七文字

 執行委員室の空気は重い。

 突き止めたと思われた前科五犯の犯人は、六件目の事件を起こしていて、さらにその犯人は別の共犯者がいると言い残した。千代の特技で完全に追い詰めたはずだった獲物を逃がし、沙耶は苦い顔をする。


 「うーん……」


 頬杖をつき、項垂れる沙耶。

 沖野はその様子に溜息をつく。


 「沙耶ちゃん、あの一年ガールズの言うことホントに信じるわけ?」

 「信じるも何も、信じるしかない」

 「なんでよ。いいじゃん、主犯は奴らみたいなもんなんだしさ。この件はこれで手を引こうぜ。豊高祭の準備もあるんだしさ」

 「沖野、五件もの犯行を認めた犯人が、六件目で他に共犯がいると暴露する、そのこころは?」


 項垂れた姿勢をそのままに沙耶は首だけを沖野に向ける。


 「分かんないけど、罪悪感を少しでも分散したいとか」

 「バカ、五件分の罪を認めてる人間が最後の六件目で他人にその罪を押し付ける理由はないでしょ。し、か、もっ!肝心のその一人の存在があやふや…、あの場でそんな意味の分からない供述をする方が可笑しいでしょ」

 「そりゃそうだけど、じゃあどう説明すればいいのよ」

 「本当に三人目がいたからでしょ。柿谷理沙は沖野が出てきた瞬間、明らかに何かを言いたそうだった。どうせバレるのなら、今日犯したばかりの罪についてだろうという困惑、そしてその最後の罪に関しては無関係を主張したいという意思、そんなところでしょうね」


 沙耶は深いため息をついて、関節が溶けたように机に身を預け、へたり込む。


 「とにかく、野球部のサワケンに会って状況を確かめるしかないわね」 

 「沙耶ちゃん、俺はもうお役御免だよな。五件目までの犯人は分かったし、一応の報復はできたし。報復というか……、一方的に俺も辱められたような気もするけど」


 自分が花山莉子に臭いものように扱われたことに内心、心が折れそうだった。沖野はちょちょぎれる涙を拭いて、鼻をすする。


 「とにかく、この件はこれ以上深入りする必要はないぞ。俺は学祭の準備に取り掛かる」

 「はいはい、ご自由に」

 「沙耶ちゃんもタイムリミットは今日の放課後までだぞ、委員長にも仕事してもらわないと執行委員が締まらない」


 沖野はそう言うとガラガラと立て付けの悪い引き戸を開けて、腕を立て手をひらひらと振る沙耶の姿を視界に収めてその場を去る。


 「三人目」は一体何者なのか。どの後輩を捕まえて聞いても、花山莉子と柿谷理沙はいつも二人で行動し、二人の間に共通の友人がいるところを見たことはないと言う。実際、本人たちもそのように口にしているので、その点に間違いはない。ならば、その存在しないはずの「三人目」は誰だ。柿谷理沙曰く、それは古くからの友人のようで、初めから三人で遊んでいたかのような感覚だったという。花山莉子も赤くなった鼻をすすりながら、概ねそのような旨の話をしていた。


 「一体、どういうことお……?」


 沙耶が髪をくしゃくしゃと掻いたその時、部屋の戸をノックする音が室内に響いた。


 「……どうぞ!」

 「沙耶、俺だ。入るぞ」

 

