45限目 生徒との向き合い方@カフェ
悠珠の濡れた視線が、俺の言葉を待っている。胸の前で握られた華奢な手が、彼女の内面を映し出しているようだ。
「わかった。……神埼、俺に見せてくれ。今のお前のありのままを、な」
「えっ……。こんなところで……? やだ、恥ずかしい……」
「いまさら何を言っているんだ。お前は今日、そのために来たんだろう?」
その言葉に、悠珠は小さくうなずいた。そして意を決したように胸のリボンを緩め、第一ボタンを静かに開け放つと、ゆっくりとその手を腰まで回して……
「先生、ちゃんと見てくださいね。――本当の私を」
彼女の手のひらが、机の上に置かれた俺の手に覆いかぶさる。そう、それは心と一緒になにかを託すかのような、柔らかい手付きで。
ずっしりと重い。これが彼女の真実だと言うのか。
彼女の手がゆっくりと俺の手から離れていく。けれど重みは減らない。そうして俺の手のひらに残ったものを見れば――
――それはスマートフォンだった。
「お前の今のありのままを、しっかりと見届けるぜ!」
俺はそのスマートフォンを眼前にすくいあげた。そしてそこに映し出されているものを見て、思わず絶叫した。
「すげーーーーーーー!」
「しっ! 声が大きい!」
周囲を見渡すと、数名がこちらを迷惑そうに見ていた。俺は会釈でその視線を蹴散らし、人指指を突き出している悠珠を手のひらで静止した。
「すまん。いや、それにしてもすごいなこれは。初めて見たぞ」
悠珠から託されたのは、悠珠のスマートフォンだった。そこに写っていたのは一枚の写真である。
「ふふふ。私にかかればお手の物ですよ」
それは美少女攻略ゲーム「高校妻と始める異世界新婚生活」のセーブデータ確認画面だった。保存された日付の他に、攻略可能な美少女の簡易顔アイコンが連なっていて、その横には攻略度を示すパーセンテージが表示されている。同じセーブデータを使用して周回攻略したそれは、全てのキャラクターで120%を示している。
「隠し要素も全部とか、尋常じゃない」
このゲームは難易度をハードに設定すると、ゲーム中の一部のモードが鬼畜難易度へと変貌する。特に代表的な妹キャラについては「わずか三分でデッサンを完了しろ」という正気を疑う設定である。それをクリアするだけでも神がかり的なのだが、その上で「スキなもの」を一緒にデッサンして高得点を獲得することで、ボーナスデッサンステージに進むことができるのだ。
「これは……ごくっ。いい、じゃないか……」
次の写真には、そのボーナスデッサンステージでの挿絵が映し出されていた。ネット界隈で報告に上がっていた、「空手着姿バージョン」である。
話によれば、「練習につきあってよ」と言われた主人公と二人だけの道場でバランスを崩して転倒、覆いかぶさった結果、床ドンを決めた上に素晴らしいはだけ具合とメス顔を拝むことができるらしいのだ。
スレでは早く見せろというコメントが殺到していたが、最初に攻略報告した人物の「自分でモノにしてみせろ」というリプが流行し、以降、ゲームを愛する輩達はネットにそのカットを挙げることはなかった。文字通り、自分で攻略した人しかこのカットはお目にかかれないのだ。
「まぁこんなところではあれですし、よろしければお送りしますよ」
「おお、すまん! ぜひそうしてくれ」
俺はそう言って彼女の手にスマートフォンを返した。
「で、どうだった?」
「……最高でした」
俺と悠珠はそこからしばらく、「高校妻と始める異世界新婚生活」の会話に花を咲かせていた。どんな子が良かったとか、攻略ポイントについての話題は
……生徒とエロゲーについてカフェで談義するのもどうかと思うのだが。
「なるほどな。しかしそれだけやり込めば、流石に飽きちゃうよな」
俺はコーヒーを飲みながら言った。俺の頭の中には悠珠から届いたメッセージがあった。
悠珠が最初に送ってきたのは「たすけてください」だった。短い返信のあとに返ってきたのは弱気な発言で、元気づけようと送ったメッセージには「冗談です」と返ってきた。
「なんだよかまってちゃんかよ」と一瞬思ったのだが、悠珠にしては珍しい。合宿以降、俺をおちょくる素振りはポツポツと見られたのだが、こうしてわざわざメッセージに進出してまでするには、それなりの理由があると思ったのだ。
そして「見てほしいものがあります」ということで、こうして今日、カフェに集まった、という訳なのだ。
「はい。そうなんです。だからもう、退屈なんです。つまらなくなっちゃったんです」
聞けば、彼女は「高校妻」に飽きてしまったとのことだった。
夏休みのゲーム部は基本的に夕方遅くまでやったりはしないので、普段よりも大分早く帰れる。彼女はそれ以外の時間を勉強やゲームに費やしたが、持ち前の頭脳によってメキメキ吸収したおかげで、ゲームはこのように完全攻略、勉強も試験範囲外を大幅に前倒ししたところまで進んでしまったらしいのだ。
「私、このままお盆に入ったら、おかしくなりそう」
お盆期間中は部活は行わない予定だ。そうなれば彼女は余計に時間を持て余すことになる。
「先生が悪いんですよ。合宿中に、あんなに楽しいことを教えてくれるから」
勝負に本気で勝つことの喜びを知った悠珠のプレイはもちろん激変した。有利なポジションを取り続けることに長け、特に出待ちと狙撃にセンスがあった。遠慮するという事をしなくなり、純粋に勝利を求める姿はかっこよかったし、何よりその時の悠珠の表情たるや。
「まぁ、確かにそれについては俺にも責任があるなぁ」
彼女の力を引き出すために、その内面を肯定したのは俺だ。結果オーライなのだが、一度勝利の味をしめたら、再び追い求めてしまうのが人間なのだ。
だが今、彼女の生活にはそれがない。物足りなく感じてしまうのは仕方がないだろう。
「弟がやってるゲームを一緒にやってみたりしたのですけれど、なにか違うんですよね」
「ああ、モンバスか」
「なにより弟がああだこうだと
モンバスは狩りゲーで、いわゆるCOOPと言われる協力攻略が基本だ。プレイヤー同士が対戦するものとはまた少し違う。
「勝利の喜び、か……」
俺は飲み干したコーヒーの底を眺めながらつぶやいた。グラスの中で崩れていく氷達を見ていると、記憶や思考の断片をかき集めている気分になる。
そして昨晩、考えていたことといえば。
「なぁ、神埼」
俺はグラスを置いて身を乗り出し、悠珠に言った。
「個人競技に出てみないか」
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