六文字

 「頼もう!」


 沙耶が教室の引き戸を思い切りよく開くと、一年D組のプレートが静かに揺れた。それぞれ昼食をとっていた一年D組の面々は豆鉄砲を食らったような顔をしている。

 肩を揺らしながら我が物顔で教壇に上り、沙耶は教室を見渡す。


 「執行委員の鬼嶋沙耶です」


 そんなことは分かっているとみな頷きながら、口の中のものを急いで飲み込む。


 「ちょっと探し人をしてるんだけど……、この中に花山さんと柿谷さんはいる?」


 生徒たちの顔が教室後方に向く。

 そこにはコンビニのパンを咥える花山莉子と、紙パックのジュースからストローを伸ばす柿谷理沙の姿があった。沙耶は事前に彼女たちの顔を確認していたので、この二人が千代の言っていた人物だということが分かった。

 

 周囲のどよめきを無視して沙耶は教室の真ん中を歩いていき、くだんの二人の前に立つ。花山莉子と柿谷理沙は眉をひそめて、手にしていたパンやジュースを机に置く。


 「花山莉子と柿谷理沙ね。ちょっとつら貸して」


 親指をドアの向こうに突き立て、能面のような笑顔を向ける。


 西棟と東棟をつなぐ連絡通路へとやってきた三人に小荒れた風が襲う。

 残暑の日照りに暖められた生暖かい風が髪を乱す。沙耶はそっと髪をかき分け、そのむき出しになったコンクリートの連絡通路から山々を見つめる。

 この連絡通路は窓がなく、単に建物と建物をつなぐ橋のようなもので、グラウンドの側から見るとちょうど南アルプスの山々に掛かっているように見えることから『やまかけ橋』と呼ばれている。通路を支える橋脚がアーチの形をしていることも、この連絡通路が橋と名付けられる所以である。

 しかし、この『やまかけ橋』には数々の逸話があった。この橋で愛を語ると成就するとか、有名な不良生徒たちの抗争に使われた決闘場とか、いつの時代も特別な意味を持つ場所だった。


 「さて単刀直入に言うわ。偽のラブレターを男子生徒に渡していたのはあなた達ね」

 「はあ?ウチらが?」


 花山莉子が髪をかき上げて顔を歪ませる。


 「しらばっくれても無駄よ。裏は取れてるんだから」

 「じゃあ、証拠見せてよ」

 「証拠は……」


 『証拠』と言われて「千代があなたの文字を見たから」とは言えない。

 そのために千代から、視認できた情景を詳しく聞き出し、状況証拠を十分に固めてきた。


 「あなた達がそのラブレターを書いているところを偶然発見した人がいるの」

 「はあ、どういうこと?」

 「先週のことね、二人しかいない教室で書いたところを…。教室は理科室、移動教室で化学の授業が終わったあとね」


 沙耶は脳内に原稿を並べたように淡々と、慎重に述べる。

 千代の見た情景ではそこまで詳しく説明できない。しかし、机の形や教室の広さ、陽の傾き加減から場所と時間までは想定ができた。厳密には当時の状況と違うかもしれない。だが相手は立て続けに五件も同じ事件を起こした犯人だ、正確な犯行状況を覚えている可能性は低い。

 沙耶は自身の不安を悟られぬよう、ただ花山莉子の眼を見つめた。


 「……っち」


 花山莉子は短く舌打ちする。


 「やっぱりあなた達だったのね。こういう悪趣味なことはやめなさい」

 「別に……、ちょっと、からかいたかっただけじゃん。そんなムキになること?」

 「ああ、そうだったの。からかいたい相手って気になるものよね」

 「そうそう、分かってんじゃん、先輩。アタシもあの手紙は本気だったんだって」

 「あら、そうなの。意外」

 「なんかアタシもいざ行こうとしたら緊張しちゃってさ、伝えられなかったんだよね」

 「なるほど」

 「そう、だから先輩、この件は―――」


 ヘラヘラと笑う花山莉子の顔が一瞬で凍る。

 顔に影が差す沙耶の口角が吊り上がり、瞳が上弦に弧を描くと眼球がぎょろりと動く。それは今にも自分の喉笛を裂かんとする、『鬼』に見えた。


 「じゃあ、今から伝えようか」

 「は?」

 「沖野、出番よ」

 