 引き戸を開き、大きな影がぬっと入ってくる。


 「あれ、タッチ。どうしたの」

 「少し話したいことがある」

 「なによ。そんな神妙な顔しちゃって」

 「今朝のラブレターの話だ」


 沙耶の眉がピクリと動く。

 そこで諒が短い休み時間に、わざわざ執行委員室を訪れた理由を瞬時に導き出す。


 「そうか、サワケン宛てのラブレターね」

 「知ってるのか」

 「確かサワケンと仲良かったもんね……、同じ野球部だし」

 「そうだ。お前に今朝見せてもらったラブレターを確認したいと思ってな」

 「あの件だけど、もう犯人は見つかったの」


 諒は何か言葉を返そうと口を開けたところで思いとどまり、ぎゅっと口を結んだ。


 「犯人見つかったのよ、何、残念そうにして」

 「アイツ信じてるんだよ、あのラブレター」

 「ええ?タッチ言ってあげなかったの?今朝と同じようなラブレターだったんでしょ」

 「言ったよ。でも、それでも応えたいって言って聞かないんだ」

 「どいつもこいつも馬鹿ねー。騙す方も馬鹿なら、騙される方も大馬鹿だわ」


 諒はサワケンにまだ愛に応える覚悟はあるのかと尋ねたが、依然として彼の決意は固かった。放課後、部活の始まる前に指定の第二多目的教室に向かうと言った。


 「あいつには内緒だが、密かにその写真を撮ってきた」


 諒は携帯電話のディスプレイを沙耶に見せる。


 「そうそう、これを確認したかったのよね。……確かに同じ手紙ね」

 「確認?犯人は分かったんだろ?」

 「うん。ほぼ、ね」

 「説明してくれ」

 「沖野に送られた五件目までのラブレターは、ある一年生の女の子たちが犯行を認めた。でもそのサワケンに送られたラブレターだけは、完全な関与を否定したの」

 「このラブレターだけ他の共犯者がいた…?」

 「そう。変でしょ?さらに変なのが、その共犯者が誰か分からないって言うのよ。同じ教室で一緒に書いてたっていうのに」

 「それは気味が悪いな」

 「でしょう?だからそのラブレターが見たかったの、そのデータもらうわ」


 沙耶は諒の携帯電話を取り上げ、器用に画面をタップしていく。しばらくして沙耶の携帯電話が振動する。


 「また千代に見てもらわなくっちゃ」

 「あいつ、やっぱりまだ文字が動いて見えるんだな」

 「うん、昔より精度が上がってるよ。前は書いた人の顔が思い浮かぶだけだったのに、それから人の感情とか分かったり、最近はさらに書いてる様子を俯瞰で見られるようになったって。今回もそれがなきゃ突き止められなかったね」

 「そうか」

 「あ、今の空返事…、なにか考えてた?」


 諒は彼女の秘密を知る者として思う所はあった。彼女はそれを人にない長所ではなく、『病気』と捉えていた。それは図らずも、自分が植え付けてしまったのではないかと今でも思うことがある。

 小学生のころ、千代と沙耶の三人で交換日記を回したことがあった。ある日、自分の日記に嘘をついた。当時はまだ体格の良かった沙耶に相撲を取って負けてしまった自分は「全く気にしていない」と平然を装い、その思いを綴った。しかし、本当は同い年の女子に力で負けるという悔しさから「沙耶なんて消えてしまえばいい」と書き殴るように日記を書いた。

 それを見た千代は大変なショックを受け、翌日、高熱を出して寝込んでしまった。医者はただの知恵熱だと笑い飛ばしたが、自分には彼女が眠れなくなってしまった理由が分かっていた。千代には頭を下げ、本心でなく一時の感情だと陳謝したが、彼女にはひどいトラウマとして傷が残ったように思う。

 だから、自分は彼女の弱みも強みも知る人物として支えていかなければいけない―――諒は今日もそうして無用な正義感を心に秘めていた。

 

