15限目 初めての課外活動
6月最初の日曜日。梅雨入りしていながらも奇跡的な晴れ。その熱気は既に夏本番に突入しているのではないかと錯覚する程だ。この暑さは太陽の本気もさることながら、嫌気が差すほどの人口密度がそうさせているのだろう。人の放つ熱気がアスファルトの照り返しによって増長され、景色なんて揺らいで見える。
駅前には巨大な家電量販店があった。その入口に吸い込まれまた吐き出される人の量は計り知れず、興味本位で数え始めたものの一分も待たずに挫折した。
場所は秋葉原駅、時刻は間もなく10時。私服姿の俺は30分程前から、この要塞とも言える建物の前で立ち尽くしていた。降り注ぐ陽光が容赦なく頭皮を焼き、半袖ポロシャツのその中は今すぐ脱ぎ去りたい程に蒸し風呂状態だった。下着は絞れるレベルでビショビショだ。
なぜ俺がこんな苦行を強いられているのかというと、白鷲高校ゲーム部の部員達と待ち合わせしているからだった。生徒と教員という間柄上、生徒をこんな人気の多い場所で長時間待たせる訳にはいかない。都合、集合時間の大分前から目のつくこの場所で、その到着を今か今かと待ちわびている、という訳だ。
幸いにも白鷲高校は名門だけあって、その生徒達の社会的教育は行き届いている。部活にしろ授業にしろ、集合時間をないがしろにして平気という子は日頃から見受けない。この苦行も残り数分の予定だ。でないと俺は倒れる。
「おまたせしました先生」
振り向くと、私服姿の
「おお、おはよう神崎。早いな」
えんじ色のブラウスに薄手の白カーディガン、淡色のサマーデニムパンツとカジュアルな装いだが、その頭に乗せた白い帽子がお嬢様臭を漂わす上質な仕上がりだ。素直にかわいい。
しかし返事は直ぐには無い。悠珠の見つめる先には俺のタオルハンカチと額があった。
「…すみません先生。もう少し早く来ればよかった」
言われて気がついたのだが悠珠はこの暑さの中汗一つかいていなかった。電車の中はよほど冷房が効いていたのだろうか。滝汗の俺とは大違いだ。
「いや、待ち合わせ時間より15分も早いんだから、別にいいんだぞ?それより一人か?」
「はい。先輩方は駅の中で待ち合わせているみたいです。多分、もうすぐ来るのではないかと」
なるほど、それは懸命な判断だ。やはり俺のような引きこもりよりも学生の方が外出経験値は遥かに上のようだ。まったく青春時代の俺に活を入れてやりたい。
「そうか。神崎は一緒じゃなくてよかったのか?」
「
「なるほど、すまないな、気を使わせて」
「いえ、そんな。先生、暑くないですか?」
「大丈夫だ、もう慣れた」
もちろん強がりだった。本当は今すぐこの場所から離れて冷房の風にあたりたい。が、教師である俺が生徒を前にそんな弱気ではいかんのだ。と、誰から言われたわけでもなく勝手に自分をいましめている。
「センセー!」
改札口の方から聞き覚えのある高い声がする。相変わらず良く通るその声の主は
「待った?」
そういう美月は変わらぬ生意気な目元で上目遣いだ。休日という事で軽く化粧をしているせいか、余計に印象的で大人びて見える。
「てか
「そういうお前は涼しそうだな、櫻井」
暑がりな美月の格好は涼しげだ。首周りがざっくりあいたベージュのサマーニットからブルーのキャミソールが大胆にのぞいている。カーキのチノパンをロールアップして足元のサマーサンダルはヒール付き。すごくおしゃれだ。
「かわいい?でしょ?」
だがおじさんは思うのだ。年相応、という言葉がある訳で、美月のそれは少しお姉さん過ぎないかと。そして次の瞬間、こう思うのだ。可愛いからいいか、と。そう言えば数年前、「かわいいは正義」とテレビで耳にしたことがある気がする。
「………」
「なんで無言!?」
美月は風船のように膨れた。その後ろから続いてきたのは
「おはようございます斉藤先生」
「おはよう先生。まぶしー」
灯里の言葉に反射的に頭を抑える。そこにはちゃんと髪の毛があった。もちろん彼女は太陽の事を言ったのだった。大丈夫、俺はまだ25だ。きっとだいじょうぶ。
と、その灯里の格好を見て、俺の中の何かのセンサーが反応した。
