それぞれの夏休み:井出琢磨とFJ
53限目 琢磨
早朝の風は気持ちがいい。
習慣というものは、なかなか抜けないらしい。不必要になったからといってどうにかなる訳でもないらしく、それが数年間にも及んでいるとなるとなおさらだ。
別に誰かに課せられたわけでもないし、体力をつける必要があるのかといえばそれも違う。
ただただ、持て余しているだけなのだ。
走りたい。
目覚めのきっかけはいつもその欲求だった。相も変わらず訪れるそいつのおかげで、今でも目覚まし無しで決まった時間に起床できる。その正確さは呆れるほどで、厄介なことに平日も休日も関係がなかったのだ。おかげで僕は学生生活が始まってから二度寝というものをしたことがない。
なかなかベッドから抜け出せない。そんな話を同級生から聞くし、低血圧の人は本当に辛そうだけど、そういう意味では、僕は恵まれているのかもしれなかった。
そう考えれば、この早朝のランニングにも意味があるかも知れなかった。
少し行けば、遊歩道に出る。
この辺りは比較的新しい街で、その設計の段階から色々な導線が確保されている。その中でも特徴的なのが、この遊歩道だ。
回遊道と呼ばれるその道は、簡単にいえば大きな円を形成し、およそ十キロに渡って市街地を貫いている。その道中は学校と公園が数件あり、さらに主要な商業施設や駅も含まれていて、一度も車両道路を横切らずに済むようになっている。子供達は交通事故というリスクを追うことなく、安心して通学できるのだ。
その道を、僕は走っている。
それは運動部時代の習慣だった。中学に進学するのと同時に入部したテニス部で、最初に課せられたのがランニングだった。それ以来、僕は毎日欠かさずにこの道を走っている。
走ることは好きだ。無心になれる。一日のスタートをすっきりした頭で迎えられることは、生きていく上で大きなメリットだと思う。正直、僕が同学年に比べて落ち着いていると言われるのは、この習慣から来ているんだと思っている。
でも、だからと言って、心が大人だとは思わない。
むしろ、僕は幼い。それを表に出さずに済む術を知っているだけで。
もし僕が本当の意味で大人なのだとして、しっかりと自分の気持ちにケジメをつけることができているんだとすれば。
きっと、こんな自虐的なことを続けていたりはしないだろうから。
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