賢鼠、獅子をして百獣の王ならしめる事
楠瑞稀
賢鼠、獅子をして百獣の王ならしめる事
ある動物の国に、一匹のライオンがおりました。
ライオンは他のどんな獣よりも強かったので、常々自分は百獣の王と呼ばれるのに相応しいと考えておりました。
なので、ライオンは国中の全ての動物に対して、自分を王様と呼ぶように求めました。
しかし、山にいる動物も、川にいる動物も、森にいる動物も、ライオンを恐れるばかりで誰も王様と呼ぼうとはしません。
自分は一番強くて怖い動物のはずなのに、どうして誰も王様と呼ぼうとしないのかと、ライオンはひどく腹が立って仕方がありませんでした。
ある日、ライオンの足下を一匹のネズミが通りかかりました。
こんなちっぽけでみすぼらしいネズミすら、自分を敬うことなく素通りする訳ですから、ライオンは悔しくて悔しくて、とうとう我慢ができなくなりました。
ライオンは怒りに任せ、むんずとその尻尾を踏んづけます。
「わわっ、ライオンさん。どうしたんですか?」
突然尻尾を踏みつけられたネズミは、びっくりしてライオンに尋ねました。ライオンは答えます。
「オレは誰よりも百獣の王に相応しいはずなのに、誰もオレを王とは呼ばない。オレはとても腹がたったので、お前を食ってやることにした」
「待って下さい、分かりました。僕があなたを王様と呼ばれるようにしてあげます。だから僕を食べるのはやめて下さい」
ネズミは慌てて、ライオンにそう言いました。
「本当だな。嘘だったらその時は、お前を頭から丸呑みにしてやるぞ」
「ええ、本当です。どうか任せて下さい」
ネズミが胸を張ってそう言うので、ライオンはひとまずネズミを食べるのをやめました。
ライオンを王様にすると約束したネズミは、まずライオンを連れて川にやってきました。
「この川は、多くの動物たちの憩いの場となっているのですが、たびたび鉄砲水が出るのでみんな困っているのです。ライオンさんは王様の力で、それを解決してください」
ネズミはそう言いますが、ライオンは困ってしまいました。ライオンは確かに他のどんな動物よりも強いのですが、鉄砲水を防ぐことはできません。
「大丈夫です。僕の言う通りにしてください」
ライオンはネズミの言葉に従って、川に住むビーバーの元へ行きました。
「ビーバーよ、百獣の王の名において命じる。この川に、堤防を築くのだ。さすれば、褒美を与えよう」
突然の命令に困惑したビーバーでしたが、褒美と言う言葉があんまりにも魅力的だったので、言われるままに堤防を築きました。
堤防は大きく立派で、これなら例え鉄砲水が起きても、一匹たりとも飲み込まれずに済むに違いありません。
それを見て、ライオンはひとつ頷いて、言いました。
「良くやった、ビーバーよ。褒美として、お前を川の王に任じよう。良く川を治めるように」
ビーバーはその言葉に喜んで、飛び跳ねました。
「ありがとうございます、百獣の王様。自分は川の王として、川を守ります」
それはもちろん、ネズミの入れ知恵でした。
しかし、ライオンは釈然としません。川から離れると、さっそくネズミに言いました。
「おい、ネズミよ。これでオレは、川に住む者の王ではなくなってしまったではないか」
「それでいいんですよ、ライオンさん。さあ、次に行きますよ」
ネズミは不満を口にするライオンを宥め、今度は森へと向かいました。
「この森は沢山の木の実がなるのですが、そのほとんどが高い枝の上に実り、しかもそのまま落ちずに腐ります。なので、地を這う多くの動物たちはいつもお腹を空かせているのです。ライオンさんは王様の力で、それを解決してください」
ネズミはそう言いますが、ライオンは困りました。
ライオンはとても恐れられておりましたが、木には登れません。なので、自分で木の実を落とすことはできないのです。
「大丈夫です。僕の言う通りにしてください」
ライオンはネズミの言葉に従って、森に住む猿の元へ向かいました。
「猿よ、百獣の王の名において命じる。己が食べない分の木の実を、地面に落とせ。さすれば、褒美を与えよう」
突然命令され困惑した猿でしたが、ライオンが恐ろしかったので言われた通りにすることにしました。
猿が木の実を落とすと、弱く小さい生き物たちがそれを食べにやってくるので、森は随分と賑やかになりました。
それを見て、ライオンはひとつ頷いて、言いました。
「良くやった、猿よ。褒美として、お前を木の上の王に任じよう。良く森を治めるように」
その言葉に、猿は喜んでウキキっと鳴きました。
「ありがとうございます、百獣の王様。おいらは木の上の王として、森の生き物を助けます」
それも、もちろんネズミの入れ知恵でした。
しかしライオンは、やっぱり釈然としません。森からはなれると、さっそくネズミに言いました。
