第二章 いざ江戸とあやかしの世へ

「ど、どこなの、ここ…」

 突然のことに脳内処理が追いつかず、私は焦っていた。眼前に広がるそれは、歴史の教科書くらいでしか知らない典型的な江戸時代の町並みだった。

「う、嘘だろ…」

「どうして急にこんなっ…」

 一緒にいたみんなも、肝試しの時のままの格好でうろたえていた。

 それもそのはず。だってどこを見ても、見慣れたマンションも建っていない、遠くに見えるはずの高台も見当たらない、公園も、学校も、コンビニも、普段の当たり前の景色が綺麗さっぱり消えてなくなっていたのだから。

 その変わりに、平屋が建ち並ぶいかにも城下町といった景色が広がり、遠くには江戸城と思しき城が建ち、歩いている人々はみな同様に着物を着ている…そんな景色が、目の前には夢などではなく現実として存在していた。


「し、しかもここ、鬼桜葉神社じゃなくなってる…?」

 確かに鬼桜葉神社に似た鳥居はあるのだが、境内の様子も、お社自体の風格も、全部が全部まるっと異なっていた。

(でも…なんだかおじいちゃんに教えてもらった昔の鬼桜葉神社と似てるような?)

 もしかしてタイムスリップ…的なことをしてしまったのだろうか。

「そんなおとぎ話みたいなことあるわけが…」と戸惑いながらも、私は思い切って重たい足を一歩踏み出したが──

『まだ行ってはいけない』


 ギン、と頭が痛んだ。

 と同時に、脳に直接語りかけるように、聞き慣れない男の声が脳内を木霊する。


 皆もそうなのだろう、一様に頭を抱えていた。

 そして間髪入れずに、もう一度頭に声が響く。


『あなたたちはまず、こちらへおいでなさい』


「えっ…?」

「お、おい誰なんだよ?って、あれ、体が動かねぇ!?」

 二度目の声が消えた途端、急に体が動かなくなった。

 口や目、耳の機能は働くのだが、足が地面に張り付いたように動かず、身動き一つとれない。

 必死に動こうと身悶えするが、どうにもこうにも無駄なようだった。

 そして不意に、誰かに引っ張られたような感覚がしたその時…私を含む五人の意識はプツリと途絶えた。



 *



「……のです、目を覚ますのです、人の子」

「…っ!」

「気がつきましたか?」

 はっと目を覚ますと、私は自分のことを見ている“人ならざるもの”の存在に気づいた。

 慌てて起き上がろうとするも、ビリッと全身が痛み、起き上がれない。

 同じように優花が横で身動ぎ《みじろぎ》している。

「あ、まだ起きない方がいいですよ。無理にこちらへ引き込みましたからね。負荷は相当なものでしょう」

 なるほど合点。

 こんな非現実的な存在がいるのだ。

 今ならなんだって信じられる気がする。

「それにしてもまったく…江戸に別の時代の者が入ってきたと思ったら、そのまま町に飛び出そうとするなんて…大混乱の火種になりかねません、私がこうしていなければどうなっていたことやら…」

 そう呆れた様子で話す彼の頭には獣の角と真っ白の毛の獣耳が生えており、額には第三の赤の目玉、そして背後では耳と同じ色の尾が妖しく揺れていた。

「あ、あなたは…?そしてここは一体…」

「わからないことだらけすぎて大混乱なんですけど…」

 と、私と優花が口にすると、

「あぁ、まだ自己紹介をしていなかったですね。私は白澤はくたくという神獣。まあ、今ではあやかし、なんて括りでしょうか。そしてここはあやかしの住まう隠世かくりよの、私の管理する春麗はるの区です」

 白澤、と名乗った彼は、ここが人外のあやかしたちが暮らす世界、つまり人間の暮らす世界と別に存在する隠世という場所であるということ、そして今いるこの場は、その世界の中でも、春麗の区、と呼ばれる場所であるということを一通り話した。

 その話が終わる頃、私たちの体の痛みも取れ始め、みんなゆっくりと起き上がり出した。

(変な時代にタイムスリップしてきちゃって早々、また変な世界の変な場所につれてこられるだなんて…)