「岩切、お前、メガネはどうした」
「え?ああ…休みだし、今日はコンタクト…」
そこにいるのは俺の知っている地味メガネのガリ勉女子ではなく、清楚なインテリ女子だった。
髪をポニーテールでまとめ、日頃の編み癖がついた髪がふわっと漂っている。その細い顎のライン、首、そしてなによりうなじが最高にキレイだ。その細身に張り付くエスニックなマキシ丈ワンピにふわっとした襟付きニットセーターがまた上品でいい。
「お前、なんか今日別人みたいだぞ」
思わず喉が鳴った。そのスタイルの良さはなんとなく把握はしていたが、ここまで変わるとは。彼女の場合は制服が似合っていないのか?と思えるほどギャップが激しいのだ。そう言えば数年前、「きれいなお姉さんは好きですか?」とテレビで耳にしたことがある気がする。当たり前だ。
「え、ちょ、やだ、見ないでそんな」
「そう!今日の灯里先輩チョ~可愛い!いつもコンタクトにしたらいいのにぃ~」
美月に服の裾を引っ張られながら赤面している灯里は「目が乾くから」とかなんとか言い訳していた。立ち振舞は至って普段の灯里であった。だがそれがいい。
しかしこうしてみると、男子が女学生の私服姿にときめくのも、頷ける。制服姿に見慣れてしまうと私服姿は眩しく写るものなのだ。青春の日々にとって時にそれは真夏の太陽より鮮烈であろう。俺の青春に少し分けてあげたいくらいだ。
「女子の私服、いいですよね」
そんな俺の心象を読み取ってか、耳打ちしてきたのは琢磨だ。琢磨は俺よりも身長が高く、高校一年にも関わらず170台後半はあろうかという所だった。黄緑のタンクトップに白い半袖シャツをラフに羽織って、ダメージジーンズを腰まで落とした足元にはサンダルと、その着こなしは上品とはかけ離れているが、何故か品よくキマって見える。汗についても俺のそれとは違って、髪を掻き上げればどこからともなく爽やかな風が吹く、そんな気がする。クソ、これがイケメン補正か。俺のそばに立つんじゃねぇ。
「よし、みんな揃ったな。では早速行こう。俺は暑くて死にそうだ」
指さした先には先程の家電量販店がある。今日の目的はそこにある。早く冷房にあたりたい。
「やー!楽しみ!私入ったことなかったんだよねー!」
「先生、やっぱり暑かったんですね…大丈夫ですか?」
「ほら灯里、いこっか。人が多いからはぐれるよ」
「もー子供扱いせんでよ!」
いつもより幾分賑やかな生徒を引き連れ、その入口に吸い込まれていく。
「広いから、俺についてきてくれ。色々目をひかれると思うが、それは帰りに時間を作るからまずは…って、おーい!」
さっそくはぐれたのは美月だ。入り口を入ってすぐのスマホコーナーに引き寄せられてしまった。最新機種の魔力は計り知れないものがある。
「言ったそばから頼むぞ…汗だくで女子高校生を追いかける羽目になるなんてごめんだからな」
エスカレーターにのってそのコーナーへと向かう。美月は悠珠に捕まえてもらった。手を引かれていないとどこに行ってしまうかわからないので、二人はその手を繋いだままだ。女の子同士が手を繋いでいる光景ってイイよね。きっとそう思うのは俺だけじゃない。
「なんか…オタクっぽい人いっぱいいるね!」
不意に美月がそんな事を言う。俺の心臓は縮み上がった。今すぐここから離れたい。他人でありたい。
「櫻井…頼むから今から行く所でそんな事言うんじゃないぞ。そうじゃなくてもお前たちは目立つ」
「かわいいから?」
美月の生意気な上目遣いが炸裂した。こうかはばつぐんだ!付加効果としてイラダチが追加される。
「…さ、足元に気をつけて」
「流した!?」
到着したのはPC専門階。その一角にある、ゲーミングデバイスコーナーだった。
「さて、今日からお前達の武器となる相棒を選ぶぞ」
秋葉原ヨコバシカメラ。ここは全国有数の品揃えを誇る、ゲーマー達の聖地だ。
ここに来たのは他でもない。
彼女たち専用のゲーミングデバイスを購入するのだ!
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