23限目 真夏の果実
暑い。死ぬ。
おしとやかなな女性が見たら軽くひくほど大量の汗を流しているその訳は、この夏本番の最中に窓全開で自室を掃除しているからだった。
25歳。独身。彼女は二次元に行ったっきり。
そんな男の自室の惨状なんて想像に容易いだろう。その想像通り、むしろその上を行っているかも知れないそれを、俺はこうして休日の朝っぱらから徹底的に掃除しているのだ。
ちなみに言っておくが、俺は良くあるラノベの主人公のように何故か家庭的だったり高い料理スキルを持っていたりなどしない。なぜなら俺の青春は、そんなスキルを高める時間があるならコンボを練習し、包丁を握る替わりにコントローラーを握りしめるものだったからだ。
さて、己のダメ男っぷりを鼻高々に自慢した後で恐縮だが、そもそもなぜこんな時期に、俺はこんな苦行にふけっているのか?
わからないだろうな。
俺も初めてだよ。
ところで俺のケータイに届いたメッセージを見てくれ。
『先生の家に行きたい。』
こいつをどう思う?
―――――――――
決意を胸に校長室を飛び出した俺はしかし中々行動に移せずにいた。
一人にしない!なんて息巻いていた訳だが、さて実際こうして本人を前にすると、何をしていいのか全くわからない。それから数日は観察を考察に費やしていた。
その成果として、美月のプレイ中に発生する異常について以下のように分析した。
①トラウマによるもので、一種の
②ゲーム中に限らず発生する
③驚く、怖い、等の感情によって顕著に発生する
彼女の症状については生活に影響を及ぼしている点で①に片足以上突っ込んでいると思う。②は実際に満員電車に乗れないという結果がそれを証明している。そしてゲーム中に見られるのが、③、という訳だ。ただこれも彼女と接しているのが部活内に限定されているから気付かないだけで、事ある度に発生している可能性は十分ある。
俺は精神分野に明るくない為、専門的な事はわからない。だが、彼女の普段からの発汗量の多さ。これも幾分関係しているのではないかと考えている。もし彼女が日頃より強いストレス環境に置かれている場合(非常に濃厚だが)、緊張状態が続きその生理的反射により「のぼせ」が引き起こされている可能性がある。
人間は怒りを覚えると極度の緊張状態に移行し、血圧が上昇、その結果のぼせる。顔が紅潮したり汗をかくのはこの為だ。怒りという感情に限定されなくとも、緊張状態に移行すればそうなる。例えば大事な本番前等、いわいる「アガっている状態」だ。
春先、初めて対面した時のこと。彼女は暑いにも関わらず腰にカーディガンを巻いていた。その後幾度か制服の着用について注意はしたが、結局梅雨明けまでそれを手放さなかった。
もしかすると彼女はうまく体温調節が出来ないのかも知れない。緊張状態から開放されれば血圧や体温が下がる。代謝機能が低下する為に体感温度は下がるのだ。彼女がカーディガンを手放さなかったのは、乱高下する体感気温に対応する為だったのではないか。
そう考えると、そもそも彼女は肉付きが良い方ではない(一部を除いてだが)。むしろ寒がりだっておかしくない。
こうしてみると、彼女のその症状は意外と深刻だ。いかに生徒をちゃんと見ていなかったのかがわかる。
このままじゃいかん、という焦りから、俺がまず目標に掲げたのは、
1、
2、共感する
3、恐怖対象を共有する
の3点だ。話を聞いて理解を示し、彼女の中を安心感で満たし、可能なら具体的に何が怖いのかを突き止める。
3が達成出来た場合、仮に彼女の症状を緩和出来ずとも、例えばFPSゲームならびっくりする事が比較的少なくて済む「遠距離狙撃プレイヤー」に育てれば良い。彼女の性向は完全に近距離突進型ではあるが、現状のままでいるよりは矯正した方が彼女の為になる。トラウマを悪化させる心配はなさそうなら、反復練習で慣れさせていけばいい。
とにかく、今彼女の中で「何がトリガーとなっているか」を知る事が先決だ。
―しかしだ。
「アプローチできねぇぇええ!!!!」
話題が繊細すぎるのだ。他の部員がいる所なんて無理だし、授業の合間にするような話でもない。部活が終わればみんな揃って帰るしで、もう殆ど詰んでいた。クソ、一次元増えるだけでこんなにも攻略が難しくなるなんて!