「おい、ネズミよ。これではオレは、森に住む者の王ではなくなってしまったではないか」
「それでいいんですよ、ライオンさん。さあ、次に行きますよ」
ネズミは訝しげに問うライオンに平然と答え、今度は乾いた草原へライオンを連れて行きました。
「この草原はとても広く平らなのですが、雨は疎らにしか降らず、水場はすぐに干上がります。なので、草原に住む多くの動物はいつも水を探すのに苦労しているのです。ライオンさんは王様の力で、それを解決してください」
ネズミはそう言いますが、ライオンは困りました。
ライオンにとってこの草原は生まれ育った馴染みの場所でしたが、ライオン自身もまた水を飲むのに苦労している一匹でした。
「大丈夫です。僕の言う通りにしてください」
ライオンはネズミの言葉に従って、草原に住む馬の元へ向かいました。
「馬よ、百獣の王の名において命じる。水場を見つけたら草原を駆け巡り、他の生き物にその場所を伝えろ。さすれば、褒美を与えよう」
突然やってきたライオンに怯えて逃げようとした馬でしたが、ライオンの言うことには確かに一理あったので、命じられた通りにすることにしました。
馬がその逞しい足で見つけた水場を告げて回ると、草原に住む生き物たちはみんな飲み水に苦労しなくて済むようになりました。
それを見て、ライオンはひとつ頷いて、言いました。
「良くやった、馬よ。褒美として、お前を草原の王に任じよう。良く草原を治めるように」
その言葉に、馬は喜んで足を踏み鳴らしました。
「ありがとうございます、百獣の王様。わたしは草原の王として、草原の生き物を助けます」
当然、それもまたネズミの入れ知恵に決まっておりました。
しかしライオンは、どうしたって釈然としません。ライオンは草原を離れると、苛々しながらネズミに言いました。
「おい、ネズミよ。これでオレは、とうとう自分の生まれ育った草原の王ですら、なくなってしまったではないか」
「それでいいんですよ、ライオンさん。さあ、次に行きますよ」
ネズミは憮然とするライオンにあっけらかんと答えると、今度は山に、その次は海岸にとライオンをあちこちに連れて回りました。
その度にライオンは、ネズミが言うがままに困り事をその地に住まう動物に解決させ、褒美としてそこの王へ任じていきました。
そんな訳ですから、とうとう動物の国は余すことなく、それぞれの地をそれぞれの動物が王として治めるようになったのでした。
「おい、ネズミよ。これはどういったわけだ」
薄々おかしいと感じていたライオンでしたが、ある日とうとう我慢の限界が来ました。ライオンは勢いよくネズミのしっぽを踏んで、怒鳴りつけます。
「お前はオレを王にすると約束した。だが実際はどうだ。お前は他の動物を王にするばかりで、オレは結局どこの王にもなれやしなかったではないか!」
「いいえ、ライオンさん。あなたは確かに百獣の王になりましたよ」
「嘘をつくな!」
ライオンは猛々しく吼えたてます。ネズミは怯むことなく首を振りました。
「嘘ではありません。その証拠に、ライオンさんがこれまで訪れた場所に、もう一度行ってみてごらんなさい」
ライオンは険しげに咽喉を鳴らすと、ネズミを咥え上げます。そしてぽいっと自身ののたてがみの上へ、ネズミを放り投げました。
「ならばあと一度だけ、お前の言うとおりにしてやろう。だがそれが嘘だったら、その時は今度こそ、お前を丸呑みにしてやるからな」
「もちろんそれで構いません」
ライオンはネズミを乗せたまま、川へ向かいました。ビーバーが王として治めている川です。
川にたどり着いたライオンに、すぐさまビーバーは気付きました。ビーバーは嬉しそうに水面を叩いて、ライオンに呼びかけます。
「ようこそ、百獣の王様! 見て下さい。言われた通り、ちゃんと川を治めていますよ」
川辺では、たくさんの動物たちが鉄砲水に怯えることなく、くつろいでいます。
川辺の動物たちはライオンに目を止めると、口々にライオンにお礼を言います。
「百獣の王さま、ありがとうございます」
「こうして安心してここにいられるのも、全部あなたのおかげです」
「百獣の王さま、万歳!」
ライオンはびっくりして、目をぱちくりと瞬かせました。
「そ、そうか。ではこれからも、良く川を治めるように」
ライオンはなんとかそれだけを言って、川を後にしました。頭の上では、ネズミが誇らしげに胸を張っています。
次にライオンは、森へと向かいました。猿が木の上の王として治めている森です。
森にやってきたライオンに、すぐさま猿は気が付きました。猿は嬉しそうに木の間を飛び回り、ライオンに言います。
「いらっしゃいませ、百獣の王様! ほら、どうです。ちゃんと言われた通り、森を治めていますよ」