 そう思っているのは私だけではないようで、みんなして一様に戸惑いを隠せないでいると、その様子を見ながら白澤は続けた。

「そもそもあやかしには、低級から上級まで、あらゆるくらいのあやかしがいましてね。その中でもここ、春麗の区では最低級から低級あやかしを、沙冬さとの区では中級あやかしを、秋風あきかぜの区では上級あやかしを、そして夏夜なつのよの区では超上級あやかしを住まわせているのです。」

「あやかしにもそんな種類があるのか…」

「ええ。実に多種多様です。あ、ちなみに春麗の区では低級に限らず、ほかの区で生きて行けなくなったり、現世で居場所をなくしたりした、身寄りのないあやかしも匿っています。まあしかし、大抵のあやかしはここで生活するうち、戦いから自然と離れ、位ごと下がっていくものですが」

 なるほど、いくら強いあやかしでも長い年月を戦わず、力を使わずにいると位が下がることもあるのか…。

「それにしても強さで分けられてるなんて…一体誰がそれだけのあやかしを束ねてるんだよ…」

「春麗の区はもう既に言いましたが私がおさとして管理をしています。沙冬の区の長は鬼火を扱うのを得意とし、この世界の火に関することはほとんど彼女が請け負っているといわれる女の超上級あやかし、青行燈あおあんどん。秋風の区の長は風に乗っているかのような凄まじい速度で移動をし、跳躍力や瞬発力などに長けた、鋭い牙でなんでも喰らい戦う男の超上級あやかし、犬神いぬがみ。そして夏夜の区の長は…」

「…?」

 どうしたのだろうか。

 それまで普通に説明をしていた彼は、夏夜の区の長を言いかけたところで口を噤んだ。

(何か言いたくないことがあるとかかな)

 不思議に思いながらもじっと待っていると、ふぅ、と短く息を吐いた彼は続けた。

「…凶悪で、殺戮と酒を好み、誰が相手をしても敵うものはいないとされ、夏夜の区の超上級あやかしを束ねながらも悠々とそのさらに上をいく最上級あやかしの…鬼神きじん。」

「き、鬼神っ!?」

 私はその聞き覚えのある単語に反応した。

「な、なんだよ侑都、知ってんのか?その…〝鬼神〟ってやつのこと」

「知ってるもなにも…うちで祀られてるし…」

「あのあやかしを祀っている神社ですか…まぁその存在はよく聞きますが、まさかそこの人間なのですか?」

「は、はい…すみません…」

「…そんなに謝らなくても。少し敵対関係にあるとはいえ、そこの人間にまでその私情を押し付けるつもりはないですよ、さすがに」

 …やっぱり敵対関係にあるんだ。

 凶悪と善良なのだから敵同士だろうとは思っていたけど…まさか本当にそうだとは。

 というか口ではそうやって言っているけど顔はものすごく嫌そうです白澤様。


 そして白澤は、何かを思案するように少しの間顎に手を当てると、すっと顔をあげ、小さく緊張感のある声音で言った。実は今、やつは人間との戦をする気でいるのです、と。

「戦…!?」

「そうです。我々あやかしは人間への復讐をするべく、やつを筆頭に戦をしようとしているのですよ」

「どうしてそんなっ…」

 私は目を見開いた。

 人間との戦だなんて…白澤のその落ち着いた表情からは想像もできない言葉が出たことに私たちは驚いた。

 白澤は善良なあやかしのはず。人間との戦を好むわけが……っ!

