。


「でも、この子をイジメるのなら、たとえユーちゃんでも許せない……!」


「真由美……?」


 蛇は彼女の髪を分け入ってそのまま姿を消す。

 そして真由美はポケットに手をまさぐり、何かを取り出した。

  

「…………?」


 蛇原が首を傾げたのと同時に、真由美は手鏡の鏡面を彼に向ける。

 そして何かを叫ぼうと大きく息を吸った瞬間だった。

 

「――――――――――っ!」

 

 ぐっと手首を強く掴まれた。真由美は小さく悲鳴を上げる。

 手鏡を離すまいとしばらく抵抗したが、万力のようにじ上げる腕力に根負けし、ついに手のひらから手鏡が落ちる。落下した手鏡は、床の上を跳ね、沙耶の足元に転がる。


「かがみん、ナイス」


 沙耶の言葉を合図に、鏡は真由美の腕を離した。


「瞬時に間合いを詰める……、委員長に教わったことです」


 動揺の眼差しを向ける真由美。

 沙耶は毅然とした態度で、その視線に答える。


「荒っぽい真似してごめんね、真由美ちゃん。何となくこうなることが分かってたから、事前にかがみんに話を通してあったの。いえ、本当にこうなるとは私自身全く考えてなかったのだけど……」


 沙耶がちらーっと千代を横目に見る。

 千代はその視線に気が付き、首を激しく横に振る。


「まあ、とにかく、最悪の事態は免れたわけだから良しとしましょう。もし真由美ちゃんの思う結果になっていたら、私、発狂するわ。仕事だと割り切っても、これ以上するのはイヤだもの」


 真由美は下唇をぎゅっと噛み締め、下を俯く。


「お前ら、何のことを言ってんだ? 真由美が何をしようとしたって言うんだよ」


 蛇原は険しい顔をしている。


「好き勝手やってたあなたの陰で、彼女が献身的に支えてたってことよ」


 沙耶が溜息をついて、蛇原の肩に手を乗せると、彼はその手を振り払い、真由美に詰め寄った。


「お前、何やってたんだ? 俺の知らない所で何かやってたのか? もしかして、この数日、部室に蛇が出てきたのって―――――いや? その前からお前」

「……っ!」


 真由美は迫る蛇原を振り切って部室の外に飛び出した。千代の肩を風が切る。


「千代! 任せた!」


 沙耶の掛け声に千代は頷き、彼女の後を追っていった。

 






 時刻は十分前に遡る。

 沙耶、千代、渦中の人物である―――――鏡の三人が揃った執行委員室に、再びトラブルが舞い込む。


「困ったこと?」

「我が写真部にヘビが出るようになりまして―――――」


 鏡は顔をしかめている。


「ヘビ? また?」

「はい。実際に僕が見た訳ではないのですが、一部の部員がそのように話しておりまして。出来れば委員長のお耳に入れることなく、内々に解決しようと試みたのですが、どうにも実態を把握できず、この間の2Aの件もありましたのでお話しせねばと。報告が遅れて申し訳ありませんでした」


 会社の上司に物を言うような口調に沙耶はまあまあと宥める。


「その部員って誰ですか?」


 千代が真剣な顔をして、鏡に問い掛ける。


「部員、ですか? 鶴来女史はご存じないかと思いますが、蛇原という写真部の副部長をしている者です」

「蛇原、有哉……」

「こいつが全く横柄な奴なんです。周囲の視線というのを気にも留めない。本当に私も手を焼いております」


 鏡は首元の傷をさすって溜息をつく。


「委員長には部室までご同行いただきましたので、奴の人となりは分かってお見えだと思いますが……。ヘビを写真に収めたいなどとバカなことを言うんです。部室に現れるようになったのも奴の仕業じゃないかと、実はこっそり案じているんです。ですので、僕一人で現場を押さえられるかと思いまして、数日、目を光らせていました」

「現場?」

「蛇原が校内にヘビを持ち込む瞬間、です」


 鏡は目を細める。


「奴は僕に向かってこう言いました―――――『ヘビは必ず俺の前に現れる』と。それはつまり、奴が何がしかの手でヘビを捕まえ、カメラの前に持ってきているということです。わざわざ校内に持ち込んでいる理由はよく分かりませんが、まあ、奴は他の部員に比べて不思議な感性を持っています。反自然的な環境に住まう動物の姿を捉えたいとか、そういうことなんでしょう」


 僕には全く理解できませんが、と最後に言い捨てた。

 

「へえ……、なるほどねえ。じゃあさ、じゃあさ、かがみんはどういう写真を撮るのが好きなの?」


 沙耶が机の上に乗り出して無邪気に問う。


「僕は―――――いまでは動物写真を得意としていますが、それまでは風景写真が大好きでした。有名な景勝地の絶景から、知られざる秘境を収めた神秘的な写真まで、さまざまな大自然の写真を撮るのが好きでした。何物にも例え難い、雄大な自然の空気を、いかに色を以て伝えるか。それが風景写真家の使命なんです」


