五文字
フレームの中央を陣取るのは自分だ、一枚でも多くの写真に映りたい人間は常にそう考えている。それもいま自分が一番輝いていると自負するなら尚のこと、その位置を死守したいと思う。自分の思い出に、ひいてはこの学校に通う後輩たちに、自分がここに生きたという証を残したいと思う。この一秒後の景色が現実と全く違っていても、その瞬間だけは人生一番の満面の笑顔で映っていたいと思う。
誰よりも数多く、誰よりも長くフレームに入っていたい。学生生活最大の祭典である学園祭はそう考える者たちの壮絶なカメラ争奪戦と化し、戦々恐々とした雰囲気を孕んできた。そして、その渦中に立たされる撮影係は伝統的に、行動力と決断力、規律を厳守する正義感を持ち合わせる者に選ばれてきた。
携帯電話にカメラ機能が付いているのが当たり前となった昨今では考えられないことだが、過去には、カメラを借りると言ってそのまま盗まれてしまったり、予め日時を指定して撮影係を独り占めする者が現れたり、と例を挙げればキリがない。この問題は歴代の執行委員を悩ませる重要案件であったが、携帯電話の普及とともにカメラが身近になるとこの問題は次第に解消された。
しかし、そんな社会現象から乖離するように撮影係という権威はその後も豊高に残り続け、生徒たちは
「―――という以下のルールをしっかり守って当日は撮影に臨んでくれ。前日にこちらから具体的なルートを示すので、当日はそれに従うように」
鏡は手元の資料に目を通しながら、淡々と説明する。
「お、おお……」
蛇原は相変わらず開いた口を閉められずに、視線は明後日の方向を向いたままだった。
「ユーちゃんユーちゃん! よかったね! 撮影係なんて大役任されて…!」
「お、おお……。大役、そうか、大役だな」
「まさかこんな日が来るなんて思わなかったよ」
「おお俺が、撮影係……」
「ふう……、良かったわね」
小さく溜息をついて微笑む沙耶。
「かがみんからも話があったけど、これは当日になるまで誰にも知られちゃいけない決まりなんだよねー。まあ、変な誤解が解けて良かったわ」
「別に誤解してたわけじゃねえが……、お前はあの委員長で……おっかねえ奴だって周りが……」
「え、なに?」
「な、なんでもねえよ!」
蛇原は大きな声で沙耶をけん制する。
「蛇原!」
急にスイッチが入ったように、二人の様子を見ていた鏡が立ち上がる。
「委員長に向かってなんだその口調は! 慎め!」
「いや委員長つっても同級生だろ」
「委員長は二年生であって二年生ではない」
「どういう意味だよ。もしかして留年か?」
「蛇原、君は僕を怒らせたいのか。委員長が学業を疎かにされるわけがないだろ」
「なんなんだよ……」
鏡のことは小学生のころから知っている。人一倍正義感が強くて、とにかく曲がったことが大嫌い。いつもみんなの悪事に目を見張らせていて、少しでもズルをしようものなら、その小さな体からは想像もできないほど鋭い拳が相手の頬に突き刺さった。鏡の在籍するクラスは決まって「あのクラスには先生が二人いる」と言われ、地元では有名な正義執行人だった。
中学、高校と上がっても、奴は変わらなかった。むしろ周りが中庸を選ぶようになると、その筋の通った生き方がより一層浮き彫りになった。どんな悪童も奴の前では戦意を失い、良い意味で悪い意味で誰も相手をしなくなった。もはや鏡に適う者はいないだろうと、一年生の時はそう思っていた。
それが、どうだ。鏡はすっかりあの『鬼』に手なずけられている。
「かがみん、私は二年生だよ。二年生以外の何者でもないよ」
「委員長、失礼しました。ただ私は委員長が皆と同じような人間でなく、崇高な大志を抱く名君だということを蛇原に伝えたかったのです」
「え、私ってただの学校の委員長だよね……?」
沙耶は精一杯の呆れ顔を鏡に見せ、今度は首だけひねって蛇原を見る。
「な、なんだよ」
「とにかく当日はよろしくね。嫌だと言っても、これは執行委員全体の裁決で、私自身の意向でもあるから」
「な、何で……」
「ん?」
「何で鏡が選ばれなかったんだよ。この写真部の部長だし、いかにも撮影係っぽい感じじゃねえか」
自分は行動力も決断力もなければ、規律を守らなければと思うタイプでもない。真由美にだけこっそりと教えたが、仮病を使って学校を休んだこともある。これも真由美には言ったが、通学届には徒歩と書いておきながら自転車で登校したこともある。俺は、そんなどうしようもない悪童だ。
こんな俺なんかより、能力の秀でた鏡に一任する方が自然だろう。
「いや、まあね、私も最初はかがみんにって言ってたんだけどね。自分ではどうしても役不足だって言って聞かなくてね、じゃあ代わりに誰かいる?って聞いたら、同じ部の蛇原がいいって言うから…」