 そう言うと沙耶の背後から沖野が歩いてきた。風で乱れる前髪をしきりに気にしながら、莉子の眼前まで迫る。


 「ラブレターありがとうな。花ガール」


 照れくさそうにはにかむ沖野を横目に、沙耶は莉子の背中を押す。 


 「さあ、花山莉子さん。愛の告白をどうぞ!」

 「いや、ちょっとこんな…!キモイって」

 「何?さっきは伝えたいって言ってたじゃん、ほらどうぞ?」

 「アタシは……」

 「どうぞ?こんなドラマチックな展開ないでしょ?色んな人にラブレター送ってたくらいなんだから、さぞ期待してたんでしょう?こういうシチュエーション」

 「そんな…、いや」

 「沖野じゃ嫌よねー。でも名前だけじゃなく、頭の中までお花畑の貴方にはちょうどいい相手よ。

 

 沙耶は手のひらを大きく開いて万力のように莉子の肩を強く掴む。

 莉子は肩をひどく震わせて、唇をぎゅっと噛む。


 「早く伝えて」

 「……」

 「早く!」


 「その辺でいいだろ」


 沖野は沙耶の腕を掴み、その手を放すよう促す。沙耶は静かにその手を降ろすと、今度は莉子の影に隠れていた柿谷理沙を睨む。高圧的な花山莉子と対照的に柿谷理沙はじっとその様子を静観していた。それが妙に薄気味悪かったが、彼女からは初めから今回の事件について反省しているような節が見てとれた。


 「柿谷理沙、貴方はこの子の遊びに付き合ってただけかもしれないけど、貴方も立派な共犯よ。この報いは必ず受けてもらうわよ」

 「…すいません」


 理沙は、か細い声で答える。

 そして目を泳がせながら、言葉を続けた。


 「でも、最後に渡したのは沖野先輩じゃないです」

 「どういうこと?」

 「昨日、野球部のサワケン先輩宛てに書きました」

 「それ、渡したの?」

 「今朝、渡しました。……多分」


 柿谷理沙は伏し目がちに『多分』と付け加えた。


 「多分?あなたたちが書いたんでしょ」

 「私たちが書きました。でも、でも、その時もう一人いたような気がするんです、思い出せないけど」

 「何?言い逃れしようとしてんの?」

 「ち、違うんです!ただ、その時もう一人女の子がいて、先輩の名前を……書いたような気が……」


 柿谷理沙によればこうだ。

 いつも二人で授業中に遊んでいる〇×ゲームで、負けた方が偽のラブレターを送ろうという話になった。これまで何度か行ったことのある罰ゲームだったので二人は勝敗関係なく、ドッキリそのものを楽しんでラブレターを書いていた。

 その時、サワケンの名字を指摘してくれた「誰か」がいたのだという。今朝になってそれを三人で投函した。しかし、普段から二人でいることの多い彼女たちには、三人目の友人などいない。だか、その「誰か」が分からない。ずっと昔から気心の知れた仲間のようだったが、今にしてみればそんな友人は初めからいなかった。


 柿谷理沙の眼を見ると、嘘をついている様子はなかった。


 「ふむ……」


 沙耶は顎に手をやり、しばし状況を整理する。


 「沙耶ちゃん、その三人目探すの?」

 

 沖野がため息をついて問いかける。


 「……うん、探そう。悪事千里を走る世の中なんて許せないから」





 千代は体育館に足を踏み入れると、数人の生徒が鉄製のポールを差しているのが見えた。千代は慌てて「遅くなってごめん」と声をかけ、慌てて駆け寄る。今日のバドミントンの授業では自分のクラスがコートの設置を担当しているため、他の生徒が来る前にコートを作って置かなければいけなかった。