 鏡は瞳に光を灯す。


「僕が小学生の頃です。父が買ってきた雑誌のあるコラムが目に留まりました。世界各地を旅しながら、その時思わずシャッターを切った写真を、その理由とともに紹介するコラム―――――『写真家ヤカタの海外遊楽記』、いまでもその名前をはっきりと覚えているくらいです。僕はこの『ヤカタ』という写真家の撮った作品に心打たれました。見ているだけで情景が目に浮かぶ。言葉にされなくとも、なぜ衝動的にそれをフィルムに収めようと思ったのかが伝わってくるんです。そのコラムが休載となって以来、その方がどこで何をされているのか分かりませんが、あの方が撮った写真は私の記憶の中で息づいているんです。いつかあんな作品をこの手で撮ってみたい、ずっとそう思っています」


 沙耶が感心して喉を唸らせる。


「ふぅ~む、かがみんにもそういう過去がねえ。てっきり義務でやってるのかと思ったよ」

「義務……ですか。確かに、我が校は部活に所属しなければいけないという古い慣習がありますから、そう思われるのも頷けます」

「いや、それにさ、コンテストで入賞したって聞いた時も、あまり面白くなさそうだったからさ」

「私が頂ける賞はいつも動物写真ばかりですから。被写体には申し訳ないですが、いい加減、飽き飽きしていたのですよ。しかし、部費のためには実績も必要ですので。ということです」


 

 熱く語る鏡を見て、千代は思う。

 

 この人は犯人じゃない。

 自然に敬意を払う風景写真家が、自然に生きる動物の首根っこを捕まえ、自分たちの檻の中に閉じ込める真似をするはずがない。写真家の中でも何よりそうした行動を嫌う彼らのような人間が、そのような罪を犯すはずがないのだ。そして、その反自然的な行動を他者に無理矢理、強制することもしない。それをしないことが、彼らの哲学だ。手を加えずとも、写真はかくも美しく時間を切り取るのだと、それを証明するために風景写真家は存在している。だから、鏡は犯人じゃないと言い切れる。


 そして、『鏡』は『蛇』と等しい存在。


 つまり、蛇原も犯人にはなり得ない。

 確かに、彼は蛇の写真を撮るために校内を走り回り、哲学に反する行動を取ってきたかもしれない。しかし、それは鏡を見ていたからだ。動物の写真を撮るのが得意な彼に追いつけ追い越せと頑張ってきたがために盲目になっていた。動物を撮ったことのない彼にとって、自分自身がその名を宿す、化身のような動物を撮ることは彼に対抗しうる唯一の活路と映った。


 でも、本当は怖いのだ。蛇と相対するのが怖いのだ。その証拠に、倉庫で見かけた時の彼は足が震えていた。そして何度も見て見ぬフリをしていた。彼の位置からは見えているはずの蛇の姿を、彼は懸命に探すフリをしていた。そうでなければ、数日間も部室に現れる蛇を撮り損なうなんてことはあり得ないはずだ。


 その蛇原が蛇をその手で掴み、校内に運び込むことはできない。出来たとしても、見つけたその場で写真に収めるのが精いっぱいだろう。


 ということは、残る容疑者はあと一人―――――。



「鏡先輩」


 千代は鏡に真っ直ぐな視線を刺す。


「その部室にいたのは、蛇原先輩だけですか?」


 鏡はああ、と声を漏らす。


「尾形真由美もいたはずです。彼らはいつも一緒ですから」


 言うまでもない、という口調から、蛇原と真由美の距離の近さを感じる。


「やっぱり……」


 千代が顎に手をやり深く考え込むと、何かに気づいた沙耶が腰を浮かせて机から飛び降りる。


「……よっと。千代ちゃん、なにか思いついたみたいね」

「委員長、どういうことです?」

「名探偵千代の推理が聞けるのよ。恐らく、一連のヘビ事件の犯人が分かったってこと」

「なんと! 鶴来女史! 是非ご考察を!」


 千代は顔を上げると、ひとつ頷く。


「犯人は分かりました。でも、鏡先輩、今から話す内容……、半分はフィクションだと思ってください」


「フィクション? それはいったいどういう……?」

「どういう訳でも、です。とにかく、今から不思議な話をしますが、それはそういう世界があるとだけ知ってください」


 千代の真剣な眼差しに、鏡はぎこちなく頷く。



「犯人は、尾形真由美です。恐らく彼女は、自在に蛇を生み出すことが出来る」


 鏡は、口をついて出た驚きの声に乗せて千代に言いかけようとしたところで、沙耶に肩を諫められた。


「『尾形』という姓は、『蛇』と深い関係にあります。源氏と平家が戦乱に明け暮れていた十二世紀末、大分豊後国に緒方三郎惟栄おがたさぶろうこれよしという武将がいました。彼は平清盛の嫡男である重盛と主従関係を結んでおり、九州豪族のお目付け役として平家にとっても重要な人物でした。しかし、源頼朝が伊豆で挙兵すると、惟栄はその先見の明で平家を裏切って謀反を起こし、源氏を勝利に導きました。惟栄はその後、頼朝に反逆した源義経に加担し、主君である頼朝に反旗を翻す形となりました。ご存知のとおり義経の希望をついえ、惟栄は流罪となってしまったのです」


