42限目 デビル・サマナー

「お前はさっき、勝負に興味がないと言っていた。お前にとって、何かで結果を出すことはあたり前なこと。それが普通なんだ。でもそんなこと、誰にだってできるわけじゃない。そんなお前にあこがれて、必死に努力をした奴もいたはずなんだ。だから、お前にその努力を見てほしくて、知ってほしくて、勝負を挑んできていた。同じ土俵で、渡り合ってほしかったんだ。――だけど、お前はそうしなかった。そこに勝負を見いだせなかった。相手はどうだったか。ただただ、お前の絶対的な力に、打ちのめされただけなんだ」


 勝負は、常にルールの中で行われる。ルールが存在するからこそ勝負が成立する。その舞台に立つために努力した人間は、それが勝者だろうと敗者だろうと、常に敬意が払われる。


 ボクシングは、リングの中でルールを適用して初めて、暴力という概念から開放されるのだ。リングの外で放たれる拳は、単なる暴力に過ぎない。


「だからお前は勝者じゃない。お前は無自覚のうちに力を振りかざして、知らぬ間に相手を打ち負かしていたんだよ。お前にとっては相手が勝手に倒れただけに見えることでも、相手から見れば、ものすごい力で突き飛ばされたように感じたのかもしれない」


「そんな」


 悠珠は、そういう存在だったのだ。


 悠珠に勝負を挑んだ人間は、ただただ彼女の絶対的な力に敗れた。悠珠に勝負の意識がない以上、そこにルールや敬意はない。彼女はただそこで生きていただけだ。


「お前は自分の力の大きさを知らなかった。扱い方を知らなかった。お前の知らないところで、お前のちからが、勝手に敵を作っていたんだよ」


 知らぬ間に敵を作ってしまう、なんてことは、経験がある人もいると思う。そういう時、その人が及ぼす力が無自覚に周囲に悪影響を及ぼしていたなんてことが、これまたよくある。


 ――だが、その逆だってあるのだ。


「要は扱い方だ。力のあるものは、力を自覚すべきなんだ。そしてその扱い方を、誰よりも真剣に考える必要がある。スーパーマンが闇雲に力をつかったら、その世界はどうなってしまう? それと同じだ。その力が及ぼす影響を理解して、弱者を守るために、悪を打ち倒すためにだけ使うんだ。そういうことができる奴を、人はなんて言うかしってるか。それはな。――『ヒーロー』って言うんだ」



 ヒーロー。

 それは、圧倒的な力を持った、救世主。



「お前は頭がいい。人よりも先回りできることも多いのかもしれない。なら、それを活かせ。その力があることを認識して、それを誰よりも正しく使うべきだ」


 俺は無意識のうちに悠珠の頭をなでていた。その真っすぐな瞳がこちらを射抜く。


「急に言われても……。私、私は、どうしたらいいんでしょうか」




「勝負に勝て」




 大きな力は驚異だ。常識を越えた優秀さは、時として畏怖の対象となる。

 だがそれは、その下に付き従う者にとっては、この上ない信頼となる。


「勝負に勝て。お前はその力で、人の上に立てる。だからそれを、勝負で証明しろ。そして、それを維持しつづけろ。それを続けていれば、力の扱い方がわかる」


「で、でも。それで皆を負かしてしまったら……。皆を傷つけてしまうのでは」


「大丈夫だ。それが試合の中なら。――逆に考えろ」


 俺は彼女の両肩に手を乗せた。



。なぜならそれが、ルールという枠組みに守られた、スポーツの真の姿だからだ」



 オリンピックは世界各国のパワーバランスの縮図でもある。人間は何かを比較せずにはいられない生き物だ。スポーツは、そういう根源的な感情を満たすものだ。



「……本気を出しても、いいの……?」


「そうだ」


 彼女の顔が、少しずつ紅潮していく。


「じゃあ、次の手が読めたら、それを阻止してもいいの……?」


「当たり前だ。それが勝負の駆け引きだ」


「じゃあじゃあ、相手が一番困りそうなことをやっても、いいの?」


「どんどんやれ。それが的確であるほど、お前は勝利に近づく」


「思いつく限りのことをして、その人のやりたいことを全部やらせずに、私はやりたいことをやっていいの?」


「ああ。それが戦いの舞台だったなら。――その時、お前はヒーローだ」



 その時。悠珠の額から、何かがこぼれて、俺の手に滴りおちた。

 喜びながら、泣いていた。

 恐らく初めて、自分が奥底に秘めていた感情を肯定されたのだろう。処理しきれない感情が、そこに溢れてしまっているのだろう。



「力を持ちながら正しく使わない奴は悪だ。……俺はお前に、ヒーローになってほしいんだ。それは何より、お前自身のために。お前の助けを必要としている人のために」


「助けを必要としている人……?」


「ああ」



 俺は美月のことを、簡単に話した。彼女に起こった悲劇は伝えずに、ただ、進級がかかっているということ、そしてそれに本気で挑んでいることを。



「美月さん……そんなこと、一言も……」


「多かれ少なかれ、人には言いにくいことってのがある。あいつは自分の問題を仲間に押し付けたくなかったんだろう。あいつらしいじゃないか」


 いつのまにか、あたりはもっと暗くなっていた。月を黒い雲が覆い、いよいよ明日の大雨が濃厚になってきた。長居をすれば、降られてしまうかもしれない。


「っと、いよいよ雲行きがやばいな。とりあえず、一旦入るぞ」


 俺がそういって踵を返すと、その背中の裾が引っ張られた。

 ――そして、温かい感触が、俺の背中に触れた。



「……私、やります」



 それは、悠珠の額だった。


「もう、逃げません。勝負の土俵にたって、戦います。なってやりますよ。ヒーローに」


 その声は、悠珠の額から背中を伝わって、体の芯まで響き渡った。






 合宿所に戻ると、やたらと帰りが遅いことを美月に詰問きつもんされた。俺が適当にあしらっていると、「夜のデートは気持ちよかったですね」と悠珠が意味不明発言をし、おかげで俺は美月からローキックを喰らう羽目になった。



「美月さん」



 そんな美月の前に、悠珠が立ちはだかる。袋から炭酸飲料を取り出し、それを美月に突き立てる。




「私、負けませんから」




「……望むところよ」




 この日、神崎悠珠は大富豪で全戦全勝した。

 戦神「デビル・サマナー」の才能が産声を上げた夜だった。

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