「鏡が?」
蛇原の視線が鏡に向けられる。鏡は後ろに手を組んだその姿勢を崩さず、きょとんとした顔をする。
「お前が、俺を推薦したのか?」
「推薦というほどでもない。君は僕がいない間の写真部をまとめてくれていた。僕はそれを評価したかったのだ、だから今回こういう形で―――――」
「……ってことは、俺の技術を認めたわけじゃないんだな?」
「君の、技術? それは撮影技術のことを言っているのか?」
「そうだ」
「その話は今の話と関係あるのか?」
「いいから答えろよ」
蛇原は語気を強めて鏡に迫る。次第に鼻息の荒くなる蛇原をなだめるように、背中に組んだ手を解き、大きく息を吐く。
「お望みとあらば答えてやろう。君は最近になって動物を撮り始めたというが、はっきり言って僕からすればおもちゃのカメラを持って動物園をはしゃぎ回るお子様と同等のレベルだ」
「なん……だと……?」
「動物の撮り方が全く分かっていない。例えばこの山に生息するニホンジカを撮りに行くとするだろ。君なら今からカメラを持ってその足で山中を練り歩くんだろう。そんなものは時間の無駄以外の何物でもない。ニホンジカを撮りたいならまず図鑑を持ってきて彼らの生態をくまなく調べる。活動時間はいつごろか、何を好んで食べるのか、水場を好む生き物か……、ありとあらゆる情報を揃えて、実際に現場に向かうのはそれからだ。この場所で、こういう仕草をしてくれたら良い画になる―――そういうスポットを探してジッとその時を待つ。そして狙い通りニホンジカが現れて…、でもシャッターはまだ押さない。現場に光量は十分か見極める、なければストロボを焚くことになるが、急な発光にニホンジカは驚かないか配慮が必要になる。そういった色んな条件を考えて、ようやく最高の一枚が撮れる。……君にそこまでの気概があるのか」
鏡の教え諭すような口調は、その淡々とした声色のせいでかなり棘のある言い方に聞こえた。
「くっ……」
蛇原は何かを言いかけ、しかし口をついて出る言葉が何もないと項垂れる。
「……」
「君の撮影技術に関する評価を述べよ、と言われればそういうことになる」
「……」
「望まれたまま答えてやったのに、黙ったままなんて不条理じゃないか」
「……」
「いいか。君は短絡的すぎるんだ。こないだのヘビの件もそうだ、後先考えず飛び込むからいけない。無論、学祭当日はそんなことがないように―――」
一瞬だった。
蛇が敵に噛みつくように二本の牙が、二本の腕が鏡の首根っこを捕まえた。
「ぅぐっ!!」
鏡の鈍い声に、真由美の短い悲鳴が混じる。
「何をする……っ! おい蛇原!」
「うるせえ、うるせえ、うっせえ! 俺はお前に勝つために、動物撮ろうって決めてんだよ! 俺のやり方に口出しすんじゃねえよ! あの蛇は……っ! お前に勝てる唯一の活路だ! 何があっても邪魔なんかさせねえっ……!」
「君は何を言って……! いいからっ! 離せ!」
爪を立て腕に食い込ませてから、それを首から一気に引き離す。蛇原の腕についた爪痕から血が垂れる。鏡は自分の首にも熱を感じ、手でさすってそれを確認する。
「血が出てるじゃないか……、君は、本気で僕とやり合うつもりなのか」
「そのくらいの血でビビってんのかよ。そんなんじゃあやってけないぜ? 写真家には危険が付き物、だろ?」
「……本気で僕にぶつかってくるつもりだな」
「本気だよ。お前より優れてるってことを一枚で証明してやる。俺はもう一度、ヘビを撮る。より刺激的な写真を撮るんだ」
懐からハンカチを取り出し、首筋を滴る血を拭き取る鏡。
「好きにしろ。ヘビなんてそう人前に現れるものじゃないぞ」
「いや、俺の前には現れんだよ」
*
「………で、結局断られちゃったってことかしら」
佐緒里は動かしていたペンの手を止め、対面の沙耶に問い掛ける。
「いや、断られちゃったってわけじゃないけお―――うんぅ!おいひい、このチョコ!」
沙耶は机上に置かれた仰々しいパッケージのチョコレート菓子を口に頬張りながら、説明を続ける。
「ほれではぁ、ほのほがひっはほほ―――」
「ああ、もうっ! 先に食えよ!」
「ほっほはっへ……、むぐ、うん。ご指摘ありがとう、沖野」
「そりゃどうも」
「それにしても、このチョコ美味しいわね。誰が持ってきたの?」
「佐緒里ちゃんだよ」
「佐緒里先輩…、一階級昇進です」
「ありがとうございます、陛下」
佐緒里はぺこりと頭を垂れる。
「ウチってそんなシステムだったか?」
「沖野も私に何か献上してくれれば、勲位を授与するわよ」
「ええ……と、じゃあ俺から愛ある肩もみを―――」
「はい、セクハラ。懲罰房行きね」
「この駄王がっ!」
沙耶は口元に付いたチョコをティッシュで拭くと、一つ咳ばらいをする。