「私は人間との戦を望んでいない、とでも思っているのでしょうか」

「や、そんなつもりじゃ…」

「いいえ、口先ではどうとでも言えます。……私ほどのあやかしでも、人間に対し、恨みというものは多少なりともあるのですよ。確かに鬼神様などと比べればほぼ敵意がないも同然、といったところではありますがね」

「そう…なんですか」

「…まぁ、そう沈みなさらず。私などは特にですが、あやつの力に逆らえず戦に賛成せざるを得なくなっているあやかしもいるのです…私はそういう者たちを戦に参戦させたくない。隙あらばあやつに、攻撃のひとつくらい仕掛けてやりたい」

 そう語る白澤の目は本気で、額の目玉はしっかりと私を捉え、その赤を一層濃くしていた。


 それを見て私は思った。

 ───この戦をするのを止めなければ。

 止めなければ白澤が、その鬼神というあやかしとやり合って大変なことになってしまうかもしれない、そこで反対派がいなくなれば、鬼神たちの手によって人の世は滅ぼされ、廃れていき、いつか消えてしまうかもしれない…と。


 私は意を決して、口を開いた。

「…白澤様」

「何ですか?」

「鬼神様に会うことはできますか」

「ちょ、侑都っ…!」

 明らかにみんなだけでなく白澤も驚いている。

 まぁ無理もないだろう。

 だってどこから現れたかもわからないただの無能な人間が、隠世現世ともに最高権力をもつ最強のあやかしに取り合おうというのだから。

「なぁ、強い奴なんだろ…?さすがに無理なんじゃ…」

 そう言って周りが止めるのも聞かず、私は続けた。

「私はさっきも言った通り、鬼神を祀る神社の者です。もしかしたら、鬼神様は私なら取り合ってくれるかもしれません」

「…ほう」

「会うということは叶いませんでしょうか」

「無茶な頼みですね。なかなか真面目な人の子なので黙って聞いていましたが、何を言い出すかと思えばそんなこととは」

 案の定だ。

 白澤は眉間に皺を寄せ、半ば呆れたかのような色の瞳で私を見下ろしている。

「…お願いします」

 でも私は引かなかった。

 いや、引けなかったのだろうか。

 過去に祖父が教えてくれたことが関係しているのかなんなのか、何故かここで引いては行けない気がしたのだ。

 そんな私の思いを感じ取ったのか、白澤は、

「…いくら善良なあやかしである私といえど、その願いは叶えてやることはできません」

 とだけ言って目を閉じた。

(……っ)

 やはり無理なのだろうか…


 そこまで言うほど無理なようなら諦めるしかないのかもしれないと不安に思った矢先、ふと思いついたように白澤はこう続けた。「しかし、会うための方法はあります」と。

「本当ですか……っ!?」

 断られたことで気を落としそうになっていた私は予想外の展開に驚き、バッと顔を上げて、それは一体何かを聞こうと身を乗り出した。

「まず、この春麗の区で自分たちを匿ってくれるあやかしを探しなさい。この区以外で匿ってもらおうなんて思わないほうが得です、すぐ殺されて喰われる可能性が高いですからね。そして次に、その匿ってくれるあやかしと共に江戸の町に出て、今現在の現世うつしよを知りなさい。なにも現状を知らぬままでは話になりません。それから最後に…犬神。彼に取り合ってきなさい」

「犬神に…?」

「そうです。して、その理由は単純。犬神くらいしか夏夜の区以外の区で、何の気兼ねもなく鬼神に会えるあやかしはいないからです」

(逆に言ってしまえばその他の多くのあやかしは鬼神に会うことができないも同然…ってこと…?)

 白澤いわく、夏夜の区は漂っている妖気が濃いため、普通は妖気の影響を受けることはない人の子でも容易に行くととんでもない事になる可能性が高い、まだ比較的妖気の濃くない秋風の区にいる犬神に取り合え、とのこと。

