26限目 先生と子猫

「イラッシャーセー」


 近所の弁当チェーン店である。本日のオススメは特製唐揚げ弁当らしく、ご丁寧に入り口に平積みされている。手書きポップにはその横に「女子にオススメ!お野菜彩り弁当」と書かれていた。それらを手に取り会計を済ませる。


「アザーシター」



 自動ドアが開くと真夏の太陽が眩しい。アスファルトから立ち上る陽炎かげろうの量もこれまた凄まじい。蝉の大合唱が無いだけ幾分マシだが、これは早くも本格的な熱中症対策が必要であろう。


 俺がこうして一人で弁当をぶら下げているのは、今、俺の家で教え子がシャワーを浴びているからだ。字面にするとひどくいかがわしいが、クリーンな関係だ。そう思いたい。


 彼女がシャワールームに入ったのを確認したのち、白いワンピースを若干興奮しながら手早く広げて品質表示マークを確認、洗濯機に叩き込み代わりの衣類を置いてくるというミッションを終えてきた所だ。天気がいいのが幸いだ、彼女が家路につくころにはすっかり乾いているだろう。


 とは言え流石に外食に連れていけるわけもなく、こうして弁当を買いに来ていた、という訳である。


 美月のイマドキ女子コーセーっぷりに安心していた俺だが、今日の姿を見て思った。やはり彼女は白鷲高校の生徒に相応しいお嬢様だ。衣服に無頓着の俺ですら彼女のワンピースが安物ではないのは分かったし、メイクも母親の手ほどきを受けていると断言出来る。女性としての教育を受けるとこうも育ちが違ってくるのかと思ったくらいだ。


 そんなお嬢様が扉一枚挟んですっぽんぽんになっている等と思うと、男やら教師やらいろんな理性がせめぎ合って落ち着いていられなかった。

 

 二次元の高校生はそれはもう魅力的で即エロゲーに採用できるが、リアルの高校生に欲情するなどよっぽど訳わからんと思っていたが、そもそも二次元は三次元をもとに作られているのであって確かに素晴らしい逸材が三次元にもいる訳で、例えば俺の部屋でシャワーを浴びているあの―――


「ぶるぶるぶるっ!」


 そこまで考えて俺は馬のように首を振った。


 

---------



 さて玄関前である。自宅を前にして緊張しなければならないのが悲しい所だ。


 玄関を開けると部屋の扉が閉められていた。自分では絶対しない行動になんだかむずむずする。靴を脱ぎ、その中扉をゆっくりと開ける。


「ただいま」


「あ、おかえり。ドライヤー借りちゃった」


 そこにはソファに女の子座りをしながらドライヤーを通す櫻井美月がいた。俺の貸した白いポロシャツ一枚を羽織り、胸元のボタンは全開。ズボンを履いていないが微妙に長いポロシャツの丈のおかげで色々上手く隠れており、いわゆる「履いてない」が発生している。いろいろキケンだ。太腿が素晴らしく綺麗だ。


「お弁当買ってきてくれたの?ありがとー」


 そう言ってまたドライヤーをかけ始めた。使い慣れたシャンプーの匂いと女の子の匂いが部屋に充満していく。


「…彼女がいるってこんな感じなのかな…」


「ん?なんか言ったー?」


「なんでもない」


 俺は弁当をローテーブルにおいて腰掛けた。左には美月がいる。素晴らしく眼のやり場に困るシチュエーションだ。


「おまたせ。いろいろありがとうございました」


 そうこうしている間にドライヤーは終わったようだ。彼女はそう言って手早く髪の毛をゴムでまとめる。


「おなかすいちゃった」


「そうだな、食べるか」


「わーい」


「お前こっちな、女子にオススメだってさ」


「ありがと。センセは何?」


「俺は唐揚げ」


『いただきます』


 食べ慣れた味だが、こうして人と食べる弁当は美味しいのだなと改めて実感する。


「ところで美月、ズボン履かなかったんだな」


「あー。なんか、おっきすぎて…」


「そうか、それはすまんかった。タオルかなんかかけておくか?」


 その言葉に美月は自分の足元を見て、ポロシャツの裾を引っ張って伸ばした。


「見える?」


「いや、見えない」


「そっか、じゃあ大丈夫だよ。寒くないし」


 そう言って美月は照れ笑いする。


「いや、うん、だが、まぁあれだ、なかなか際どいぞそれ」


 俺は思わず反対側を向いてしまった。


「ふぅん。ふぅーん。ね、センセ。そういうの、興味あるの?」


 美月は背後からにじり寄りいじらしい声で言う。振り返ればおそらくいつもの生意気な顔があるのだろう。だが俺は断じて振り返らないぞ!