 「ま、とにかく千代に見てもらうしかないわね。とりあえず、あの子に見てもらえば誰か分かるわけだし」

 「嫌な奴が書いたんじゃないといいけどな」

 「……それは何とも言えないね。聞いてる状況からして、罰ゲームで書いたのは間違いないし」


 沙耶は立ち上がると諒の肩を叩いた。


 「サワケンには少し待ってもらってよ。次の休み時間に千代に見てもらって、それからちゃんと報告するから」

 「……おう」





 「友里はどこ中?」

 「私は五条だよ」 


 体操着の千代と友里は肩を揃えて、突き当たりの教室まで続く廊下を歩く。


 「五条かあ、JRの駅が近くて便利だよね」

 「うん、でも私が住んでるところはニュータウンの方で、少し遠いんだよ……」

 「あ、森の里ニュータウン?あそこ小高い丘になってて坂道辛いよね」

 「そうそう!千代ちゃんはどこ中?」

 「私は、上郷」

 「え、上郷だったんだ!じゃあ、その……、私より坂道辛いんじゃ…」

 「坂道っていうか、ほとんど山道。帰り道に鹿とか狐とかよく会うし」


 千代は苦い笑みを浮かべる。


 「そうなんだ。上郷の人と初めて会ったよ……」

 「あそこに人が住んでるんだって感じでしょ?」

 「い、いや!そんなことは思ってないよ!それは……その、色々な考えの人もいるけど、少なくとも私は上郷にはすごい人達がいるってイメージだよ」

 「すごい人達?」

 「うん。私、昔から書道習ってて、その時通ってた教室の先生が上郷には『日本一漢字に詳しい書聖』がいるって聞いてて、その影響かな…、前から憧れみたいなものがあるんだ」


 祖父が書道をたしなみ、研究の合間によく筆を取っていたのを千代は朧気ながら思い出す。よく豊川に降りては個展のようなものを開き、嫌々それに付き合わされたような記憶もある。『書聖』などという大それた肩書はともかく、当時日本一漢字に詳しかったのは恐らく祖父だろう。

 千代は亡き祖父の顔を思い出して、ふっと頬を緩ませた。


 「でも、昔から書道やってたってことは相当上手いんだよね!友里の作品見てみたいなあ」

 「いや、私なんてまだまだ……。見ての通りこんな性格だから、よく先生にも自信持って書きなさいって怒られるんだよね」


 友里は指を執拗に絡ませ、下に俯く。

 千代は彼女の性分が内気な性格にあることはよく分かっていた。今日、初めてあったばかりだが、バドミントンの様子を見ながらそれはすぐに感じ取れた。

 しかし、思わぬ場面で見せるひらめきと度胸には経験者の千代にも驚かされることがあった。この子は自分に自信がないだけで、一歩踏み出せる「何か」があればきっと人々を驚かせる力があると、そう感じていた。


 ちょうど正面から二人組の女子生徒が歩いてくる。一人は空気を含んだような栗毛のショートカットスタイル、そしてもう一人は天使の輪っかが見えるほど綺麗な黒髪を揺らし、大股を開いて廊下の真ん中を歩いている。


 千代は見覚えのあるその顔に顔が強張った。


「―――んとうにさ、ありえなくない?普通あそこまでやる?」

「普通はやらない。でも先輩言ってたっしょ?あの委員長に目付けられたらウザいって―――」


 花山莉子と柿谷理沙だ。

 千代はラブレターで彼女たちの顔をしっかり確認していた。それを沙耶に伝えたところで千代の役目は終わったが、彼女たちの断片的な会話を聞く限り、何らかの接触はあったと見る。


 「……」

 「……」


 すれ違う瞬間、花山莉子がこちらを睨んできた。

 しかし、視界から彼女が切れる寸前にその視線が自分に向けられたものでないことは分かった。ふと友里を見ると俯きがちに、不自然にも前を見ようとしていなかった。


 「友里、知り合い?」

 「……え?ええ、ああ、あの、同じD組だから……、知り合いってほどじゃ」

 「そうなんだ」


 それにしては花山莉子の睨みが利きすぎていたように感じる。睨みというよりは何か物珍しい物を見るような目線だった。まさか自分の体に変なことが書かれているのでは?と千代は肩や背中を確認し、窓に映る自分の顔とにらめっこをする。

 友里はそんな千代の奇怪な行動に興味を示さず、地面の一点を見つめていた。


 「友里―――?」


 「あ、千代!いたいた!おーい!」


 千代が友里に声を掛けようとしたその時、廊下の向こうから沙耶が駆け寄ってきた。


 「さっちゃん?」

 「千代、体育だったのね。探すの苦労したんだから」

 「どうしたの?そんな慌てて」

 「ちょっともう一つ見てほしい物があるの。ほら、これ」

 「ええ、またあ?」


 千代は沙耶の突き出した画面に目を凝らす。


 「何の写真?手紙?」

 「そうそう、今朝と同じようにこのラブレターを書いた人間を教えてほしいの」

 「いや、いいけど……。今は友達が……」


 千代は友里の方に振り返り、心配そうな表情で彼女を見つめる。


 「すぐ終わるから!お願い!」


 沙耶にも今日の放課後までに片をつけたいという焦りがあった。そのために学校中を走り回って千代を探した労力を無駄にはしたくない、その一心で手のひらを顔の前に合わせた。