 とんでもなく大変そうだ、と思ったのが一同の顔に出ていたのだろう、白澤はふっと表情を和らげ、安心しなさい、と言った。

「まぁそう心配することはありません。うちの区で匿ってくれそうなあやかしは大体目星がついています」

「「「「「それって…?」」」」」



「…豆狸まめだぬき。彼を頼りなさい」



 *



「そうは言われたものの、どうやってその豆狸とやらを探すんだよ…?」

「あの白澤っていうあやかしも、探しに行きなさいなんて言うだけで、それ以上ヒントくれなかったからな…」

 あの後、もう少し詳しく知りたいと思い聞こうとしたのだが、さぁ行った行ったとお社から追い出されてしまったのだ。

「うーん…豆狸って確か賢い利口なあやかしだよね…」

 私はこの中でもあやかしに詳しいほうだからわかる。賢く利口な上に化けるのも上手く、探すのは面倒だということが。

 にしてもこの世界は本当にあやかししかいない。ぱっと見ただけでも知っているあやかしが多くいる。

「でもそこらへんにいるあやかしに聞けばいいんじゃね?あ、あそこの首なが〜い女の人とか」

「ろくろ首ね…って、ちょっと、ほんとに聞きに行くの!?」

 早速豆狸の情報を聞き出そうとしたのか、光はそのろくろ首の元へ駆けていった。

 慌ててあとを追うと、そこには、

「ひゃあっ、な、何なんですかぁぁ」

 勢いよく走ってきた光に驚き首がしゅるると縮んでいくろくろ首の姿が。

「あんた豆狸って知らねー?」

 そんなの知ったこっちゃないという様子で遠慮なく聞いてくる光にろくろ首はしばらく震えていたが、少し落ち着いたのか、やっとのことで口を開いた。

「人の子が豆狸さんを探しているなんて珍しいですね…確かあの方なら先ほどそこの商店で小鬼さん達と話しているのを見ましたよ」

 そう言ってろくろ首が指さす先には、八百屋と書かれた看板のあるお店が。

 ありがとうとお礼を言うと、上品に微笑んでくれた優しいろくろ首と別れ、私たちはそこへ向かった。

「ごめんくださーい…」

「いらっしゃい!」

 愛想よく笑いながら出迎えてくれたのは、捲った袖から伸びるふくよかな腕や頬に目玉がたくさんある百々目鬼どどめきだった。

(なるほど、ここは百々目鬼のお店なんだ…)

「あの…すみません、ここで豆狸さんを見ませんでしたか…?」

「豆狸?あぁ、彼ならそこに…」

 百々目鬼が指さした先に目を向けると…

 空いたうどんのお椀を店に返すポーズのままこちらを見つめる豆狸らしきあやかしが。

「「「「「ええええ!?!?」」」」」

 まさかこんなに早く見つかるなんて。

 私たちが驚き、固まっていると、豆狸らしきあやかしは私たちが何か言いたげな様子で固まっているのを見て、お椀を置き、こちらへ歩いてきた。

「僕に何か用ですか?」

 と、少し高めの声で話しかけてきた彼の姿をまじまじと見ると…やっぱり。頭には丸い獣耳があり、ふわふわの茶色い尾もあって、目の下に茶色の模様がある…豆狸だ。

「ま、豆狸さんっ!?」

「う、嘘、こんなに早く見つかるものなのっ!?」

「まじかよ…」

 五人の人間が自分に驚いているのを見て、彼は少し恥ずかしくなったのか、とにかく何の用なんですかっ、と急かすように聞いてきた。

「実は…」

 そこから豆狸に白澤に言われたことを一通り伝えると、彼は、何だ、そんなことだったのかといった表情で、あっさりと了承してくれた。

「ほんとにいいのかっ!?」

 真はずいっと豆狸に近寄り聞くと、

「え、ええ、良いですよ…」

 近寄ってきたことに戸惑ったのか、おどおどしながら彼は答えた。鬼神様にかかわることなら僕は断れないや…という言葉を一言、ぽつりと零して。

 恐ろしきかな、隠世社会……

(まぁ何はともあれ、これで鬼神様に会うための一歩を踏み出せた…)

 私は心の中でガッツポーズを決め込むと、僕の家まで案内しますと言った豆狸についていった。



 *



 案内された豆狸の家はとても綺麗だった。

 決して豪奢な家というわけではないのだが、手入れの行き届いた草花で埋め尽くされた庭や、整理整頓された室内が、豆狸の几帳面で綺麗好きな性格を表しているようだった。

「こんなものしか出せませんが…」

 卓袱台に出されたお茶を頂きながら、一同は豆狸が話さなければいけないことがあるというので、その話に耳を傾けた。

「鬼神様のもとへ行くのが最終的な目標、なんですよね」

「…はい」

「あのお方のお社に仮に行けたとしても、入ること自体困難なことはご存知ですか…?」

「…?」

「その様子だとまだ知らないんですね…」

 私たちは鬼神のお社についての話を全く知らなかったため、その話は初耳だった。

「実は、あの方のお側には、九尾のつがいがいるのです」

「九尾の番…となると、狐のあやかしですか…?」

「はい、その番は、番といいつつも夫婦などではなく、男女の双子でして…鬼神様の身の回りのことやその他諸々基本何でもこなす、よくできた双子なのだと聞きます。しかしその番がいることで、お社に入ることがより一層困難になっているのです」