森の小さな生き物たちも、ライオンの足元に次々と集まってきてはお礼を言います。
「ありがとう、百獣の王さま」
「あなたのおかげで、毎日木の実が食べられます」
「百獣の王さま、万歳!」
ライオンは唖然と彼らのお礼を聞いていましたが、なんとか気を取り直してうなずいてみせました。
「そ、そうか。ならばこれからも良く森を治めるように」
ライオンの頭の上では、ネズミが当然と言わんばかりにうなずいています。
次にライオンは乾いた草原へとやってきました。ライオンが生まれ育ち、そして今は馬が王として治めている草原です。
草原にやってきたライオンに、馬はすぐに気が付きました。馬は遠くから真っ直ぐに駆け寄ってきて、ライオンに言います。
「よくぞいらして下さいました、百獣の王様。お言いつけどおり、きちんと草原を治めております」
草原に住まう生き物たちも、これまではライオンを見つけると一目散に逃げるばかりでしたが、もうそんなことはありませんでした。
「百獣の王さまが来てくれたぞ!」
「あなたがここで生まれ育ったことを、誇らしく思っていますよ」
「百獣の王さま、万歳!」
ライオンは込み上げるものをぐっとこらえると、なんとか言葉を絞り出して、言いました。
「そうか……。ではこれからも良く、草原を治めるのだぞ」
ライオンの上ではネズミが、満足そうに目を細めています。
その後もライオンが足を運ぶたびに、そこの王がライオンを敬い、歓迎し、その地に住まう動物たちは口々にライオンを褒め称え、お礼を言います。
そんなことを幾度も繰り返し、ライオンはもはや納得せざるを得ませんでした。
「ネズミよ、オレはお前に礼を言わねばならない。お前は約束通り、確かにオレを百獣の王にしてくれた。心から、感謝する」
ライオンはネズミをそっと下ろすと、深々と頭を下げて感謝の言葉を述べます。
ネズミは照れ臭そうに、しっぽをぱたぱたと振りました。
「ライオンさんが百獣の王になれたのは、ライオンさんにその素質があったからです。僕はその手助けをしたまでですよ」
「そうか。ならばこれからは友として、百獣の王となったオレを助けてはくれまいか? もちろん、もう食ってやると脅かしたりはしないと約束する」
「もちろんです。光栄に思いますよ、百獣の王さま」
ライオンは嬉しげに咽喉を鳴らすと、今度は優しくネズミを咥え上げ、自分のたてがみの上に乗せました。
ライオンはその後もネズミの助言に耳を傾けながら、百獣の王として、動物の国に住む動物たちを助けていきました。
そのお陰で、ライオンの名声はますます高まる一方でした。
それは小さなネズミの、決して長くはない寿命が尽きるまで続きました。
その頃にはライオンは、百獣の王として動物の国中に認められるようになったおりました。
百獣の王としての立場を盤石のものとしたライオンは、年老い、床から起き上がれなくなったネズミに向かって言います。
「これまで長きにわたって、良くオレを助けてくれた。ネズミよ。褒美として、お前を百獣の王に任じよう」
それはライオンの本心からの言葉でした。
かつてあれだけ執着した百獣の王の地位でしたが、それを譲り渡してもまったく惜しくないほどに、ライオンはネズミに深く感謝していました。
しかしネズミは、ヒゲを震わせると、小さく笑って首を振ります。
「いいえ、ライオンさん。僕はもっと素晴らしい褒美を貰っています。それは百獣の王の友達と言う地位です。僕はそれを心から誇りに思っているんですよ」
ライオンは黙って、その小さな友の体に頬を摺り寄せたのでした。
百獣の王の頭の上に小さなネズミの姿を見なくなってからも、ライオンは動物の国でずっと百獣の王であり続けました。
助言をくれる友がいなくとも、ライオンはずっと、あのネズミならなんと言うだろうか、こうするだろうかと、考えながら過ごしていたからです。
やがてライオンもすっかり年老い、自ら百獣の王の地位を退きました。
しかしライオンを王として慕う動物は、それからも後を絶ちませんでした。
生まれ育った草原でくつろぐライオンの元に、集まってきた若い動物たちは尋ねます。
「百獣の王さま。あなたが王さまになれたのは、やはり他のどんな動物よりも強かったからですか?」
「いやいや、きっと誰からも恐れられている存在だったからに違いないよ」
彼らは口々にそう尋ねますが、ライオンはそのどれにもうなずくことはありません。
(オレが百獣の王になれたのは、一匹の賢いネズミが友達でいてくれたから。ただ、それだけに他ならないさ)
ライオンはたくさんの動物に囲まれながら、そう誇らしげに目を細めるのでした。
賢鼠、獅子をして百獣の王ならしめる事 楠瑞稀 @kusumizuki
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