末筆
「なんかいいよね……、甘酸っぱい純愛って」
「さっちゃんもそういうの憧れるの?」
「当たり前じゃない。私だって熟れた女子高生よ、そういうの夢見たっていいじゃない。あ、千代、コーヒー飲む?」
「コーヒー?ここ和食じゃないの?」
畳張りの座敷になった一角で、千代と沙耶は重厚な木製の机を挟んで座布団に胡坐をかく。ここは鬼嶋家が切り盛りする『食堂きじ』、上郷の数少ない飲食店として朝はモーニングから夜はカラオケバーまで、マルチに活躍する定食屋である。
夕方のこの時間帯は専ら子供たちの遊び場兼託児室となっていることが多い。そして表で騒ぐ子供たちの喧騒から逃れて勉強のできる、この座敷の席は千代のお気に入りだった。
「なんかウチの父ちゃんが最近ドリップのコーヒーメーカー買ったみたいでさ、セルフサービス始めようって言い出したんだよ。あ、コーヒー飲めたよね?」
「じゃあ、一杯だけ」
沙耶は襖を少し開くと厨房に向かって「母ちゃん、コーヒーちょうだい」と叫ぶ。
「この店もまだまだ繁盛すると思うよ」
「まあ、おかげさまでね」
千代は沙耶が再び座布団に腰を下ろしたところで話を切り出す。
「さっちゃん、ところで話って?」
「ああ、そうそう。この間の『ドッキリラブレター事件』で気になってることがあるんだけど」
「気になってること?」
「うん、音楽室で合唱部のみんなが一斉に友里ちゃんを指差したやつ、あれ、何…?」
合唱部の部員が千代の言葉を合図にロボットのように友里を指した。言い当てられると思っていなかった友里はその場に崩れた。沙耶はあの一連の出来事を忘れられずにいたが、その後の度重なる新事実発覚により、記憶の片隅にしまったままにしていた。
「あれは……、友里が音楽室で『遠野』の力を使う前に、合唱部のみんなに今から教室に入ってくる部員を私の合図で一斉に指差してって言ったの。部員全員から存在を認識されることが何より効果的だと思って」
「確かに効果的だったよ、現にあの後『遠野』の力で逃げようとしなかったし」
「でしょ?それだけだよ」
「いやいや、それだけって。問題はコンクール前で殺気立ってた合唱部が千代の要求を受け入れたことよ」
「さっちゃん、私はみんなにお願いしただけ」
「千代、分かってるんでしょ。自分の言葉が鶴の一言になってるって」
千代は口をつぐむ。
「もう開き直って認めるしかないって、千代」
「……」
「千代にまつわる色んな噂が広まってるよ。斎藤先生を言い落としたり、生徒会会議で一年の主張を通したり…、そんなの『鶴来』の力に決まってるじゃん」
「……」
「遠野友里だって自分の名前の力に思い悩んできた、でも結果的にはそれを打ち明けたじゃん」
千代は拳を膝の上で固め、重い口を開いた。
「分かった、『鶴来』の力は認める。でも、まだタッチとさっちゃんの三人だけの秘密にしてほしい」
沙耶は口を固く結んで、深く頷いた。
その合間を知ってか知らぬか、沙耶の母親が襖を開けてコーヒーを置いていく。千代は礼を言ってそれを受け取ると一口含み、舌に馴染ませる。芳醇な香りとコーヒー豆の酸味が口腔内に広がり…とまではいかないが、何となく落ち着かない今の気持ちを落ち着かせてくれるには十分な苦みだった。
「それと、あともう一つ聞きたいことがあって……、千代さ、音楽室までタッチに運んでもらったって言ってたじゃん」
「うん」
「あれ何で友里ちゃんが音楽室に行くって分かったの?」
「あれは確か……、タッチが言い出したんだよ。書道部の部室を飛び出たときに、友里とさっちゃんとすれ違ったらしくて、その時に友里が音楽室に行くかもって、直感的に感じたんだって」
「どういうこと?タッチってそんな鋭くないでしょ、バカなんだから」
千代はくゆるコーヒーの湯気を見つめる。
ゆらゆらと魂にも似た小さな帯が自由自在に動きを変える。
「タッチにも名前の力があるのかな…」
(恋心なき恋文の書き方 おわり)
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