「まさか…すごく強いのか?その九尾の番とやらは」

「そのまさかです。九尾の番様は最上級あやかしの鬼神様よりは力は劣ると風の噂で聞きますが、我々からすればほとんど鬼神様と強さ的には変わりありません。単体でしたらわかりませんが…一説によると、足してようやく犬神様と並ぶ、とも言われているので、単体でしたらそこまでなのかもしれませんね。しかしまあ、強いことには変わりないでしょう。そして、お社に入るための条件として態度や言葉遣い、見た目などを見られるのですが、実は一度お社に入ろうと挑戦した者は、ほとんど生きて帰ってこられない、と言われています」

「ほとんどってことは…」

「お社に入れなかった者はその九尾の番に殺されるか、鬼神様本人に殺されます。まぁあの方々ならじわじわいたぶって殺すほうが面白いと思っているでしょうから、楽に死なせてもらうことはできないでしょうね…」

 豆狸の口から出た恐ろしい事実に、私たちは青ざめた。

 そんなあやかしのいるところへ行こうとしているのかと考えると、白澤が無茶だと言ったことにも納得がいく。

「なんでも鬼神様は大層女性のあやかしから言い寄られることが多いそうなのですが、あのお方のもとへ行っても帰ってこられず、死を迎えるという女人が多いという話をよく耳にします……」

 うぅ、好きな人のところへ行って本人に瞬殺されるのは、乙女としてというかなんというか、すごく切ない……


「…と、まぁそんなところですが…本当に行くのですか?」

「…はい、なんだか…私が行かなければ行けない気がして」

「そうですか…そこまで言うなら分かりました。…あ、ところで皆さんのお名前は?」

「里藤侑都です。そしてこっちは水刃優花。それから剣野真と、名川子憂、河原光。」

「私たちのことは下の名前で読んでもらって構わないですよ」

 私と優花がそう説明すると、豆狸は

「わかりました、これから宜しくお願いしますね!」

 と言って笑った。



 そうして私たちと豆狸は一緒に行動することとなった。



 *



「まずは手始めに、沙冬の区に行きましょう!」

「さ、沙冬の区…」

 私たちは犬神のところに取り合いに行くためには必ず通らなければならないという沙冬の区に行くことを決めた。

「はい!犬神様のいる秋風の区に行くには、青行燈様の特別な鬼火の入った提灯を持っていないと、秋風の区の門番に通ることを許可してもらえないので…」

 豆狸はまぁ沙冬の区に行くのは楽ですよと簡単そうに言っているが、恐らく寒さに弱い人間の私たちでは、冬の季節の雪が積もるような場所に行くのは辛いだろう。着物を着ているため薄着ではないのが唯一の救いだ。

「じゃあ…沙冬の区の門番、鵺様のところへ行きましょう!」



 そうして着いた沙冬の区の門は、透き通るような水色の鳥居だった。

「それぞれの区の門はその区の季節を現す色の鳥居なんですよ。各区内での季節は1年を通して変わりませんから、象徴みたいなものです」

「へぇ…そうなんだなー!あ、だから今通ってきたばっかの春麗の区の鳥居は薄い桜色だったのか…!」

 真は綺麗な色の鳥居に興味津々といった様子で、熱心にその話に食いついていた。

「一つの区には三つのこのような鳥居が門として存在し、その三つの門を管理できる、とその区の長に判断されたあやかしが、長自身から額に特別な紋を授けられ、門番として選ばれます」

 ちなみに出てくる時にも会いましたが、春麗の区の門番は猫又ですよ、と付け足した。

 たしかにそういえば……

『ほぉぉ、人間とは珍しいのにゃあ!あたし人間なんて久しぶりに見たよ!』

 って言ってた女の子、頭に三毛の猫耳ついてたし、額に桜を象ったような紋がついてたなぁ……

「彼女は僕と一緒に白澤様に勉学をご教授頂いていた学友なのです。とても明るくて気さくないいあやかしです!」

(へぇ…あやかしも勉強するんだ……!)

