一文字
静謐な部屋に、紙の擦り切れる音が響く。
大きな長机の東方を陣取る副委員長の
「沙耶ちゃん、さっきの予算案に目通してくれた?」
「うぅん」
「沙耶?垂れ幕の作成だけど美術部に話は通したかしら?」
「うぅん」
沙耶は頬を机の上に預け、山積みになった書類を横から見上げる。
「沙耶ちゃん、まだ2Aの予算がまとまってないから後で差し替えとくぞ?」
「うぅん」
「沙耶? 去年と同じように正面玄関の立て看板は書道部に頼んでおくわよ?」
「うぅん」
沙耶は是とも否ともとれる曖昧な返事を返す。すっかり腑抜けになってしまった彼女を見兼ねて、沖野と佐緒里は顔を見合わせ、やれやれと溜息をつく。
学園祭まであと一か月と多忙を極める執行委員、その長である鬼嶋沙耶がすっかり使い物にならなくなってしまった事には原因があった。
それは学園祭が例年通り二日間で開催することが決定したためである。ある筋の情報によれば、校長の裁決によるという。沙耶はこれまで期間拡張を公約に掲げ、三日の日程で開催するためにあらゆる手を尽くし、町長に直訴までした。その願いが町長には聞き入れてもらえなかったか、校長がその圧力に屈しなかったか、今となっては分からないが、彼女の野望が儚く散ったことに間違いはなかった。
「沙耶ちゃん。まだ二日開催の件、気にしてんの?」
「沙耶、二日でも私たちは十分楽しいわよ」
「うぅん」
「実際、決まっちゃったもんは仕方ないぜ?」
「そうよ。それに土日開催という点は譲歩してもらえたじゃない?」
「うぅん」
「そのどっちか分からん返事やめろよ」
書類のかさとにらめっこをしていた沙耶は、突然顔を上げる。
「うおっ、急に顔上げるなよ」
「うん、やっぱり釈然としないわ」
「何が?」
「このままじゃ、全校生徒になめられちゃう」
「なめられる?」
「そう。『噂の委員長も所詮は小物なんだ』って思う輩が出てくるじゃない?」
「うーわ、器小さっ」
「小さくて結構よ。どうせ私の身にありあまる世界なんだから」
沙耶はそう言うと立ち上がり、大きく伸びをする。
少しばかり背丈の高くなった位置から二人を見下ろす。しかし、長机の大きさに比しては空席が目立つ。比較的時間に余裕のあるこの三人がこうして顔を合わせるのは当然ではあるが、「それにしても」と枕を置くように沙耶は口を尖らせる。
「人、少なくない?」
「仕方ないだろ。他のメンバーは部活で忙しいんだから―――って言いたいところだが確かに出席率の低さは否定できん。しかもこの忙しい時期にな」
「無理矢理、引っ張ってこようかな」
「やめとけ。もうすぐ秋の大会で忙しいんだろ」
「こっちも大会みたいなもんなんですけど!」
「まあまあ。気持ちは分かるが、今いるメンバーでやりくりするしかないって。日が迫ったらアイツらも動いてくれるよ」
「なんでこう計画的に集まれないかなあ」
「ウチがブラックだからじゃない?」
佐緒里はニコニコと不敵な笑みを浮かべる。
「ブラック? さおりちゃん、それどういうこと?」
「あら沖野、先週の校報見てないのかしら」
「校報って新聞委員が出してる『
「そうそう。『ブラックな部活・委員会ランキング』っていう特集で、この執行委員が見事一位に選ばれたのよ」
豊川高校新聞委員の校報誌『
「ええ? そうなの? 知ってた、沙耶ちゃん?」
沙耶は不機嫌な顔を崩さず、腕を組む。
「当たり前でしょ」
「マジか。別に、当事者としてはそんな風に思わんけど」
「自覚症状ないのってブラックを物語ってるよね」
「いやいや、ホントに思わんって!そりゃ何で放課後に遊ぶ時間削ってこんなことやってんだろ……とか、周りの奴らからそんな面倒なこと何で引き受けてんの……とか言われるけど、全然ブラックではないって!」