 千代は二人の間を割って入り、振り向く。


「ですが、彼の郷里である大分豊後国にはこんな言い伝えが残されています―――――」


 先日、明楽美歩に教わった言い伝えの記憶を辿る。


―――――その昔、豊後国にとても美しい女性がいました。その女性は地元の豪族、大太夫のひとり娘で、花御本はなのおもとと言いました。大太夫は花御本をたいそう可愛がり、彼女の噂を聞いて求婚を申し込んでくる男たちをはねつけていました。

 

 しばらくして、すっかり心を閉ざしてしまった花御本の元に、どこからともなく一人の若者が姿を現しました。若者の姿は、この辺りの人間の者とは思えない、浮世離れした格好をしていました。彼は花御本に近づくと、そっと身を寄せ、「怖がることはありません」と言いました。花御本は彼の包容力に魅かれ、家の庭先で毎晩のように逢瀬を楽しんだのです。しかし、それは長く続かなかった。彼女に仕えていた侍女に密告され、彼らの関係は大太夫の知るところとなってしまったのです。

 

 大太夫はその若者について花御本を問い詰めますが、彼女自身も彼の素性を全く知りませんでした。若者は名を名乗らず、どこからやってきたのかも彼女に一切教えようとはしなかったのです。分かることは、彼はこの土地の人間ではなく、あるいは高貴な人物かもしれないと彼女は言いました。その言葉を信じた大太夫は、花御本に提案します。次にその若者がやってきた時、糸巻きと針を気づかれぬよう彼の服に刺しなさい、そして彼が帰った後でその糸を追うのだ、と。


 花御本は実際にそのように行い、ついに彼の居場所を突き止めました。そこは深く暗い洞窟でした。中からうめき声が聞こえてきます。


「あなたさまは、どこのどなたですか」

「姿を明かすことはできません」

「私はあなたさまを慕っております。どうかお姿を」

「それだけはできません。実は、私の正体は、大蛇なのです。貴方を想い、人間の姿に化けていたのです。全ては、貴方と情を交わすためです。しかし、それも叶いません。貴方の元を訪れたとき、どこかで針をひっかけてしまったようなのです。針が抜けず、いまも刺さったままなのです。このままでは、人間の姿に化けることはできません」


 洞窟の奥から響く這いずる音が大きくなり、月明かりに照らされた大蛇の姿が露になります。花御本は大蛇の下あごに引っかかった針を抜いてやりました。


「ありがとうございます。実は、あなたのお腹には男の子の命が宿っています。その子は九州一の武将になります。化け物の子だからといって、忌避してはいけません。その子が大きくなる日まで、私はずっと見守っています」


 大蛇はそう言うと、そのまま洞窟の奥で死に絶えてしまいました。


 生まれてきた子は大太と名付けられました。大太は成人して、大神惟基おおがこれもとと名乗りました。惟基は武勇に優れ、九州にその名を轟かせる大武将となったのです。


 彼の子である大弥次、その子に大六、その子に大七、その子に緒方三郎惟栄が生まれました。


 惟栄は惟基の血を継ぐ、武神の子孫として九州一の武将となりました。

 『源平盛衰記』には「惟栄と云う者は大蛇の末であれば身体も心も剛にして、九国をも打ち随へ、西国の大将軍せんと思う程のおほけなき者なり」と言い伝えられています。

 

 そして、彼の体には蛇のと鱗ののあざがあったと言われています。だから、と呼ばれているんです―――――。





「尾形真由美は、『蛇』をその名に持っています。だから、彼女は何らかの方法で蛇を生み出すことが出来る」


 千代がそう言うと、鏡は堰を切ったように喋り始めた。


「鶴来女史、あなたの言っている意味が僕には分からない。尾形が『蛇』と同義だということは分かります。しかし、なぜ、それが蛇を生み出すという不思議な力に結び付くというのです?」

「だから鏡先輩、初めに言いましたよね。そういう世界があることを今はただ理解してほしいんです」

「そ……、そういう世界と言われても……」

「これから部室に行きます。きっとそこでは、今日も、蛇原先輩と尾形先輩が蛇の写真を撮ろうと奮闘していると思います。そして、あるタイミングで、尾形先輩はきっと蛇を生み出します」


 鏡が抱えていた頭を起こす。


「あるタイミング?」

「それは、分かりません。尾形先輩はこれまで蛇原先輩の撮影のために、蛇を生み出しています。今日もまた部室で生み出すでしょうし、あるいは私が『尾形』の話をすれば、彼女が逆上する可能性もあります」


 狭い部室を埋め尽くすほど大量の蛇を発生させることができれば、私たちをかく乱することが出来る。私はともかく、さっちゃんはショックで心臓麻痺を起こすだろう。


「その時は、鏡先輩が止めてください。尾形真由美に、これ以上、蛇を生み出させてはいけません。彼らの暴走を、止めるんです」


 千代の力強い声が、響く。

 


 

 









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