46限目 休日の校舎

 休日の学校は、軽くホラーだ。


 日頃ひごろ人が入り乱れていて騒がしい空間だが、休日になると驚くほど静かになる。土日ならば部活動や補習でなんだかんだで人がいて安心感が得られるが、夏休みとなってくると話は別だ。


 何が別かというと、静けさのレベルがだ。そのあまりの静けさに、逆に不安になってくるのだ。


 学校はかなりの敷地面積がある。校舎の周りはそれなりののスペースが設けられているし、グラウンドだってある。これだけの面積を持つ施設というのは実はそうそうない。


 その途方もない広さの空間が、完全に無人となるのだ。


「静かですね……。なんか、廃校みたい」


「だろ? 慣れるまで時間がかかったよ」


 俺達はその静まり返った構内を、歩いている。夏の動植物達の息吹がガラス越しに遠く聞こえ、こちらの一挙一投足が、廊下の先まで響き渡るのがわかる。まるでこの世界からすべての人間がいなくなってしまったのではないか。そんな気さえするのだ。


「こうしてみると、歴史を感じますね。普段はなかなか気がまわらないところですが」


 本校の校舎は古い。それは実際の経過年数もそうだが、見た目もそうだ。風情を大切にする方針ゆえ、繰り返される修繕も元の意匠を大切に構築されている。昨今では珍しい木製の床、提灯のように点在するダウンライト。さながら大正ロマンといった風情で、そこにしっかりと制服を着こなした女生徒が歩けば、まさに尊いというものである。


「そうだな。なんていうか、今日のお前の格好だと、余計に雰囲気が合うな」


「ようやく褒めてくれましたか」


「いや、まぁ、そうだな。なんていうか、照れ屋なんだよ、俺は」


「ふふ。ではお世辞ということにしておきます」



 俺たちがこうして構内を歩いている理由は簡単だ。


 カフェで個人種目についての説明をすると、悠珠はほとんど二つ返事でそれを受けてくれた。最初は懸念だった学業・生徒会・部活の並立も問題ないことがわかり、むしろそれよりも勝利への渇望と退屈の方が深刻だったらしい。


 ならば善は急げということで、その足で学校まで出向いてきた訳だ。



「しかし、神埼は家が近くていいな」


 待ち合わせたカフェは、学校最寄り駅から数駅の主要なターミナル駅の構外にあった。同時にその駅は神埼の最寄り駅ということらしい。歩く距離にもよるが、ドアトゥドアで三十分はかからないだろう。


「ええ。なにせ、それが志望動機ですからね」


「そうなのか?」


 部室を開けると、真夏のもわっとした風が吹き出てくる。俺は部屋の電気と同時にエアコンを全開にしながら、悠珠を向かい入れる。


「通学時間は、はっきりいって無駄ですからね。短いに越したことはありません」


「まさしくその通りだ。だが、受験競争は激しかった訳だろ?」


 悠珠はおしとやかに俺の前を通過し、部屋の中央まできたところで振り返った。その表情は自信に溢れ、言わなくてもわかるだろう、と言いたそうだ。


「学年代表の生徒会書記様には関係のない話だったか」


「よろしい」


 書紀様はごきげんそうにいつもの席に腰掛けた。慣れた動作でPCの電源を投入すると、流れるようにキーボードを叩き、ログインする。


「まぁ、他にも理由が無いわけじゃないんですが、粗末なものです」


「ほう、それは興味があるな」


 そう言うと、悠珠は後ろに立つ俺に振り返り、画面を指さした。さっそくインストールをしてくれ、という事だろう。俺は「かしこまりました」と小さく言って、マウスに手を伸ばしてインストール作業を代行する。顔が悠珠の髪のあたりに近づいて、いい匂いがする。


「一つは環境を変えたかったことですね。できれば、同じ学校の出身者がいないところがいい。距離を取ればそうなるでしょうが、通学に時間を取られるのも考えものです」


「なるほど」


 中学時代に味わった、人間関係のこじれ。

 いじめとも取れるそれは、悠珠にとっても苦しいものだったのだろう。

 

 悠珠は俺の顔をちら見し、どう解釈するかを確かめているようだった。俺が淡々としているのを見て、意地悪そうな顔をモニターに向けている。


「そしてもう一つは……」


 俺が不思議そうにモニター越しに視線をあわせると、手のひらを顔にあて、そっと耳打ちしてきた。


「頭の悪い人とは同じ空間にいたくなかったんです」


 直に鼓膜に届いた言葉は、普段の悠珠からは想像できない強烈なものだった。


「また辛辣な」


 リアクションにこまる俺の表情を見て、なぜだか悠珠はご満悦な様子だ。


「あ、逃げましたね。まぁいいでしょう。でも、ほとんどの人はそう思っているんじゃないですか?」


「まぁ確かにな。だが一方で、自分よりも能力が下の人間を見て、安心するってタイプもいるじゃないか」


「まさにそういう人たちのことですよ」


 悠珠にしてみれば、集団で人を追い詰めるような人間は御免こうむりたいのだろう。彼女が経験してきたことを考えれば、そういう思いに至るのも無理はないと思う。


 しかし、彼女は実際に頭の出来が規格外だ。彼女からしてみれば、たいていの相手はそこに収まってしまうのではないだろうか。それは年上だろうと教師だろうと、関係ない。


「もちろん、先生は特別です」


 インストール画面を見ながら考えにふけっていた俺の顔を、悠珠が覗き込んでくる。


 近い。



「こんな話、先生にしかできません。斉藤先生だから、話したんですよ」


 そういう悠珠の表情は、まるで初恋でもしているかのようだ。


「ありがたいことで」


 ちょうどインストール完了のポップアップが表示され、俺は起動ボタンをクリックしながら、立ち退く。


「照れましたね。ふふ。先生、かわい」


 ――まったくそのとおりだ! めっちゃドキドキしただろうが!

 だが、俺はそんなことを顔に出したりしない。教師だからな。


 ――そのために、自分の尻をつねるくらい訳ないぜ。


「大人をからかうのはいけませんよ、お嬢様」


「はい、先生」


 余程このやり取りが楽しかったのか、おてては膝の上でおしとやかにしているのに、足先が机の下でバタバタしている。



 どうやら最近の悠珠は、俺が慌てたり照れたり回答に困ったりするのを見ることにハマっているらしい。薄々感づいてはいたことだが、本当の悠珠はなかなかな性格をしている。


 とはいえ、年頃の少女らしいと言えば、そのとおりだ。むしろ普段の悠珠の立ち振舞の方が不自然なのだ。まるで誰かが絵に描いたような優等生像は、本人が目指したのか、周囲から望まれたのか。柔らかく穏やかだが、スキがない。そんな彼女に憧れを抱く生徒が多いというのも、また皮肉なもんだ。


 ――そう考えれば、たまにはこういうのも悪くない。

 俺はそう思うことにした。


「さ、戯れは終いだ。画面を見てみな」


 モニターには、美麗イラストが映し出されている。深淵のように黒い石版には無数のヒビが放射線状に走り、その中央には、七色に輝く鉱石が埋め込まれている。


legendレジェンド ofオブ Stoneストーン。これからお前が向き合うゲームだ」



 神埼悠珠は、それを目を輝かせながら見ていた。

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