上がり調子に熱を帯びる沖野に、冷ややかな視線を向ける沙耶と佐緒里。
「ブラックね」
「ブラックだわ」
「いや、お前らもその一員だからな」
沙耶は思い立ったように胸の前で両手を叩く。
「そうだ!」
「どしたの、沙耶ちゃん」
「今日はとりあえずここで仕事を中断しましょう」
「へ?」
「代わりに思う存分討論しましょう。そうね、議題は『現代人はなぜ働くのか、ビッグデータを活用して分かる働き方の変遷』です」
「いや、後半の無謀さよ」
「とにかく、この執行委員が活動しやすい場にするための案を考えるのよ」
沖野は深く溜息をつき、自分の手元にある書類と沙耶の机上に立つ紙の柱をゆっくり眺める。
「俺も沙耶ちゃんもそんな暇ないだろ?」
「あら沖野、私はすっかり片付いたわよ」
佐緒里は綺麗になった机を沖野に見せつける。
「さおりちゃんは、だろ。俺と沙耶ちゃんはそんな余裕ないの」
「それよ!」
沙耶は沖野を指差す。
「それ?」
「今、メンバーの中で事務量に偏りがある。それを平準化しましょう」
「つまり、この仕事を佐緒里ちゃんにも振るってこと?」
「そう」
「いやいや、これは俺が受けた仕事だから」
「はい、ブラックな組織人のそういう所がダメなのよ。もっとフレックスに考えていかないとね。というわけで、沖野。私の書類の山、分けてって」
「あ、沙耶ちゃん! 自分の仕事減らしたいだけだろ!」
沖野の言葉に沙耶はそっぽを向いて、呑気に口笛を吹き始める。
「意味の分からんことを言い出したと思ったら、そういうことか。おい、佐緒里ちゃんも何とか言ってくれよ」
「沖野、少し仕事貰うわね」
「従順かよ!」
「これで少しでも、この組織が働きやすい環境になればいいじゃない?」
「さすが執行委員のお
「いいから手を動かしましょ」
「へいへい」
いつもと変わらぬ日常が今日も刻々と流れていく、そんなことをぼんやりと考えていた三人の元に思わぬ訪問者が一人、現れる。
「失礼します」
立て付けの悪い引き戸がガラガラと音を立てる。
真円を描く黒縁眼鏡、真一文字に切り揃えられた前髪、あどけなさの残る幼顔に低身長、ピンと伸びた背筋できっちり足を揃えてお辞儀をする少年。
「二年B組、
「あ、お疲れ。かがみん」
「委員長、報告します。副委員長より仰せつかっていた二年A組の予算案ですが、室長の大橋に訊いたところ、明日には必ず提出するとのことです」
「あ、そうなんだ。あれ、沖野そんなこと言ってたの?」
「あまりに提出が遅いもんだから、鏡にお願いしてたんだよ。ほら、鏡なら絶対に話聞くと思ってさ」
沖野が親指で背後の鏡を指差す。
鏡の眼鏡が光の反射でキラリと光った。
「それもそうね。見事な采配よ、沖野のくせに」
「くせに、ってなんだよ!」
「それにしても、かがみんは相変わらず堅いなあ。同級生だし、同じ執行委員のメンバーなんだからもっと気楽にいこうよ」
「……」
背筋を伸ばしたままじっと沈黙を続ける鏡。
沙耶の位置からは彼の眼鏡が光に反射したままで、表情が読めない。
「沙耶ちゃん、こいつにラフな会話を求めても無駄だ。おれ、同じ
「そう……、沖野とは正反対ね」
「そうなんだよ。でも俺の方が副委員長って笑っちゃうよな」
「笑えないわよ」
「いや、そこは笑って流してくれた方が楽だぞ」
「笑い者にしていいの?」
「それだと意味違ってくるだろ」
「……委員長!」
鏡が突然大きな声で二人の会話に割って入る。
「どうしたの、かがみん」
「実は、もう一つ報告したいことがございます!」
「もう一つ?」
「実は今―――――、教室で数匹のヘビが暴れております」
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