16限目 ゲーミングデバイスの必要性
遡ること数日、6月4日。場所は校長室。
窓にはしとしとと降り続く雨がべったりと張り付き、覗く灰色の空が否応無しに憂鬱にさせる。梅雨。そんな景色を、校長は加熱式タバコを咥えながら見上げている。
「雨か…」
その発言に多分意味は無いのだろうが、こと校長が口にすると不穏でしかない。沈黙を打ち消す雨の音がこれまたいい感じにその後ろ姿を演出している。相変わらず濃厚な登場である。
「本日はご報告と、お願いがあって参りました」
「ほう…君の方からお願いとは、珍しい」
そういって校長は立派なデスクに寄りかかって腰を預ける。いつになくワイルドな佇まいだ。知らない間にまたレベルが上がってたのかも知れない。
「聞こうじゃないか」
「はい」
そういって俺は手元の資料を手渡しした。校長はそれを片手で受取り、眉を細め、そして一服。
「昨日、競技ゲーム甲子園運営委員会より公式に発表がありました。それはその内容をまとめたものです。…G甲子園とする本大会の競技内容が開示されましたので、ゲーム部は本日より出場に向け準備致します。発表されたゲームジャンルは本格的なゲームばかりでしたが、これ自体は予想の範囲内です」
「ふむ。…それで、お願いとは?」
「はい。しかし、その予選の方法が問題です。予選を突破するためには
校長は沈黙の後、加熱式タバコを俺に向けて言う。
「…続け給え」
「ついては、部員一人一人の技量を引き出し、また効率的な成長の為の専用の道具、ゲーミングデバイスが必要です。これを生徒個人で購入をしてもらいたいのですが…問題は金額です」
俺はそこで言葉を止める。ほしい言葉を引き出すための処世術のようなものだ。校長は薄暗でその先が見えないメガネを光らせる。
「もったいぶらなくていい、君と私との間じゃないか」
「ありがとうございます」
そんな危ない間柄になった覚えは毛頭ない。が、その申し出を素直に受け取っておく。
「ついてはその購入資金をご家庭で捻出していただくべく、ご父兄へのお願いの文書を、私と連名でお出し頂きたいのです」
競技には専用の道具が必要となる。それは大きく分けて環境側と、個人側との二つある。
例えばテニスなら環境側はコートと玉が必要だ。そしてプレイする個人側はラケット、シューズ、ユニフォーム。野球ならグラウンドが環境で個人はグローブやバット等が該当する。これら個人側の道具は備品で用意する事も出来るが、個人の体格や性向等に併せて最適化する為、個人で購入するのが慣例となっている。
競技ゲームについても同様だ。インターネット環境やパソコンを環境側とするなら、マウス、キーボード、コントローラー。それら直接手にして操作する部分は他のスポーツを同様に非常に繊細で重要な要素となってくる。
ところが社会的な目となると、その事情は大きく変わってくる。
「野球部に入ったからシューズとグローブを買わなくちゃいけないんだ」という子に対して、それを渋る親は多くはないだろう。野球をするなら必要だという認識は概ね万人が持ち合わせている訳で、取り分け裕福な家庭が多い本校ならなおのことである。
しかしどうだろう。「ゲーム部に入ったからマウスやコントローラーを買わなくちゃいけないんだ」と言われて、素直に快諾するだろうか?少なくとも一瞬、「それは備え付けのものじゃダメなのか?」とよぎるはずだ。そして続く言葉で「一万円を超えるんだけど…」と言われればどうだろうか?新設されたばかりの部活で、ゲームで、いきなり万円超えのアイテムの購入を促される。親としては不審に思わないだろうか。
「本校の財務状況なら、それらを備品として経費から計上するのも難しくないとは思います。しかし開設にあたり、ごく一般に必要な装備品については買い揃えている状況で、個人向けデバイスまでの追加購入は、疑問が残る所です。やはり愛着等が大切になってくる部分ですから、個人での購入をお願いしたい」
デバイスとは、操作するにあたった必要な周辺機器全般をさす。今回はPCについてなので、マウス、キーボード、コントローラーなどが該当する。
百聞は一見にしかず。デバイスの性能の違いは触れれば一発でわかる。これは大げさではなく、マウスは握って動かした瞬間、キーボードはキーを押した瞬間に、その違いを肌で感じる事が出来る。これはPC初心者であっても同様で、比べる対象があればなぜそれがその値段なのか、触れさえすれば理由に疑問符がつくことはないだろう。