そうこうしている間に7月は半ば、金曜日。今日もタイミングが見つけられず、部員は全員帰ってしまった。一人寂しく部室に残され、追い詰められた俺は最終手段に出る。
SMS《ショートメッセージサービス》だ。
これなら最近の若者のコミュニティツールを扱えなくても、電話番号だけ知っていればダイレクトに本人にアポイントメントが取れる。生徒の携帯電話番号は名簿管理上控えてあった。教師と生徒間での個人的な連絡のやり取りは世間的にも色々アレだが、だがしかし!もうこれしか無い。
時間がないんだ。美月、俺の想いを受け取ってくれ!
そして俺のレフトフィンガーが火を吹いた!
『顧問の斉藤です。突然連絡して申し訳ありません。今後について相談したいので、お時間を頂けませんか?ご連絡お待ちしております』
なんというビビリな俺!
生徒に対して敬語な上、業務連絡か。しかも日本語が色々おかしい。
落胆する束の間、すぐに俺の携帯が鳴った。美月からの返信だ。
『おけまる。いつ?』
なんてフランクな回答。俺の悩み通したこの30分を返せ。
と心の中で叫んでいる内に次が。
『おけまる ← オッケーって意味ね』
「知っとるわ!」
思わず誰もいない部室で叫ぶ俺。そして間髪入れずに次が。
『日曜日は?』
なるほど日曜日か。それなら時間もゆっくりとれるし、貴重な休日だが致し方ない。
『では日曜日でお願いします。どこかいい場所ありますか?』
相変わらず敬語な俺だが出だしがそうなので仕方ない。そしてすぐさま返信に携帯電話が光る。
『もしかしてデート?』
「違うわ!」
俺も送りながらなんかちょっとそんな雰囲気…ドキドキ。とかしたわ!
『学校は嫌』
それを見た俺は眉間に
『では学校以外で、櫻井がくつろげる場所にしましょう。行きたい所とかありますか?先生はどこでも大丈夫です』
実際教師の俺としては場所の選定に困る。カフェならそこまで不自然でないかもしれないが、周囲に話を聞かれれてしまう訳だし、公園なんてロマンチックな場所はあまり知らない。というか公園で先生と生徒が休日に一緒にいるってなんか色々誤解されそうだ。
主導権を相手に委ねるのが一番無難な気がするのだ。それがきっと彼女の心を開かせやすくする。ふふ。俺も伊達に美少女ゲーをやりこんでないな。あっちの世界なら俺はモテモテだぜ。
しかし次のSMSが、そんな俺を現実に引き戻した。
『先生の家に行きたい。』
―――――――――
そんな訳で俺は部屋を快適にすべく掃除しているのだった。最寄り駅を伝えたら
『ナビあるからイケる』
とのことで、直接家に来る事になっている。最後のゴミを捨てて掃除機を掛け終わり時計を見ると、時刻は10:45分。11時の約束まであと少しだ。机の上のホコリ等を入念に拭き取っていた時、チャイムがなった。
「はいはーい」
俺は宅急便でも受け取るテンションでドアを開け放った。そして目を見開いた。
そこにいたのは櫻井美月だった。だが、俺の知っている櫻井美月では無かった。
いつもより控えめなウェーブをハーフアップにして、トーンを押さえた大人なメイク。透明感のある真っ白なワンピースにミュール、そしてスカイブルーのスカーフのワンポイント。
…この清楚なお嬢様は一体誰だ?
「…おはよ、太センセ。…早く来すぎちゃった、かな」
真夏の陽光の下、清涼感ある彼女の存在が眩しい。少し照れながら髪を耳にかけるその仕草が、しおらしい。無意識に俺の喉が鳴った。ダレダヨコレ。
「入っていい?」
なぁみんな。こいつをどう思う?
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