三文字


 執行委員の面々が到着した時、教室は騒然となっていた。放課後に自習をしていた生徒たちは、その場に立ちすくみ、何をどうしていいか分からず、視線で互いに助けを求め合っている。


「委員長、先ほど申し上げたヘビというのがアレです」


 鏡誠二郎は心拍数の変調を感じさせない、淡々とした口調で教室の隅を指差す。

 その指の先には三匹のヘビ―――、うち二匹は気ままに教室の床を這いずり、悲鳴を上げる生徒たちを見て面白がるように、体をくねらせその活動範囲を広げていく。とりわけ体の大きな一匹が明らかに人間側こちらを敵視するように、顔を高く起こし、素早く舌なめずりを繰り返す。


「うわあ、マジのヘビじゃん!」

「どこから来たのかしらね」


 沖野と佐緒里が溜息を漏らす。


「沙耶ちゃん、どうする?先生呼んでくるか?」

「それが無難かしらね、沙耶」

「さすがに俺らでもこれは、なあ?」

「あら沖野、ちょっと怖がってないかしら」

「バ、バカ言え! こういうのは初期行動が大事―――って沙耶ちゃん?」

「沙耶?」


 石像のようにその場に固まる沙耶、沖野がその肩を掴むも反応がない。


「沙耶ちゃん―――、もしかしてヘビ怖いの?」

「……こここ怖い」

 

 涙を浮かべながら、視線を動かさない沙耶。その体は小刻みに震えている。


「あら、沙耶にも怖いものがあったのね」

「沙耶ちゃんって上郷の人間なんだよな? あれくらい見慣れたもんじゃないの」

「み、見慣れてるから怖いのよ。し、視線を反らしちゃ、駄目よ」

「視線を?なんで?」

「ヘビと一度見つめ合ったら、目を反らしてはいけない。反らしたら石のように固くなってしまうの」

「迷信かよ! なにそれ、上郷の迷信? なんかメドゥーサとになってね?」

「石なら、もうなってるんじゃないかしら」

「確かにな」


 沖野が呆れた顔で頷く。


「委員長!」


 鏡がそこで思い立ったように、手を挙げ発言権を得る。


「目を反らせば石になってしまうと言うのであれば、どうすれば良いのでしょうか。じっと敵が目を離すのを待つと言うのですか」

「い、いいえ、違うわ、かがみん」

「では、どうすれば?」

「間合いを詰めて首を掻っ切る」

「……な、なんと!」


 鏡がその場に小さくのけぞる。鼻先に落ちかかった眼鏡を直し、沖野の方を見やって、心のうちの動揺を黙して伝える。沖野は溜息をついて、その額を小突く。


「お前もバカか。沙耶ちゃんの話を真に受けるな」

「では、どうすると言うのですか」

「簡単なことだろ……、相手の視線を外すことくらい」


 沖野はそう言うと、ポケットティッシュを一枚取り出し、それを丸めてこちらを睨む蛇の手前に向かって投げた。蛇は体を大きくのけ反らせ、飛んできた白い塊に警戒の目を向ける。


「な?」

「はあ……、あ、ありがとう。沖野」

「沙耶ちゃんにそんな弱点があったなんて知らなかったよ」

「そうね。自分でも何で苦手か分からないの。そういうのをきっと生理的に無理、って言うんでしょうね。沖野と同じように」

「取って付けたような悪口いうなよ」

「それはさておき、この状況―――どうしよう」


 例えば、授業中に一匹の蜂が窓から侵入し、慌てふためく経験はある。例えば、休み時間に誰かが誤って非常ベルを押してしまい、何事かと騒ぐ経験はある。学校生活を送る上で突如襲われる緊張感と言えば、それぐらいのものだ。

 だが例えば―――、放課後に突然三匹のヘビが目の前に現れるという経験はあるまい。


 鏡を含めた執行部の四人が一手に悩んでいたその時、教室の影から生徒が一人、ヘビの前に飛び出した。


「その顔、貰ったあああ!」


 ……カシャ。

 張り詰めた空気の中で、シャッター音が小さく、しかし、はっきりと響く。


「今のはいいぞっ! いいっ!」


 蛇の目線の高さまで身を這わせ、カメラを手に拳を握りしめる。

 その一瞬だった。興奮した蛇が、カメラを覗く生徒目がけて一直線に牙を向いた。


「危ないっ!」

「うぐっ……!」


 鈍い声を上げて、生徒は後ろに

 すんでのところで鏡が彼の襟元を掴み、ヘビの急襲をかわしていたのだ。


「痛ってて……この! 危ねえだろ! 急に引っ張んじゃねえよ!」

「危なかったのは君の方だ」

「うるせえなあ、誰が何を撮ろうと勝手―――って鏡?」

「話はあとで」

「いててて! 引きずるな! 引きずるな!」


 鏡は彼を更にヘビから引き離し、教室の外へ放り出す。


「委員長、お騒がせしました。あのヘビ、どういたしましょう」


「う、うん。かがみんって、すごく機敏に動けるんだね」

「間合いを詰めたまでです」

「な、なるほど」


 沙耶はぎこちなく笑みを浮かべる。

 しかし状況は何一つ変わっていないことに、表情を強張らせる。


「―――よし、何とかしないとね」


「沙耶?やっぱり先生呼ぶ?」

「いや、先生は呼ばない。放課後だし、腕っ節のいい、頼りになる先生たちはみんな部活に出てる。ということは、校内にいる先生が来ても事態は変わらない。また別の先生を呼ぶ事態になる。そうこうしてる間に、このヘビたちは教室を出て校内を駆けずり回ることになる。そうならないために、ここで―――仕留めよう」