 そして彼はそう言うと、何やらその鳥居に向かって手をかざし始めた。すると…

「沙冬の区へようこそおいで下さいました、豆狸の一行」

 その場に舞い降りるようにして現れたのは、白と水色の着物に身を包んだ…

ぬえ様、お久しぶりです」

 鵺と呼ばれるあやかしだった。

 豆狸はどうやら妖気を駆使し、彼女を呼んだようだった。

 ひらりと舞う長い銀髪が雪の積もる地面にふわっと広がる。

 そして額には雪の結晶のような紋があって……

 私はその美しさに見惚れていたが、門番というだけあって、こちらを見据える黒い瞳は怪しく光り、不審な者は通さぬといった感じがする。

「こちらの人の子共々、青行燈様にお会いしたいのです」

「青行燈様に、ですか」

 そしてそんな鵺の瞳がギロリと一瞬こちらを見据えた後、

「…わかりました。沙冬の区へ立ち入ること、許可します。その人の子の心に邪心は宿っていないようですからね」

 すっとその瞳に宿した恐ろしい光を消し、柔らかく微笑みながら沙冬の区に入ることを許可してくれた。



 *



 そうして踏み入った沙冬の区は、予想以上に寒かった。

「こ、凍えそう…」

「お、俺も…もう…無理かも…」

 五人の中でも寒さに特に寒さに弱い私と真はガチガチと歯を鳴らしながら、雪の積もった道を歩いていた。

「もう少し我慢してください…」

 どうやら上級あやかしからしか寒さに適応できるようにならないらしく、豆狸も少し寒そうにしていた。どおりで沙冬の区の町に暖をとるための行灯や提灯を売っている商店が多いわけだ。

「とりあえずの寒さしのぎに提灯を買いますか…?秋風の区に行くために必要になる提灯とは別物ですが…」

「そ、そうしてくれ」

「私も…ちょっと寒い…」

「俺もう凍りそう」

 そんな私たちに少し待っていてくださいとだけ言うと、豆狸は走って提灯屋まで行ってしまった。

「はぁぁぁさっむい……!!」

 あまりの寒さに両腕を擦りながら足踏みをすると、足元で雪がぎゅむぎゅむと鳴る。

「こんなに寒いと思ってなかったよー……」

「でも侑都、寒いっちゃ寒いけど結構綺麗だぜ?ここ」

 ほら見てみな、と言う真の声に、「寒いって言ってるでしょ…」とか言いながら下げていた顔を上げると、そこには……

 白銀の雪が積もり舞う、まるでスノードームを振った時のような城下町が広がっていた。

 入ってからまだ一度もまじまじと見渡していなかったというのもあって、改めて見るそのあまりにも現実離れした光景は、私の瞳に色濃く映った。

 どうやら各区の長の社に近づくにつれて土地が高くなっていっているようで、入ってすぐの場所からでも、見上げれば、城下町たるものが一望できた。

 青い炎の灯る行灯あんどんを模した街灯が薄暗い道を照らしている。

 その道を奥までじっと見ていくと、明るい広場のような場所があり、そのさらに奥、高い土地に、なにやら大きな建物が見えた。

(ひょっとしてあれがお社…?)

