56限目 右手に誓った日

 次のラウンドが開始される。


 相手は強気で、開幕早々に前ジャンプで仕掛けてきた。ジャンプキックからの通常技の応酬。

 先生はこれを全てガードで凌ぎきると、再び攻め込もうとしてきた相手に足払いを決めた。間合いを詰め、攻めに転じる素振りを見せたかと思えば、起き上がったばかりの相手を掴みなげ、再びダウンを奪った。


 これには会場が湧いた。ダウンを奪うと試合のリズムが変わってくる。先程の足払いといい、今の投げといい、相手はリズムを崩されてかなりやりづらいはずだ。


 相手は起き上がると同時に距離を取った。闇雲な接近戦は危険だと判断したのだと思う。強引な姿勢を改め、前後に小刻みに動いて間合いを測っている。先生もそれに合わせて静かに前後移動を繰り返し、容易には間合いを掴ませない。


 そんな状態が数秒にも及んだ。HPは先生が有利だ。ガードに徹していた先生はほぼノーダメージ、相手のHPは二割ほどが消失している。

 対峙している本人たちにしかわからない駆け引きがキャラクターの微妙な前後移動に表れてはいるが、試合展開としては膠着状態といってもいい。ただただ、ラウンドタイムだけが減少していく。このままタイムが0になれば先生の勝ちだ。もちろん、相手がそれを許すはずはない。


 ここで相手が動いた。少し間合いを詰め、小刻みに蹴りを振ってきたのだ。柔軟性を生かした美脚の蹴りはリーチが長く、それを当たっているか当たっていないかの絶妙な距離で振ってきている。


「おおー、うめぇな」


 先生がつぶやくのも無理はない。こちらの攻撃は届かない距離、だけど相手の攻撃だけは届く。そんな、体で覚えなければ実現できなそうな間合いを、敵は維持し続けているのだ。たかだか蹴りとは言え、油断してヒットすれば、そこからどんな追撃があるかわからない。


 だが先生もしぶとくガード対応している。ガードしっぱなしにするのではなく、距離を詰めようと対応しているのだ。甘い攻撃をしたら即反撃できるぞ、そういう姿勢を、前進とガードという動作だけでチラつかせている。


「これが格闘ゲームなんだ……」


 そんな言葉が自然と口からこぼれた。


 僕の知っている格闘ゲームというのは、もっとこう、大味だった。攻めている側だけが楽しめるような、爽快だけど冗長なコンボを引っ提げて、ガンガン攻める。だから、コンボのうまいやつが勝つ。そういう、反復練習の先にある「魅せゲー」のようにさえ思っていた。


 だけど、眼前で繰り広げられているのは、まったく別の世界だ。


 必殺技?

 コンボ?

 そんなものはまるで知らない。


 そう言わんばかりに、タイムリミットを背負いながら、通常攻撃一発分のHPをやり取りしているのだ。



「だけど、まだまだだな」



 そこから、先生の反撃が始まった。

 相手の不規則に差し込まれるけん制の蹴りをバックステップで躱すと、走って距離を詰めようとした相手に強力なカウンターパンチをお見舞いしたのだ。


「おお!」


 おそらく全員が反射的にそう言った。誘い込まれる形で攻撃を繰り出そうとしていた相手には痛恨のクリティカルヒット。のけぞりが長くなっているところへ、先生は強攻撃のオンパレード。リズムを崩された相手はガードのタイミングが合わなくなり、ほとんどサンドバッグ状態だ。そしてあっという間に、相手のHPは0になった。その展開に会場からは拍手が上がった。


 続く第二ラウンドも、相手は手も足も出ない。はたから見ると、敵が先生の攻撃に当たりに行っている、そんな風に見えてしまうほど、敵は一方的にHPを奪われ、あっという間に床に伏せてしまった。


「先生、すごい!」


 気が付けば、隣の灯里が叫んでいた。拍手の中でも彼女の声はよく通る。弱弱しいはずなのに、そういう雑音を突き抜けて僕の鼓膜に届く。灯里は先生に身を寄せて、感動を表現している。


「強いんやね、先生」


「たまたまだよ。彼より俺の方が長生きだった。それだけさ」


「……? どういう意味?」


 その言葉の意味は僕もよくわからなかった。


 そうこうしている間に、向いの座席では別の対戦者が腰かけ、コインを投入している。見た感じ学生のようだが、今の先生のプレイを見ても挑んでくるあたり、自信はあるらしい。僕なら絶対にしない。


