才能覚醒編

櫻井美月の場合

20限目 櫻井美月の異変

 毎年この時期になると「○年ぶりの猛暑」と決まりきったフレーズで視聴者を煽るテレビには辟易とする。前例があるのだから今更慌てふためくことは無いはずなのに、なんでもそう言いたいからと理由をかき集めて、そこに収束する。

「この異常気象も地球温暖化のせいだ」と。


 とは言え今年の猛暑は本気だった。7月初旬にしてこの暑さ。アスファルトだけでなくグラウンドの土からも陽炎が立ち上っている。このままの勢いで8月に突入したら一帯この国はどうなってしまうのだろうか。


 教室では生徒の体調への影響を懸念し、早くもエアコンが全力で稼働している。熱中症になるよりはマシ、という事で温度は低めに設定され、寒がりな生徒はカーディガンを羽織って授業を受けていた。暑いのにカーディガンが手放せない。どこかのオフィスレディ事情がここ白鷲高校でも発生していた。


 そんな夏。


 白鷲高校ゲーム部はその発足から二ヶ月が過ぎようとしていた。生徒の顔ぶれは変わらない。相変わらず彼らはモニターに向かって青春の汗を流している。


 櫻井美月さくらいみづきは前髪をゴムで縛り上げおでこ丸出し、第二ボタンまで開け放ったブラウスは袖を捲り上げ、裾はスカートからはみ出し、というか入れてすらおらず、もはや衣類として機能しているか微妙な所だ。暑がりな美月は卓上扇風機を購入して自分の顔に向けていた。髪が後ろに流され、どこかのアーティストのPVのようになっている。


 同じ一年生の神崎悠珠かんざきゆずは髪をサイドポニーに、サマーニットでお行儀よくプレイしている。さすがは優等生という佇まいだ。筋トレの効果か、より姿勢がよくなって弱々しさはなくなった。顧問の俺に対しての態度まで逞しくなって、行く末が恐ろしい。


 井出琢磨いでたくまの右腕はかなり良くなってきた。プレイに影響する事は少なくなったし、痛みの訴えもない。経過は順調という所だ。テーピングがとれ、そこにはテニス部時代より愛用しているというリストバンドがあった。なんでもお守り代わりらしい。


 岩切灯里いわきりあかりは繊細なマウスコントロールを習得していた。特にマウスで女体を描かせたら右に出るものはいないだろう。相変わらずすっぽんぽんばかり描くが、最近では少し変化が見られ、気に入った裸体が描けるとそこに少しずつ衣類を足していくようになった。裸にネクタイだけだったり、下着をつけずに大きめのシャツを羽織っていたりと、立ち絵とは関係のないキテレツなものばかり描いている。だがそれもいい。


 部員たちはメキメキと上達していた。休日以外は基本毎日、同じゲームに触れ、徹底的なトレーニングを積み、なおかつ競い合わせていただけあって、その上達速度たるや。ことSoDシーンオブデューティーにおいて、もはや並の学生プレイヤーでは太刀打ち出来ないだろう。それほどまでに彼らのコントロール技能は高く、あとはそれに戦術・経験値がいかに追いついていくかが試される時期となっていた。



 そんな7月。



 櫻井美月の異変に気がついた。



 異変、と言うよりも、本来持ち合わせていたものが、浮き彫りになった、と言った方がきっと正しい。それはプレイが洗練されればされるほど、顕著に現れた。


 ある日。耐久デスマッチ練習でのことだ。


 その日、「接近戦での立ち回り」の練習の為に全員にショットガンを持たせていた。ショットガンは一撃で敵を葬り去る凶悪な威力を持つ一方、連射が効かず、弾が拡散していくために近距離でしかその威力を発揮できないという特徴がある。その為この武器で勝利するためには自ら前進して接近戦を挑むしか道はない。


 そんな試合が長引くと、自ずと皆姿を隠し、油断した隙を狙うようになる。


 つまり、突然現れた敵に咄嗟に対応する、瞬発力が求められる。


 そんな一コマだ。美月は果敢に接近戦を挑み相手を打ち負かしていくが、どうしても打ち勝てないパターンがあった。


 それは「急に画面内に敵が現れた場合」だ。彼女はこのパターンにおいて、ほぼ何も出来ずに打ち負けていたのである。


 誰しも、油断している時に目前に敵が現れれば驚く。それが至近距離となればなおさらだ。最初は驚きのあまり操作がおぼつかなくなってしまっているのだろうと思った。経験を積んでそんなシーンに慣れてくれば、自然と対応出来るようになる。その時俺はそう考えていた。


 ところが彼女のそれは改善するどころか、深刻化していった。薄々、他の部員も「美月には奇襲をかければ勝てる」と感づいている雰囲気だ。


 その瞬間、彼女の動きは停止する。彼女の操作するキャラクターだけではない。彼女自身が、凍りついたように止まってしまうのだ。


 彼女の体は強張っていた。ビクッと肩が震え、そのまま停止。それは秒に満たないこともあれば、数秒に及ぶこともある。尋常ではない汗。何かを振りほどくように再びマウスを動かし始める姿を見て、それが「異常」であると俺の中で結論づけたのが、この時期だった。


 プレイ中、他の部員はモニターに集中しており、そんな美月の異変に気がついていない。かくいう俺も、彼女の後ろからプレイを眺めたりしない限り、気がつけなかったと思う。


 ――このままでは美月は勝てない。


 ――G甲子園に出場できなければ、留年。


 ひっかかっていた校長の言葉が、頭の中でリフレインする。



 最悪の結果だけは避けなくてはならない。今ここで彼女をくじけさせるわけには行かない。


 そう考えた俺は、一年生の名簿を開いた。美月の所属するクラスは確か一年E組。そこに書かれている名前を見て、直ぐに席を立った。そして気付かされたのだ。



 俺は顧問でありながら、生徒のことを何も知らない。



 名簿の最後には、こう書かれていた。


 クラス担任 石橋美保いしばしみほ

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