 首をかしげながら目を細めていると、お待たせしましたと豆狸が青い火の灯る提灯を買ってきてくれた。

「すみません、ここの区の火はすべて青行燈様の鬼火を使っているのでお高くて…一つしか買えませんでした…」

「大丈夫です…ありがとうございます…」

 まだその美しい景色にとらわれていた私は少し虚ろにそう返すと、提灯を受け取った。

 そうして暖をとるためのものを買った私たちは、いよいよ青行燈がいるというお社へ向かった。



 *



 どれだけ歩いただろうか。聞けばこの隠世はずっと夜であるというのだから、暗い中をひたすら歩いた時間は、実際の時間より長く感じてしまう。

 春麗の区に比べて入り組んでおらず、ほとんどただの一本道だったため、すぐ着くだろうと思っていた私が馬鹿だった……

 寒さに凍えてぼうっとしていた時に見た景色を信じては行けない。

 結構な距離だ…雪を踏みしめる足が冷たく、下駄からブーツに履き替えたりできる魔法が使えるようになりたいなんて子供みたいなことを思ってしまう。

 震えながら顔を伏せて歩いていると、トンと急に止まった豆狸の背中に頭が当たった。

 そして、着きましたよ、という豆狸の声で顔を上げると、そこには濃い青色の鳥居が印象的なお社が。

「ここが…青行燈様のお社…?」

「えぇ、そうよ。よく知ってるのね」

「…!!」

 ふわっと目の前に一人の女性が現れた。

 炎のようなデザインの、前で結ばれた帯と、頭のリボンが特徴的で、額から青みがかった角を生やす彼女は…

「青行燈様…!」

 豆狸がその姿を前にし、その名を口にして一礼した。

 それに習い、私たちも一礼すると、

「豆狸様と人の子ね。私に何か用かしら?」

 首を軽く傾げると、綺麗な簪がシャランと音を立てる……

 そして青行燈、とよばれた彼女は周りにふよふよ浮いている青の鬼火を手元に呼んだ。

 私はその美しさに目を奪われていると、豆狸がそっと口を開く。

「それが…秋風の区に行くための提灯を頂きたくて…」

「提灯?…あぁ、私が特別な鬼火を込めるあれね」

「はい…よろしいでしょうか?」

 彼がそう聞くと青行燈は少し目を見開いた後、すっと細め、

「わかったわ」

 と行ってお社に入るよう手招いた。

 お社に入れるだけでも既に嬉しくて私たちは小声で「やった…!」と言い合った。

 そして前を行く青行燈についていくと、通された先は不思議な場所だった。

 そこに入るまでは極寒、といった感じがしたのに、なぜかお社の中は暖かい。

「どうして暖かいか気になるの?」

 青行燈はキョロキョロ辺りを見渡す私たちの様子に気がついたのか、

「かわいい人の子ね、教えてあげるわ。そこに行灯があるでしょう?」

 と、文机の横にある行灯を指さした。

「あれは私の鬼火で灯っているの。滅多なことがなければ消えないし、温度も変わらない。ね、万能でしょ?」

 それにこの行灯さえあれば、その家はもう寒くなくなるの、と教えてくれた。なんて万能で素晴らしいあやかしなのだろうか。

「ところで…本題に入るけれど」

 そう言ってお社の中で落ち着いた一同に向けて青行燈は言った。

「特別な提灯を作ることはできるわ。あなた達は江戸の世の性根のひねくれた輩じゃないものね。ただし、まずは今現在の現世を見てきなさい。話はそれからよ。白澤様に言われて豆狸様とここまできたのでしょうけれど、きっと白澤様には江戸の世を見てこい、なんて言われたのでしょう」

「えっ…」

(それって無理じゃない…!?っていうかなんで全部わかるの!?)

