八文字


 「つまり……、三人目の共犯者は『遠野友里』ってこと?」

 

 執行委員室の古こけた椅子に腰を下ろす沙耶。


 「少なくとも私がラブレターを見た情景では、だよ」


 体の重心を反らしながらを引く千代、表情を歪ませながら慎重に腰を下ろす。沙耶と同じ目線になったところで、短くため息をついた。


 「足大丈夫なの?」

 「久しぶりのバドではしゃいじゃってさ」

 「ちょっとお、無理しないでよ。千代のお母さんに怒られちゃうじゃん、千代のことよろしくねって任されてるんだから」

 「私の体の問題だから。さっちゃんのせいじゃないよ。それより―――」


 千代は先ほど起きた出来事を思い起こし、苦い顔をする。


 「遠野友里が消えたんだっけ?」

 「うん、消えたというか……」

 「でも教室に入ったらその子の姿が急に見えなくなったんでしょ。ということはつまり、遠野友里はジャック・グリフィンだった……?」

 「ジャック・グリフィン?」

 「透明人間になれる新薬、モノケインを見つけた博士よ」

 「それって、さっちゃんの好きな洋画の話?」

 「まあね、原作はSF小説だけど」


 千代は呆れ顔で溜息をつく。


 「さっちゃん、今はそんな非現実的な話をしてる場合じゃないよ」

 「でも、千代。あなたが一番分かってるんじゃないの。今回の出来事、あまりに非現実的だって」

 「それは……」

 「しかも、あなたの『特技』だって十分、非現実的じゃない」


 千代にとって文字から相手の心情を読み取るのは物心ついた頃から当然のようにできていたことで、それらは紛れもなく『現実的』だった。今更、それを『非現実的』という言葉で縁取りされることに困惑した。


 「千代、つまりね、私が言いたいのは柔軟に事を考えようってことなの。小説とか現実世界の垣根を取っ払ってね。じゃないと真相は究明できないわ」

 「さっちゃん……、さっちゃんは昔からそうだね。いつも周りが見えてるんだ」

 「そう?じゃあ、尊敬の念を込めてちゃんと『鬼嶋先輩』って呼んでほしいわ。一応、高校ではそう呼ぶように決めてたはずだし」

 「それは……ごめん、無理」


 千代はそっと微笑む。

 彼女にとって姉妹同然の沙耶を先輩呼ばわりすることには気恥ずかしさがあった。諒を『タッチ』という馴染みのあだ名で呼ぶことも同様の理由からだった。


 「まあ、いいんだけどさ。私もその方が慣れてるし」

 「さっちゃんは、さっちゃんってことで」

 「まあいいわ。とにかく――――、遠野友里が透明人間でないのだとしたら、どう説明する?」

 「うん、消えたとかいう物理的な話じゃないと思う。……言うなら存在が消失したみたいな」

 「どういうこと?」

 「あの教室に入った瞬間、友里の顔も徐々に思い出せなくなってきて……、本当に私の友達だったのかな…とかそんなことを考えるようになってた」

 「それは奇妙ね」

 「教室の中を探し回ったけどどこにもいないし、あの数秒で隠れられる場所なんてないし…、しかも先輩に39人全員いるなんて断言されたら、もうどうしようもないよ」

 「39人?」


 沙耶は小首を傾げる。


 「39人って言ってたよ」

 「それって三年E組の人数?」

 「そうそう」

 「あの、クラスの人数って……」


 沙耶は引き出しから今朝と同じ名簿ファイルを取り出し、それを捲りながら目でページを追っていく。


 「……千代、三年E組は38人だ。四月からずっと」

 「え……?」

  

 千代はあの教室で確かに39人のクラスだと言われた。その時、彼に嘘をつかれたように思えなければ、それを聞いていた生徒たちの反応にも不自然なところは見られなかった。千代もしっかりと数えたわけではないが、39人いたように感じていた。


 「私がちゃんと確認してなかったのかな……」

 「いや、違うよ。千代は間違ってない。きっと本当にそのクラスには39人いたんだ、

 「その時は?」

 「花山莉子と柿谷理沙も、三人だった。いるはずのなかった、もう一人が存在してたんだよ」

 

 「そのいるはずのないもう一人が……、友里?」


 千代はこめかみを指で押さえ、事態を把握しようと熟考する。

 遠野友里は、花山莉子と柿谷理沙と友人関係ではないが、ラブレターを書くときは三人仲良くペンを取りあい、気心の知れた友人のように溶け込んでいた。そして今度は、三年E組の受験生の輪の中に溶け込んだ。