 「……分かった。ちょっとだけね」


 千代は瞳を閉じ、一つ息を吐いて目を見開く。

 そのラブレターは先ほど沖野宛てに書かれたものと寸分違わなかった。丸みのある特徴的な女子の文字、不必要に空けられた字間の余白、そして「好き」という文字がこれほど灰色に見えるのも珍しい。そんなことを思慮していると、文字が涙に濡れたように滲み出す。そして目の前でそれらの文字が複雑に絡み合い、一つの黒い大きな黒鉛の塊になったかと思うと、その刹那に花火のように弾け出した。

 この感情は前の手紙と違う―――そう思い立つ間もなく、当時の情景が浮かび上がってきた。


 教室に三人の女子生徒の姿がある。

 一人は花山莉子、一人は柿谷理沙、そしてもう一人は――――――――。



 「どう?分かった?」


 沙耶が千代の顔を覗き込む。

 千代は沙耶に目もくれず、後ろを振り向く。


 「…………友里」


 友里はようやく我に返った様子で、怪訝な表情で千代の呼びかけに応じる。


 「?」


 友里の眼が激しく動揺し、口が別の生き物のように震える。

 そしてその場を後ずさりしながら、脱兎のごとく逃げ出した。

 

 「あっ!ちょっと待って!友里!」


 千代は彼女の背中を追いかけていく。

 千代は自分の方が体力に自信があるので、彼女にはすぐに追いつけると思っていた。しかし、突き当たりの角を曲がり、階段を飛び降りるように降りていく途中でアキレス腱に微かな痛みを感じ、思うように走れなかった。先ほどの試合で、調子に乗って飛んだり跳ねたりを繰り返したせいだ。友里との連携が楽しくて、古傷の痛みを忘れてしまっていた。

 

 友里はやがてある教室へと飛び込み、戸を閉めた。


 そこには『三年E組』のプレートが掛かっていた。

 先輩の教室だが今は迷っている場合ではない―――千代は躊躇いなく、その戸を思い切りよく開けた。


 「友里!!」


 しかし、友里の姿が見当たらない。


 「……」


 教室で休み時間を取っていた三年E組の生徒たちが一斉に千代に視線を浴びせる。そして、それが冷ややかな視線に変わったのを感じた瞬間に千代は口を開いた。


 「あのっ!今、一年の女の子が入って来ませんでしたか!」


 扉の近くに座っていた男子生徒のグループが顔を合わせて「誰か来たか?」と目を合わせて一斉にかぶりを振る。


 「ほんの数秒前です!黒髪のセミロングで、これくらいの身長の女の子です」

 「あの、急に何?」


 頭のねじの緩い人間を見るような目つきで、男子グループのうちの一人が千代に声を掛ける。


 「なので、その、女の子が……」

 「来てないって。俺らも受験生だしさ、見ての通り休み時間も忙しいし。出入りするのはクラスの奴だけだって」


 その男子生徒は眼鏡の座りを直し、面倒くさそうにクラスの人数を数える。


 「―――37、38、……39。うん、ウチのクラスはみんないる、別のクラスの奴もいない。悪いんだけど、部屋間違えてない?」


 千代は確かにこのクラスに入っていく友里の姿を見た。

 それならどこかに隠れてはいないかと千代は教室中を探し回った。クラスの生徒もこれ以上は構ってられないと各々席に着き、千代を訝しげに見ていた。その間に誰も教室を出ていないことは確認した。確かに三十九席あり、誰も彼女を匿っているような素振りもない。このクラスは初めから今もこの状態だった、千代はそれを再確認するしかなかった。


 「友里、なんで……」

 


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