「あの子の闇が、わたしには見えるの。」

 ベンチに座ってゲームをしている青年は、見るからに暗そうな人だった。

 晴れやかな青空にも目もくれず、うつむいて画面ばかり見つめる物憂げな表情は、ぼくの顔に似ていた。

 ぼくはこういう人間を知っている。なにも考えず、表現せず、行動せず、うつろげな目で生きる人間を知っている。

 それは、ぼく自身だからだ。

「あの男の子に話しかけたら?」

ナツミがもう一度そう言う。いったいどういうつもりなんだ?ああいう人間は関わらない方がいい。自分の世界に閉じこもることで心を守り続けている人なのだから。そっとしてあげた方がいいに決まっている。

 それなのに。

 ぼくは彼の方に歩き始めていた。歩みは止まらなかった。近づいていっても彼は気づかなかった。だからぼくはベンチの隣に座って話しかけなければならなかった。

「やあ、君。そのゲーム、面白いかい。」

言ってしまってから後悔した。なぜ初対面の人になれなれしい態度をとってしまったのだろう?

 彼は黙っていた。どうやらなにも聞こえないようだった。

「ぼく、B組の木村っていうんだ。ここで会えたのも何かの縁だし、話でもしようよ。」

そう言うと、彼はゆっくりとぼくの方に向き直った。そして怪訝そうにこうつぶやいた。

「悪いが、忙しいから話はできそうにない。離れてもらっていいか?」

彼の冷たい視線が、僕の心をつらぬく。

「こちらこそごめん。いきなり話しかけたりして。」

ぼくは妙な薄笑いを浮かべながらベンチから立ち上がり、すたすたと歩いた。そして向かい側のベンチにもう一度腰かけた。

 情けないような、恨めしいような感覚が胸元までこみあげてきて、とても不快だった。ぼくはこのやりきれない感覚を昔さんざん味わったことを想いだした。それは、だれかから疎外されるというつらく、切なく、みじめな気持ちだった。

「ジンくん…。ごめんね…。」

隣でナツミが気まずそうに謝ってきた。ぼくは笑ってごまかすことにした。

「ばか。なんでお前が謝るんだよ。俺がやろうと思ってやったことじゃないか。」

「人って、すぐ友達になれるものだと思ったの。」

寂しそうにつぶやく彼女の声が、屋上に吹く風にさらされてぼくの鼓膜を振動させる。ぼくはナツミに伝えなくてはならないことがあった。

「世知辛いものだよ、世の中なんて。あいつも悪かったと思うけど、俺も悪いところはあった。だれだって、自分がなにかをやっているとき話しかけてほしくないものだ。そんなこと、俺が一番よくわかっている。

 でもな、なんだか話しかけなければならないような気がしていたんだ…。うまく言えないけど、彼に対する同情なんかじゃないし、俺の人間嫌いに対するリハビリなんてものじゃない。ただ、『つながらなければならない』とそう思ったんだ。

 お前は、俺がなぜそう思うか知っているんだろう?」

問いかけると、ナツミは遠い目をしてしばらく口をつぐんでいた。聞こえなかったのかと思い、もう一度問いかけようとしたとき彼女は繊細で透き通った声で言った。

「あの子の闇が、わたしには見えるの。」



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