「そう。そのあと結局、蛇原が『その写真を撮るまで撮影係は引き受けられない』って言い出してもう困ったのよ。なんとか、かがみんと一緒に説得を試みたんだけど」
「鏡と?」
「うん、でも……、かがみんも理性失っててそれどころじゃなくて、とどのつまり、撮影係任命もうやむやになっちゃったんだよね」
沙耶の深いため息が部屋中に立ち込める。
「鏡が理性失うなんて普通じゃないぞ? その……、蛇原だっけ? なんでそんな言い方したんだ?」
「知らないわよ……、それは男の世界なんじゃないの。私は完全に蚊帳の外だったし」
「で、結局『その写真』を撮るまでは引き受けないって、はっきりそう言ったんだな?」
「言った。何でも撮りたい写真があるんだってさ」
沖野はしばらく上空左上を眺めて、「あ」と声を漏らす。
「撮りたい写真ってもしかして、こないだのヘビ……か?」
執行委員が撃退を試みたあのヘビを、カメラ片手に颯爽と現れた男子生徒―――蛇原有哉はカメラに収めようとした。あれほど殺気立っていたヘビに近づけるのは並大抵の度胸がなければできないだろう。
「あ―――、そう言えば『蛇』が撮りたい、みたいなことは言ってたね」
「あの執着は異常だったもんなあ。目標のために危険を顧みず……かあ、俺は嫌いじゃないけどね、そういう奴」
「いや、めんどくさいでしょ。ポール・サローンじゃないんだから」
「ポール…? 何? この間の作戦名でも言ってたな、それ」
「沖野……、『アナコンダ』見たことないの?」
「もしかして、また洋画の話?」
「そうよ、ポール・サローンはアマゾンの奥地でアナコンダを捕まえようとする密猟者の名前。ほら、こないだも私たちは蛇を捕まえようとしてたわけだし、ピッタリでしょ」
ウインクをする沙耶。沖野はこれ以上は付き合えないと苦笑いをする。
「それにしても、あの『二年A組ヘビ事件』も解決してないよな。教室はアマゾンじゃないのにだ……、ヘビが三匹も現れた。誰かのイタズラには間違いないんだけどな」
「そうねえ、あれから一週間、捜せど捜せど犯人は見つからなかったものね」
「佐緒里ちゃんでも捕まえるのにあれだけ手こずったヘビを、どうやってあの教室に三匹も……? しかも教室にいた連中はみんな『突然現れた』って言い出すし、不可解だよなあ」
「あの時教室にいた生徒たちに、一通り話は聞いたのよね。でも、特に可笑しな証言はなかったのよ」
「そうだな。全ての証言に裏が取れてた」
佐緒里と沖野は腕を組みながら、大きく頷く。
怪我人は出なかったということで、この事件はその後、表沙汰に取り上げられなかったが、執行委員としては草葉の陰でほくそ笑んでいる悪党を許すわけにもいかず、比較的時間に余裕のある(暇な)沖野と佐緒里の二人体制でこの事件の調査を続けていた。しかし、実りある結果には繋がらず、悶々と過ごす日々を送っていた。
「その節はどうもありがとう。二人には時間外に捜査してもらっちゃって」
「いや、結局見つけられずじまいだしさ、お礼を言われるようなことはしてないぜ、沙耶ちゃん」
「それもそうね」
「いや、手のひら返すの早いな」
沙耶はそれから二人に背を向けて窓の外をじっと眺める。あの様子は何か考え事をしているのだと察して沖野と佐緒里はそっと口を閉じる。静かな部屋に沙耶の小さな唸り声が響くと、二人は顔を見合わせて席を立った。
「ううん……」
―――そう言えば彼の名前は、蛇原だった。
などと思いついてしまうのは、近頃、人の『名前』を意識してしまうせいだ。その人が変わった名字を持っていると、どんなルーツがあるのだろうと気になってしまう。そんなことを考えても、何も起きないことは分かっている。それに何か起きるのだと考えてしまえば、『鬼』を名に持つ私はどうなってしまうというのだろう。『鬼』そのものになってしまうか、はたまた『鬼』のような剛腕を手に入れるか、『鬼』のような邪知暴虐の存在と化すのか、そんな事をふと考えてしまう。
しかし、鶴来千代は『鶴』になった。
もちろん、『鶴』そのものになってしまったわけではないが、鶴の特性を象徴する教示を彼女自身が身に付けたからだ。私は勝手に彼女の力を『鶴の一言』と名付けている。言葉通り彼女の一言は権力者のごとく大衆を意図する方向に靡かせることができる。なぜそんなことができるのか、それは彼女が名に『鶴』の字を背負っていることに他ならない。
それなら、『蛇』だって同じじゃないだろうか。この学校には『蛇』を名に持つ生徒が一人いる。その現場に、偶然にも彼の姿があった。
つまり、今回の事件―――蛇原有哉は無関係と言えないのだ。
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