「さすが沙耶、冷静ね」


 佐緒里はそう言うと、腕を捲り始める。


「佐緒里先輩?」

「もし、ここに腕っ節のいい女子高生がいたらどうする?」


 にっこりと笑みを浮かべる佐緒里に、沙耶は小さく頷く。


「そうね。まずは―――かがみん!教室のみんなを外に! ドアを閉めて!」

「承知しました」

「それから、沖野! 窓を全開に! 下に誰かいないか確認!」

「お、おう!」

「そして、佐緒里先輩! 掃除用具入れからゴム手袋と箒を!」

「了解したわ」


 鏡が周囲の生徒に呼びかけ、教室の外に移動させる。そして、ドアを静かに閉める。

 沖野は蛇の進路に入らぬよう慎重に足を踏みしめ、一つずつ窓を開けていく。その窓から下を覗き込むと、振り返って頷く。

 佐緒里は掃除用具の入ったロッカーからゴム手袋を取り出し、自分の両腕にそれを装着する。そして三本の箒を取り出し、沙耶に手渡す。


「沖野とかがみん、そして私がこの箒を持つ。私たち三人がヘビをけん制・誘導しつつ、背後から佐緒里先輩が首根っこを捕まえる。捕まえた後、素早く窓の外に放り出す―――、時間は限られてるけど、でも焦らず一匹ずつ」


 三人は無言で頷く。


「作戦名は……そうね、『ポール・サローン』! みんな準備はいい?」


 


 *




「千代! 千代! これ見た?」 


 朝から高低差の激しい山道を降りてきた千代は、棒のように固まった足を休めるため、椅子に腰を深く下ろす。


「なに朝から……、何のこと?」

「これこれ! 今月の『豊川歌』!」

「ホウセンカ? ああ、新聞委員の」


 友人が眼前一杯に紙面を広げる。

 そこには大きい見出しとともに、見覚えのある顔ぶれが額の汗を拭いながら。 


「なにこれ、大掃除?」

「掃除じゃないよ!見出しちゃんと読んで!」

「ん――? 『お手柄!執行委員ヘビを見事撃退!』……どういうこと?」

「すごくない?ヘビを追い払ったんだって!」

「これ、どう見ても張り切って掃除してるように見えないんだけど」


 紙面を大きく飾る写真は、ドアの隙間から教室内を撮ったような構図になっている。三人が箒を手に取り、一人がゴム手袋を手に床をじっと見つめる姿は、誰がどう見ても頑固な汚れを取り除こうとする美化委員にしか見えない。 


「なんか、教室にある掃除道具で撃退しようとしたんだって。『早急に事態の収束を図ろうとする、鬼嶋委員長の迅速な判断が光った』―――だって、さすが委員長だよね」

「ベタ褒めだね。いつもは風当たり強いのに」

「普段の評価をひっくり返すくらいすごいってことでしょ。委員長にまた新たな伝説ができたね」

「そうだね……」


 千代にとって沙耶の行動がこれほど周囲の興味を引くことに驚きはしない。それより、大の蛇嫌いだった彼女がとった行動だというところに驚きを隠せなかった。


「これは千代も負けてられないっすねえ」

「どういうこと?」

「千代もトヨコ―の生ける伝説なんだから、負けてられないじゃん」

「だから、私はそういうので目立ちたくないんだって」

「あ!」

「何?」

「そういえば、千代の新しい伝説聞いたんだけど、あれ、ホント?」

「何のこと?」

「合唱部で部長に代わって指揮を取ったって話」


 先日とある事情から音楽室に飛び込み、合唱部の部員たちを動かした千代だったが、指揮を取ったというのは尾ひれがつきすぎている。


「部員たちが一糸乱れぬ動きで千代の指揮に従ったって」

「そんなわけないでしょ」

「ホントかなあ?」

「ホントホント。そんなことできたら、皆、怖がって私に近づかないでし―――――」


 思わず身震いをする。

 自分で言ったにも関わらず、不意に自分の心に突き刺さってしまった。


「千代? 大丈夫?」

「う、うん、大丈夫」


「それにしてもさ、普通ヘビなんて怖くて近づけもしないよ」

「執行委員の話?」

「そうそう。だって、そうじゃない? この時は男子もいたみたいだから、多分その男子が率先して掴みに行ったんだろうけど」


 写真を見る限り、ゴム手袋を手に身を屈めているのは星崎佐緒里のように見えるが、事実はこの一枚の写真では分からない。そう案じて千代は黙って頷く。

  

「普通、ヘビなんて気持ち悪くて触りに行けないよ」

「そう?」

「へ? 千代、触れるの?」

「もちろん触るときは注意が必要だけど、そんなに大変なことじゃないでしょ?」

「え? 千代ってそっちの人?」

「なに、そっちの人って」


 千代は小首を傾げて、友人のひきつった笑いを訝しげに見つめ返す。


「その、虫とか動物とか平気で触れちゃう人?」

「いや、私も虫とか嫌いだし、犬もちょっと苦手かな。噛まれそうで」

「えー、じゃあ何で蛇は大丈夫なの?」

「何で、というか、そもそも爬虫類好きだし」

 

 そこで、スクールバッグについたトカゲのストラップを見せる。現物を精巧に模した標本のようなトカゲが妖しく光る。


「これは、ニホントカゲっていう種類でさ、なかでもヒガシニホントカゲっていう関東地方やロシアの一部の地域に生息してる種類なんだけど。この縞模様はまだ成体にならないうちに出てくる模様で―――――」  

「千代ってやっぱり変わってるね……」

 


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