38限目 一点読み
夜の校内は薄暗くて気味が悪いが、慣れてしまえばどうということはない。とりわけ部室棟付近は、LEDライトの改修があったので比較的明るい。コンクリートで整備された道がアーケードのように本棟まで続いていて、上履きのまま渡れるようになっている。
近くのコンビニまでは、途中を折れて裏門を出て、学校の塀沿いに進んでいけばいい。夜空に星はなく、明日の天候不良を示唆するどんより具合だが、それでも歩ける夜道だ。
「夜の学校って、不思議な感じです」
そこを、悠珠と俺は歩いていく。先生と生徒が、浴衣を召して夜道を歩くという、なんだか不思議な光景だ。
そんなシチュエーションが気まずいのか、薄暗が怖いのか。悠珠は珍しく多弁で、普段なら言わなそうな、意味が薄いことを口々にしている。
「考えてみれば、夜に学校に入るなんて、そうそう無いですよね。宿題を忘れたら取
りに行くとかあるのかしら。でもそれなら私は変わりに早朝に行くかも」
その様子を知りながら、俺は彼女にずっと背を向けたままだ。
「だけど、そもそも忘れ物をするってことは、お前には無いんじゃないか」
すでに百メートルほど歩き、間もなく角に差し掛かろうというところ。そこを抜ければ通りがあり、対岸には目的地のコンビニだ。
「確かに、そうですね」
悠珠の返事には、消沈した雰囲気が伴っている。なぜ俺がドライな対応なのか、理由はわかっていないだろうが、感じとっているのがわかる。そんな時でも、大人な対応をする。悠珠は、そういう子だ。
――だが、俺はそれが気に入らない。
「神埼」
俺は角で立ちどまり、そして彼女もそれに合わせて立ち止まった。
「先生……?」
俺はゆっくりと振り返り、悠珠の目を厳しく睨んだ。突如向けられた感情に、思わず悠珠も後ずさりする。少しよろけて、塀に肩をぶつけている。
そして。
「先生!?」
俺はそこに覆いかぶさるようにして、左手を壁に叩きつけた。つまり、壁ドンである。
「せ、先生。……少し、怖いです」
俺はそのまま彼女をにらみ続け、言った。
「なぜ手を抜いた」
彼女の瞳孔が開き、月明かりが反射する。まるで猫の目のようだ。
「いったい、何を……」
「とぼけるな。全部分かってる」
その言葉に、彼女の表情は抜けていった。こわばっていた体も、脱力していく。壁ドンをされながら、嘘みたいに冷静な表情の女子生徒が、そこにはいた。
「最後の試合、お前は灯里に花をもたせただろう。手札は確認した。そこに、しっかりとAが二枚あることも。それだけじゃない。お前は今日一日で、一体何回勝利を捨てた?」
「何を言うかと思えば。勝利を捨てる、だなんて、あの手のゲームで確実な勝利なんてあるわけないじゃないですか。私にそんなこと、わかるわけ……」
「いいから言ってみろ。何回だ」
俺は彼女をより一層強く睨んだ。さすがに男性に壁ドンで睨めつけられると、たまらないらしい。眉をへの字に曲げ、顔を横に反らしている。はだけた首周りに月明かりが降り注ぎ、その細くて華奢な体が浮き彫りになっている。彼女はいよいよ堪忍したと言った様子で、ため息の後、言った。
「四回です」
――やはり。
その言葉の後、今後は挑戦的な目を俺に向けた。俺の胸を押して壁ドンを解除させた後、壁によりかかりながら、語り始めた。
「最初に先生が上がった次の回と、三試合目はだめでしたが、四、五、そして最後の回。さっきも言った通り、確実なんてものはないでしょうけれど、先生が言えというなら、それくらいですね」
「お前、カードを把握できていたんだな」
「はい。それはもう、はっきりと」
カードの把握。
それは、頭の回転と記憶力が優れたものだけに許された、カードゲームの必勝法だ。
トランプでは使用するカードの枚数と種類が最初から明らかになっている。その上で、大富豪では「手札は見えない」が「捨て山は見える」というルールがある。つまり、捨てられたカードを全て覚えることで、「手札に残っているカード」の種類が全てわかる。そこに、どういうシーンで誰が何をした、という行動と、手札の枚数を見れば、「誰の手札に何があるか」を読むことが可能だ。
悠珠はそれを一点よみ、つまり、ほぼ完璧な形で把握できていたと言ったのだ。
「誰に習った?」
「習うって。トランプにカードの種類があることはわかりきっていることじゃないですか。私は大富豪をやったのは、今日が初めてですよ」
相手の手札がわかれば、大富豪は勝てる。
悠珠は持ち前の頭脳で、それを瞬時に理解し、身につけたのだ。
悠珠はその上で、あえて負けていたのだ。
悠珠は接待プレイをしていた。
勝てる勝負を、自分から捨てていたのだ。
「最初の質問に答えろ。勝てるとわかっていたなら、なぜそうしなかった」
悠珠は苦悶の表情を見せて、うつむいた。
「なぜって、それは……」
俺はこの時初めて、彼女の内に住まう闇と対峙することになるのだった。
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