もちろんそう言った専用デバイスじゃなくともプレイ出来るが、それはボロ雑巾のようなグローブで野球をしたり、サイズのあっていないシューズを履いて走ったり、ガットがゆるゆるのラケットでテニスをするようなものだ。勝てる勝てないの話依然の問題で、大会出場を目指す生徒の取り組みとしてどうかという次元の話だ。
これには当然、愛着が関わってくる。これがないとどうしてもその道具の理解が進まず、成長の妨げになってしまう。自分で購入するからこそお気に入りになるのであり、お気に入りだからこそ、無意識に他のものと比べてお気に入りポイントや長所を探し出す。そしてそれが頭にあるからこそ、自分のプレイとデバイスの特性を結びつけ、より高い次元での練習や対策が可能になるのだ。
しかし、こういった話を力説出来るのも、俺がその道にいるからであって、PC離れが進んでいる現状において、それを一般水準とするのは先にも述べた通り非現実的だ。相手に理解してもらうためには、それ相応の手段が必要になるのだ。それには、
校長はその話を黙って聞き、加熱式たばこをふかしたあと胸ポケットにしまった。
「…そこで君は校長である私と連名で願書を出すことで、信頼を得ようという事だな?」
「ご協力いただけますでしょうか」
校長はゆっくりと歩いて俺のそばに立ち、俺の肩に手を乗せた。
近い。
「お安い御用だ。斉藤君、顧問らしくなってきたじゃないか。そういう立ち回りは、教育機関として重要だ。…下書きをファイルで持ってきておるかね?」
俺はメモリーカードを取り出す。それをニヤリと笑って受け取った校長は立派なデスクに備え付けられたノートPCに差し込んだ。俺の考えた願書が表示される。
「これを、一般的な観点からみてわかるよう、私の方で修正しても構わんかね?」
「ありがたく存じます」
「いやいいんだ。専門家の言葉というのは時に一般人には届かないものだ。そういうやりくりは慣れている。午後には終わる、校長印を入れた状態で君のPCへ送ろう。内容に問題が無ければそのまま印刷、生徒に持って帰ってもらっていい」
どうやらこの校長はデキる男のようだ。仕事も話も早い。
「ありがとうございます。承諾があれば、さっそく生徒たちと買いに行こうと思います」
俺は深々と頭を下げた。
「ほう、それは課外活動か。部活動時間かね?」
「いえ、何分時間を要しますから、日曜日にでも、と思いまして」
「そうか。なら帰りに経理によって行くといい。課外活動費申請書がある。交通費等が概算で補填できる」
「そうなんですね。ではさっそく立ち寄ってみます。今日はありがとうございます」
そう言って俺は校長室の扉へ向かった。その時だ。
「時に斉藤くん。生徒のことで聞きたい事がある」
振り向くと同時に、雷が鳴った。校長の背後にある窓が白く輝き、その佇まいに不穏な影を落としている。校長は両腕で頬杖をつき、鋭いであろう眼光は反射するメガネで見えない。
「櫻井美月君のことだが…ちゃんと部活には来ているかね」
俺は少し驚いた。てっきり井出の事だと思ったからだ。彼がテニス部を辞めた際、顧問の谷部を呼び出し事情聴取をしていたとの事だから、将来有望な生徒についてはその同行が気になるのだろう、とは思っていたのだが。
「ええ、毎日来ていますよ。積極的な姿勢で参加していますし、明るい性格に他の部員立ちも馴染んでいます」
「そうか。ならいいんだ。呼び止めてすまなかった。ではメールでの返信を待っていてくれ」
その言葉を最後に会釈し、俺は退室した。
校長室前の廊下は静かで、眼前に広がる雨模様が一望出来た。憂鬱な季節。
――ちゃんと部活には来ているかね――
ちゃんと、部活には。か。
俺は何かが引っかかっていた。
そう言えば櫻井は単位がどうとかで校長先生にあっせんされて入部したんだったよな。この学校、出席単位そんなに厳しかったっけか?
考えても何かがわかる気がしなかった。
それよりも俺はいち早く準備する必要がある。俺の使命はあの子立ちを甲子園に出場させ、果ては優勝させること。
疑問は頭の片隅にしまいつつ、足早に部室へ向かうのだった。
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