41限目 教師とふくれっ面
「現金で。あ、あと領収書ください」
学校付近のコンビニである。
レジ台には炭酸飲料やスポーツドリンクとお菓子、それに大人向けシュワシュワと各種つまみが並んでいる。それを若い店員が手早くしかし少々雑に袋に詰めていく。俺は財布に忍ばせた封筒から数千円を出した。
俺の後ろには不満そうな顔を向けている悠珠がいる。合宿中の飲酒について苦言を呈されたが、結局買うことに不満があるらしい。
「まぁ、いいじゃないか。大人には貴重な息抜きなんだよ」
会計は一応酒類とその他で分けてもらった。二つに別れたビニール袋を受け取り、振り返ると、悠珠は腰に手を当てて、じーっとこちらを見ている。そう言えば、この子の眉毛がへの字になっているのを初めて見た気する。
俺が片方の袋(軽い方だ)を突き出すと、諦めたように大きなため息をついた。
「わかりました。わかりましたよ。そのかわり、自分で持ってくださいね」
そう言って、店外へ歩いていく。俺は領収証を受け取って、その後に続く。
「ずるいですよね。何かあると、おとな大人って。それを言われたら、私達学生はいったいどうしたら良いのやら」
悠珠は遠慮なく俺への不満を、世間への不満とリンクさせた。これほどの子だ、世の構造に何も思わないことはないだろうけれども。
さて、先の展開からの急な場面転換について説明しておこう。
先程の路地で、悠珠の間違いを指摘しようと言葉を選んでいた時のことだ。すぐ近所の家の玄関がカチャッと開き、寝巻き姿のおばさまが顔を覗かせたのだ。
俺たちはここで我に返った。
夜遅くに人気の少ない路地で、男女が声を荒げ、そして一方は半泣きという状況である。俺は彼女を壁に追いやっており、何かまずいことをしているのではないかと疑われても仕方のない状況である。
何事かと心配したご近所さんが様子をみるべく顔を出したのであろう。俺と悠珠は言葉無く意思疎通し、そそくさとコンビニに駆け込んだという訳だ。
「さっきは、その、すみませんでした。取り乱したりして」
先の言い争いの現場にさしかかった時、悠珠が急にそう言った。冷静な声だが、前をみる彼女とは目線が合わず、その表情はわからない。
「わかっているんです。これは、自分の問題だって。世間のせいにしてはいけない。もちろん、先生のせいにだって。あれは、八つ当たりです。どうしようもないことを指摘されて、悔しかったんだと思います。……本当にごめんなさい」
コンビニにいたのは極わずかな時間だが、その間にも夜は一層深まった感じがする。聞こえてくるのは二人の足音だけだ。その中を、彼女の済んだやわかい声が、優しく響いている。
「神埼。その件なんだがな」
今更蒸し返すのはどうなのか、そう思う人もいるだろう。少女から女性に移り変わる、そういう微妙な年頃の娘が、自分から収束させようとしているのだ。大人ならそれに応じてやれというのもわかる。
だが、俺はやはりそういう訳にはいかなかった。
だってそれは、彼女にとっては「諦める」ということに他ならないから。
「そうやってすぐに諦めることが大人になるということだと思っているなら、やっぱりお前は間違っているよ」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
俺たちはなんとなく、空を見上げながら歩いた。月は雲の合間を縫うようにちら見するだけだ。
「お前の理論は破綻している」
「破綻、ですか。どういうところがですか」
「勝者というのは、常にその功績を周囲に認められた者が手にする称号だ。だから勝者は称賛され、目標にされるんだ。勝者が虐げられることは、ありえない」
「なるほど。もっともですね」
「じゃあ、なんでお前がそんな目に合わなくちゃいけなかったのか。その本当の理由が、俺にはわかる気がするんだ」
「本当の理由、ですか」
「ああ」
「性格が悪い、とか」
「違う」
俺は立ち止まった。悠珠も立ち止まり、俺を見つめた。
「お前は、勝者なんかじゃなかったんだ」
彼女の黒くて澄んだ瞳が、より一層大きくなった。
「そもそもお前は、勝負の土台にすら、立っていなかったんだよ」
俺の指摘に、動揺している様子はなかった。それはつまりどういうことなのか、彼女の瞳が、俺の次の言葉を待っていた。
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