「大人をからかうんじゃありません」


「あ!ずっるーい!センセ、そういう逃げ方するんだー。男らしくなーい」


「…そういうお前こそ、なんていうかその、そういう目で見られるのは…嫌じゃないのか?」


「……なんでぇ?」


「いや、ほら、そのさ。痴漢とかにあったんなら、そういう目で見られたりとか、そもそも男が嫌いになったりとか…なったりするのかなってな」


 俺の核心をついた質問に、しかし美月の回答は予想に反するものだった。


「それはないかな」


「そうなのか?」


 その瞬間、温かいものが俺の背中を包み込んだ。美月が後ろから首に抱きついてきていた。


「痴漢は嫌。だけど、男の人が嫌いってのは違うかなーって。私は女だし、やっぱり可愛く見られたいし、いずれは素敵な人とお付き合いしたいなって思うもん。私は兄弟いないけど、中学の時は男の子とかと結構遊んでたよ。パパだって男だし、太センセだってそうじゃない?でも全然嫌じゃない。むしろこう、うーん、もっと…」


「もっと?」


「甘えたいって感じ?」


「…もう十分甘えてるじゃないか」


「ふふ。でも本当そんな感じ。だから嫌いではないし、そういう目で見られるのもしょうがないって感じかな。だけどやっぱり満員電車は怖い。さっきも言ったけど、何も出来ない自分を思い出してそれが悔しくて辛い。自分でもわかってるんだ。もっと頑張らなくちゃって。だけど、誰かに認めてほしいのかも。お前がんばってるよって」


 彼女の声は先程と違って落ち着いていた。淡々と、自分の感情を整理するように言葉をつないでいく。俺はそんな彼女の頭を、後ろ手で撫でてやった。


「お前がんばってるよ」


 辛い時の「誰かに甘えたい」という気持ち。不思議とそれが同性には出来なくても異性には出来てしまうことというのが、稀にある。難航する就職活動に心が折れそうな時、ケツを叩いてくれたは女友達だった。彼女は別の学校に就職したが、今頃どうしているだろうか。


「へへ、言わせちゃった」


「言わされちまった」


「あー。そこは普通、そんなことないよって言ってくれる所じゃないのー?」


「その手には乗らん」


「ケチ。と、言う訳で私は少しずつ前向きに頑張ってみようと思うんだよね」


 そう言って俺の首から手を話し、膝立ちしながらガッツポーズをしている。その目はいつもの生意気な美月のものだった。


「ほーう、それは頼もしいな。俺は応援してるぞ」


 振り返って茶化した直後、彼女の顔がぱぁっと明るくなり、今後は前から抱きつかれた。彼女の柔らかい髪が頬を撫でる。


「本当?応援してくれる?」


「おう、応援してるよ」


「ちゃんと見ててね。私、頑張るから」


「ああ、ちゃんと見てる。だから頑張れ」


「…困ったら、助けてくれる?」


 淡々と授業をこなすだけの毎日を送っていた俺が、こんな感情を抱く日が来るとは思っていなかった。半年前の俺ならそんな事は口が裂けても言えなかっただろう。だが今は、自信をもって言えるのだ。


「当たり前だ。俺はお前の先生なんだからな」


 偽りのない、本心だった。



 ---------



「と言っても、どうするか具体的には考えてないんだけどね。やっぱり少しずつ慣らしていくのがいいのかなって。でももうすぐ夏休み入っちゃうし…」


 唐突に彼女が笑いだしたのをきっかけにハグを解除した俺たちだが、なんとなく急に気まずくなり、思い出したように話題を振ってきたのだった。彼女は体育座りをしながら前後に揺れている。


「ああ、その事なんだけどな。俺は考えてみたんだが、まず行動に移すっていうのも非常に大切ではあるんだが、それ以上に相手を知るって事が大事なんじゃないか」


「相手?」


「そう。この場合は、美月の恐怖の対象だ。それを相手。具体的には、美月がどんなものに恐怖を感じているかを知る、ってところだな。さっき男は嫌いじゃないって言っていたけど、怖くないのとは別だ。いつもは平気でも怖い時もある。ならば、どんな時に怖いと思うかを知れば、対処もしやすくなるんじゃないかって思ってな」


「満員電車じゃなくて?」


「それは状況だしアバウトだ。もっと細かく知る事が近道なんじゃないかと思うんだよ」


「うーん。具体的って言ってもなぁ。知るって言ってもどうやって…」


「俺にいい考えがある」


 俺はそう言って立ち上がり、PCデスクの上においてあったそれを手に取った。

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