 「……んしょ、っと。……ふう」


 ポールにネットを張り、深く息を吐く。


 「ありがとう、鶴来さん」


 背後から不意に女子生徒が千代を呼ぶ。


 「私、このネット張るの苦手で…」

 「…ああ、仕方ないよ。慣れてないとちょっとコツが要るから」

 「鶴来さんは経験者…?」

 「うん、少しだけ」

 「あの、私…、今日ダブルス組むことになってる遠野とおの友里ゆりです。よろしく、お願いします」


 遠野友里は恥ずかしそうに顔を赤らめ、頭を下げる。


 「そっか、今日のダブルスの…。初めまして、鶴来千代です。気軽に千代でいいよ」

 「…うん。じゃあ、私も友里で」

 「よろしくね、友里」

 

 千代は小学生の時にバドミントンと出会い、かれこれ十年近く続けてきた。上郷でバドミントンを打てる者はいないので、豊川まで下りて他校の生徒たちと試合をすることもままあった。中学三年の最後の試合で県大会ベスト8まで駒を進めたが、酷使し続けたでアキレス腱を痛めてしまい、その後リハビリを重ねるも結局は中学卒業とともに競技人生を諦めることとなった。

 

 「久しぶりだな…、ラケット持つの」


 千代はグリップの感触を確かめるように、強く掴んだり離したりは繰り返す。 


 「今はやってないの?バドミントン」

 「うん、やってない」

 「千代ちゃん、部活は?」

 「今は何も。室長の仕事も結構忙しいみたいだし、ちょっと兼任は辛いかなと思って何も入ってないよ。友里は?」

 「私は書道部に所属してるの、だから……、本当に筆より太いものってなんか落ち着かなくて」

 「最初は大変かもしれないけど、慣れれば面白いよ」

 「本当?」

 「うん。ちょっとラリーしてみる?」


 それからしばらく二人はシャトルを打ち合い、ラリーを交わした。

 しかしラリーというには乏しく、友里のショットは当たれば御の字といった様子で、千代が一方的に打つ状況が続いていた。


 「……わっ!っととと」

 「友里惜しかったよ。半身に構えて、スイングはコンパクトに、打点は……、腕を伸ばして、高い位置を意識してっ……!こうっ!」


 千代の打球は小気味良い音を立て綺麗な弧を描いた。


 「すごいね、千代ちゃん。私、今日の試合迷惑かけちゃうかも」

 「友里、ペアに迷惑かけるのは当たり前のことだよ。私だって迷惑かける、でも一人じゃできないことをするために組んでるんだから。気にしないで。もうちょっとやってみよ?」

 「千代ちゃん……、ありがとう。私、頑張るよ」


 教員の笛の合図で試合が始まる。

 友里は始めこそ緊張で体が思うように動かなかったが、千代のサポートのおかげで徐々に得点に絡むようになっていた。千代が粘りのリターンで相手の速いスマッシュを拾い、友里がネット際の甘い打球を相手コートに押し込む理想的な陣形が完成されていた。

 気が付けば、全戦全勝とこれ以上ない結果に二人はハイタッチを交わす。


 「やったね!友里!楽しかった」


 千代は首筋を流れる汗をハンドタオルでふき取る。


 「千代ちゃんのおかげだよ」

 「友里のネット際のプッシュが効いてたから私もやりやすかったんだよね」

 「なんか体が勝手に動いたの、それで…、すごく変な感じだったけど楽しかった。私、あんまり運動とかしないけどスポーツ選手とか運動部のみんながすごく楽しそうにしてる理由…、分かった気がする」


 友里は額の汗を拭って満面の笑みを浮かべる。

 千代もそれに同調するように笑みを浮かべ、手を差し出し握手を求める。


 「友里、また一緒にやろうよ」

 「うん!」


 二人は汗ばむ手のひらを固く握りあった。

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