「井出、ちょっと」


 そんなことを考えながらぼんやりしていたら、先生と目が合った。手招きに応じてみれば、先生は僕の肩を押して、半ば無理やりという形で座席に座らせた。


「すまんが俺はもう帰る。あとは頼んだ」


「――え、ちょっと――」


「せいぜい楽しむんだぞ。それじゃあなー」


 そう言って先生は後ろ手で手を振りながら消えて行ってしまった。


「そんな――!」


 手を伸ばしても、その人混みの先に先生の姿はもうない。画面には挑戦者の文字が表示されているし、モニター越しには怪訝な表情を見せる対戦者の顔がある。逃げられるわけがなかった。

 僕たちは自然と顔を見合わせていた。事態を飲み込むことと、覚悟を決めることを同時に迫られ、もはや笑うしかなかった。





「まぁ、あれはしょうがないんじゃないかな」


 帰り道。隣を歩く灯里は僕に気を使ってくれているらしい。別に負けたことがショックだったわけではないのだけれど、いつになく口数の少ない僕が彼女にそうさせているのだろう。


 意を決して戦いはしたものの、結果は火を見るより明らかだった。むしろそれ以上に明白な形で「負け」を突き付けられたのだ。


「やっぱり、うまい下手ってあるんだなって。ゲームって奥が深いんやね」


 自分も男としてそれなりのゲームプレイ経験があるわけだから、いくら相手がうまいからと言っても、何もできないなんてことはないだろうと思っていた。


 しかし結果は、惨敗。文字通り、何もできずに負けた。これは別に初めてそのゲームを触ったからだとかそういう次元ではなく、なんというか、ゲーマーとしての自力で負けた、そんな感覚だった。この感覚を、おそらく先生に負けた相手も感じていただろう。


「そうだね。勝ちたければ、練習しかないってことなんだろうけど」


 それにしても、今になってどうしてFIGHTING JUNKIEがあんなに盛り上がっていたのだろう。見た感じ最近の作品だというのは分かったけれど、最新かといえばそうでもないような――


「――あ」


 僕は思い当たると同時に、ポケットからスマートフォンを取り出し、検索バーに文字を打ち込んた。


「――やっぱり」


 『G甲子園 ゲーム』の検索結果に表示されているのは、G甲子園の公式サイトとニュースサイト。一つを選んで表示させたら、その答えはすぐに分かったのだった。




『G甲子園の種目ゲームが決定。格闘ゲーム部門は名作「FIGHTING JUNKIE」を大会用にチューン。8月に全国ゲームセンターでローンチ』




 その時、先生の言葉が頭をよぎった。


 ——まぁ、ちょっとした研究だよ――


 格闘ゲームは個人種目。PSBRによる予選大会を勝ち抜いた本選出場チームしか参加資格が与えられない、選ばれたゲーマーたちによる大会種目だ。


 そんなゲームを、ゲーマーである先生が、わざわざこんなところまで来てプレイする理由。それが本当に研究なのだとしたら。



 ――先生は、僕たちの予選突破を信じてくれている?



「先生……」


 そう思うと、胸が熱くなった。


「……? たっくん、どうしたん?」


 思いあがりかもしれない。


 でも先生は、僕たちには常に本気で接してくれていた。それだけはわかる。

 たしかに、そのやり方は不器用で、時に斜め上で、到底理解の及ばないものだったりしたけれど。


「灯里」


「はい?」


 個人種目に出場することになれば、格闘ゲームの出場者は、おそらく僕だ。それが自然だ。それを先生が僕に言わないのは、予選に集中させるため。余計なプレッシャーを与えないため。


 あの不器用な先生なら、きっとそうするだろう。


「がんばろうね」


「……うん」



 右手の違和感を意識するたび、あの日のことを思い出す。


 多くの人がシリアスに対応するたび、僕は苦しくなる。より酷くならないようにと、僕から作業というものを次々に取り上げていった。それは気遣いだったのかもしれない。でも僕は、まるでこの右手が故障してしまったかのような、僕という個人が不完全なものになってしまったかのような錯覚に陥るのだ。それは、僕の心を冷ましていった。


 だけどあの日、先生が僕を呼び出した日。先生は、僕にその腕の使い方を教えてくれた。初めて、生かす方法を提案してくれたのだった。僕に、新しい居場所をくれたのだ。



「見ててくださいよ。先生」



 僕は拳を握った。



 その右手は、確かに、強く握りしめられていた。

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