 彼女は一体、何者なのか―――。


 「不思議だね、その友里って子」

 「友里は至って普通の子……に見えるよ」

 「実は千代にしか見えてないとか」

 「まさか。だってさっちゃんも見てたでしょ」

 「まあ、ね」

 「あの時本当は、あのクラスに友里がいて、皆が友里をクラスの一員と認めていた。でもそんなことどうやって……」


 「なんて言うんだっけ、あれ……、あ、そうそう、座敷童子ざしきわらし!座敷童子みたいだよね」


 「座敷童子……」


 座敷童子とは岩手県を中心に伝わる民間伝承で、俗に妖怪と呼ぶものである。座敷童子は五~六歳ほどの子供の容姿をしていると言われ、知らぬうちに家に住み着き、家の者が座敷童子を見つけるとその家系は栄えると言われている。また座敷童子の去った家には不幸が訪れると言われているため、家を護り豊かにする福の神として神格化されている地域もある。

 そして、この座敷童子をモチーフとした文学作品で多く語られるのが、庭先で仲良く遊んでいる子供たちの人数を数えると一人増えていることに気づくという怪話である。子供たちに聞いても増えた『もう一人』が誰なのか分からないという。


 「座敷童子なんじゃない?その子」

 「でも、なんで友里が…」

 

 千代は脳内をフル回転させ、自分の記憶をあらゆる知識と紐づけしていく。


 「友里……、遠野友里が座敷童子…、ザシキワラシ……」 


 思いつく限りの言葉を口にしたところで、千代ははっと何かに気づく。


 「……?」

 「千代?何か分かった?」

 「そっか、だ!さっちゃん、すべては彼女の名前に秘密があったんだよ」







 六時間目の授業が終わり、各々が帰り支度を始める中、一人悩めるサワケンはその紙きれを見つめていた。

 

 「行くのか?」


 蝋人形のように固まっているサワケンに諒は声を掛ける。


 「言っとくけど俺は注意したからな。その手紙は、たぶんドッキリだって」

 「分かってる」

 「さっき沙耶に聞いた。犯人も見つかってる、今回のその手紙もきっとそいつらの仕業だ」

 「そうか」

 「そうか……って、それお前が俺によく注意する空返事ってやつだぞ」

 「ああ、でも不思議とお前の話が頭に入ってこないんだ」


 サワケンは周囲の雑音を遮断しているのかのような微かな声量で答える。


 「そうかよ、じゃあ好きにしろ」

 「なあ、諒」

 「……なんだよ」

 「お前、俺の名前書けるか?」

 「名前?そりゃ書けるだろ、お前よく自分の好きなピッチャーと名前が一緒だって言ってるしな」

 「ああ、だから書いてみろって」


 諒はで鉛筆を手に取り、机に切っ先を滑らせる。


 「『沢井 健』……こうだろ?」

 「……そうなんだよな。俺もそう書いてた時期がある」

 「どういうことだ?」

 「本当はこう……、『澤井 健』だ」


 諒とサワケンの字は「沢」と「澤」が違っていた。言われてみれば、複雑な方の「澤」が書かれた名簿を見たことがある気がする。しかし、そこまで彼の名字に気を配ったことがない、なぜなら周囲には『サワケン』というあだ名の方が先行していて、彼の本名を知らない者がほとんどだからであった。


 「間違って覚えてたのは悪いが、今の話と何の関係が……」

 「このラブレターにはさ、しっかり『澤井健くんへ』って書かれてるんだよ。しかも、一度『沢』の字を消したような跡まである」


 サワケンは諒の眼前にそのラブレターを突き出した。

 携帯電話で撮った写真にはそこまで見えなかったが、現物を見れば確かにそのような凹凸が視認できる。


 「普通、好きでもない相手の正確な名前なんて書けるか?」

 「……」

 「俺はこの『澤』の一字に何かを感じた。たったこれだけだ。でもこれが嘘の告白じゃないって賭けたい、その気にさせたんだよ」


 諒はサワケンという男を見くびっていた。

 直情的で、目標に向かって真っすぐにひた走るこの男に微細な変化など気づけないものだと思っていた。しかし自分と違い、常に前線に立ち野球部を引っ張る彼はいつだって勝負師なのだ。相手の視線と、微かなフォームの変化、これらに気づかなければ目にも止まらぬ速度で体を横切る小さな球を打ち返すことなどできない。

どんな悪球も最後まで見逃してはいけない、ストライクゾーンに入るその時まで―――。

 

 その確かな選球眼、それはきっと恋愛においても同じなのだろう。


 


 


 

 

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