 現世を見てこいなんて言われても、簡単に隠世からでて江戸の町を見てくるなんてことできっこない。

「現世に行くことに関しては安心して。私だって超上級あやかしよ。人の子数人と豆狸様を現世に飛ばすことくらいできるわ。帰ってくる頃にはお鍋用意しといてあげるから」

 そう言うと青行燈は、いってらっしゃい、と穏やかな顔で私たちに向かって言うと、その華奢で白い右腕をすっと持ち上げ、掌をこちらへ向けた。

「「「「「「!!」」」」」」

 視界を青の鬼火が埋め尽くしたと思ったその時、体がふわっと宙に浮く感じがした。

 しばらくどこかふわふわした感覚に包まれた後、すとんとどこかに足が着いた。

 そしてうっすらと目を開けると、そこには…



「ここが…江戸の町…?」

 人々が皆一様に暗い顔をして歩く重い空気の漂う町が広がっていた。



 *



「な、何、この陰気臭い町…」

「侑都、そんなこと言うなって…」

「確かに分からなくもないけど…」

 気づいた時には江戸の町にいたのだが、その町がどうも賑やかでない。

「…侑都さんの言う通り、今、江戸の町はあやかしによる事件が多発しており、人々の心は鬱々としているのです」

「やっぱり…」

 なぜか陰気臭い中にピリピリと何かに対して敵意をむき出しにしているこの町は、私の知っている活気に溢れた江戸の町ではなかった。

 豆狸は、僕はこの町の人間には妖力を使わない限り見えませんので、気にせず町を散策してくださいと言うと、私たちの背中をさぁさぁと町中へ押した。



 そこで人々の口から出ていた言葉は予想以上のものだった。

 どうやらあやかしに対し、苛立ちが溜まっているのは本当らしい。

 中でも気になったのは…

「最近そこの神社であそこの奥さん、鬼を見たんですって」

「本当よ!黒い着物で角が生えてる男の人がいたのよ!!」

「まったくもうどうしてくれるんだい…うちの酒全部鬼が持って行ったってどういうことだよ…!!」

 …鬼に関すること。

 その他のあやかしの話も出ていたが、やはり一際目立ったのは鬼の話だ。

 ただどれもよく聞いていると、犬のように駆け回っては人を殺したりする者や、双子のような九尾の狐を見たという話も一緒に出てきていて、要するにおそらく鬼神、九尾の番、犬神がこの町では厄介なあやかしとされているようことが伺えた。

「鬼神様方も、人間に対してただ単に悪戯のようなことをしているわけではないのですが…」

「えっ、そうなの?」

 急に発せられた豆狸の言葉に私は驚いた。

 なんせ、てっきり遊びのように町でこんなことをしていると思っていたのだから。

「僕が知っているのはほんの一部なので一概に全てのあやかしがこうだ、とは言いにくいのですが…隠世にいた僕を含むあやかしは全て、元は人間として生きていたのです」

「ええっ!?」

「そんな…本当なのか…?」

 予想外のことにみんな驚いていた。

 無理もない話だ、あやかしは元からずーっとあやかしとして生まれ、生きてきたと思っていたのだから…。

「はい…そして人として生きた後、死ぬ際に優しさや、人間への忠実な心を持った者は優しさをもった比較的良いあやかしになります。それに対して、憎しみや嫌悪感、人間に対して怒りや殺意も持った者は、その気持ちの大きさで強さが決まり、悪寄りのあやかしになります」

「そんな仕組みがあったの…?初耳…」

「俺もそれは初めて聞いた…」

 思いもよらない真実に、私と子憂はとくに驚き、反応した。

「ですので、鬼神様や九尾の番、犬神様は、一際その気待ちが大きかった、ということになります。故に恨み晴らしといったところでしょうか、既にご存知だとは思いますが、鬼神様はその理由があり、人間の世で戦をしようとしているのです」

 単に面白半分で戦をふっかけようとしていると思っていた予想を覆され、その話を聞いている間、息をしていたかわからないほど聞き入っていた。

 みんなもそうだったのか、ちらりとみんなのほうをみれば、いつになく真剣な顔をしていた。

「そして今現在、江戸の者があやかしに対し敵意をもっているのには理由があります。もちろん日々の悪戯に悩まされているというのもあるのですが…」

「…?」

「いつもそういった人々のあやかしに対する苛立ちを鎮めていた、鬼桜葉神社の神職の力が衰えつつあるのが一番の原因でしょう」

「き、鬼桜葉神社って…」

「侑都ん家じゃねぇか!」

「えっ、そうなのですか!?」

「あ、えっと…豆狸さんは初耳だと思いますが、実は私の家は鬼桜葉神社なんです…」

「な、なんとっ…!!じゃあ…侑都さんが神職さんのところへ行ってあげてください!というか今から行きましょう!」

「えっ、今からですか!?」

「そうです!さぁ行きましょう!いざ、神職の里藤守尋りとうかみひろさんのところへ!!」

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