39限目 おしえてください

「それは、岩切先輩が勝ちたがっていたから」


「なんだと?」


 俺の大きな声に、彼女の肩がびくっと揺れる。


「だって、嬉しそうだったんです。やっと勝てるって。他の人も一生懸命でした。私は一番年下ですし、勝ち続けたら、感じが悪いとか、そう思って。だったら、勝ちを譲った方が、都合が良いじゃないですか」


 悠珠はうつむいたまま続ける。その艶髪が街灯で浮き彫りになる。


「……お前、それ本気で言っているのか」


「この期に及んで嘘なんてつきませんよ。皆は勝ちたかった。私はそうじゃなかった。それだけの話です。たかがトランプじゃないですか」


 その時。


 俺の中で、何かが音と立てて、切れた。


「――、だと」


 腹の底で響くような俺の声を聞き、自分の失言に気がついた悠珠は、顔をはっとあげた。


「ふざけるなよ!」


 足音さえ遠くに届きそうな夜道。

 無意識に放たれた俺の怒号は、あたりいっぱいに響き渡った。


「トランプは立派なゲームだ。むしろ、トランプほど多様で庶民的で公正なゲームは存在しないと言っていい、究極のゲーミング・アイテムだ。他人が何をどう評価しようが、それはそいつの勝手だ。そいつの人生の中の尺度で各々が解釈すればいい。だがな、それでも俺は、お前の発言を許す訳にはいかないんだよ。――なぜならお前は、他ならぬだからだ!」


 悔しい。


「俺達は常にゲームに対してイエスでなきゃならないんだよ。ただでさえ誤った知識や偏見で卑下されがちなコンテンツだ、俺達はそんなゲームを、誰よりも正しく評価し、共有して、世間にそれを示していくべきなんだよ。それを、たかが、だと。負けてもいいだと。そんなの、遊びでやってるからそう思うんだろう、そう言われたら、俺達は何も言えないんだぞ!」


 ゲームはエンターテインメントだ。

 人々の生活を豊かにするために生まれた、至高のコンテンツであるはずだ。


「俺達はをやってる訳じゃないし、にしている訳でもない。俺達はゲームというコンテンツに本気で向き合って攻略していく、ゲームをスポーツとして扱うんだ。だから部活なんだよ。でやるかどうかは個人の自由だがな、少なくとも俺たちは高等教育機関に存在する部活として、んだよ」



 俺は昔のことを思い出していた。



 ゲームがオリンピック公式競技に選抜される前、ゲーマーの世間的立場は極めて悪かった。

 ゲームは時間の無駄、ゲームにのめり込む奴は病気、ゲームは勉強の邪魔。

 しまいには、ゲームが脳に悪影響を与えるだとか、殺人衝動を云々とか。ほとんどが印象で、極端な例を取り出しただけの、なんの科学的根拠も無いことをどこぞの偉そうな人がいい、それを大衆は鵜呑みにする。

 まるで、ゲームをすることがいけないことみたいに。

 

 悲しかった。

 

 今でこそゲーマーは未来の日本を担うものとして祭り上げられているが、そんなもの、一過性に過ぎない。日本人特有の、流行り廃り感情のハリボテだ。実際はゲームの素晴らしさを微塵も理解していない。


 ――もしこれで、オリンピックの舞台で日本勢が惨敗したら?

 

 卑下の感情に、国として負けた悔しさが、その国民の感情が、ゲーマーに向けられる。


 今度こそ、日本にゲーマーの居場所は無くなってしまう。


 だからせめて。

 自分の生徒だけには、正しく理解してほしいのだ。

 そして、人々を導いてほしいのだ。気づかせてあげてほしいのだ。

 


 本当は、人々がゲームを必要としていることを。

 

 

 俺は顧問になる時、その努力を辞めないことを誓ったのだ。





「……何、アツくなってるんですか」

 

 沈黙を切り裂いたのは、小さな体から発せられた、冷たい言葉。


「そんなの、先生の理想じゃないですか。生徒に押し付けないでくださいよ。だいたい、勝ち負けがなんだっていうんですか。それにこだわって、何だっていうんですか。何が得られるっていうんですか」


「お前っ! さっきの話聞いて――」


 その時だった。




「ちゃんと教えてくださいっ!! 先生!!!」




 ――神埼悠珠が、叫んだ。


 小さな体から絞り出されたそれは、悲鳴のようだった。



「ちゃんと分かるように教えてくださいよ。先生。だって先生、私は知らないんですよ。ゲームだどかスポーツだとか競技だとか、この際なんだっていい。勝ったからって、偉いんですか? 何がが得られるというんですか? そんなの教科書に書いてないじゃないですか。授業でだって教えてくれないじゃないですか。むしろ失うものばかりじゃないですか。!」



 小さな手が、俺の浴衣の襟を掴んだ。震えて、軋んでいる。


「先生。お願いします。先生しかいないんです。教えてください。私に、答えを、教えてよ……」



 それは、彼女の心の音だったのかもしれない。

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