第1話/Aパート


 県立おこげ学園高等部、一年F組の教室。

 チャイムとともに、雑談と机のきしみで賑わう昼休み。


「ねえねえ、聞いた? あの話!」

「聞いた聞いた! オフクローがまた出たんでしょ?」


 女子たちが鈴のように笑いながら、今まさに弁当を開けようとした男子二人の席に、軽くぶつかり過ぎていく。


「おっと、危ない」


 ぶつかられた男子二人の片割れ――辰巳たつみ 料馬りょうまは、蓋が床に落ちる直前を、指につっかけ器用に拾った。

 反射神経が良いことが誰の目にもよくわかる。実際、放課後の辰巳はあらゆる運動部からぜひ助っ人に正式メンバーにと引っ張りだこだ。ただし家庭の事情から、彼がその誘いに乗ることはほとんどない。

 ツンツンした短い髪に、健康そうな眉、しっかりした肩幅。


「さって。気を取り直して。いただきます!」


 箸を挟んだ皮の厚い手を、胸の前でパンと打ち合わせて、軽く頭を下げる。

 広げられたるは色彩豊かな三段重。

 向かい合った友人の佐原は、コンビニおにぎりを頬張ってから感嘆のため息を漏らした。


「あいっかわらず、お前の弁当はすげえなあ」


 手堅く質実なおかずが、三段重箱の中に目一杯詰められている。

 秋晴れの陽射しを映したような、さつまいもの黄色に、白くつややかな白米。秋茄子の揚げ浸しに茸の酢漬け。卵焼き。青菜のおひたし。ポテトコロッケ。その他諸々。

 三段重から覗く色鮮やかなおかずたちに、佐原は許可も得ないで手を伸ばす。


「ひとつ交換してくれよ」


 コロッケがひょいひょいと幾つも手前のアルミケースに移動され、重箱の隅に、コンビニの細巻きが放り込まれる。

 明らかに等価交換ではないのだが、料馬は頓着せずにかんぴょう巻を口に運ぶ。それでも手塩にかけて作った昼飯、箸を止めてのひとこと苦言は忘れない。


「佐原おまえ、好きに食っていいけど、揚げ物ばっかり取るな。野菜も食えよ」

「いいじゃん、なんだよその言い草。ごつい顔してオカンかよー。あ、竜田揚げもイイねー、もーらい。さてはお前、オフクローだな! なんつってー」


 ややおとなしめの風貌に似合わぬ軽いノリで、佐原はケラケラと笑った。

 と。不意に佐原の傍から冷や飯のような気配がした。


「――ねえ。『オフクロー』って、何のこと?」


 料馬がゆで卵をかじりつつも視線を上げる。

 覗いていたのは、先月転校してきたばかりの白緑しろみどり 亜緒あおだった。

 ほのかなアミノ酸の香りを漂わせ、濃緑の襟に二つ結んだ髪が落ちかかっている。華やかな見た目の中でも特に、瞳を縁取る長い睫毛が印象的だ。


「なになにぃ、亜緒ちゃんヒーローに興味あんの?」


 振り返りざまに馴れ馴れしく名前を呼ばれて不快だったのか、転校生は眉根を僅かに寄せた。

 そもそも、愛想のない彼女がクラスメイトに話しかけること自体が珍しい。友人も作らず、昼休みもひとりでパンをかじっていることが多かった。


「……別に。よく聞くから、気になっただけ」

「なんならさぁ、俺のことも名前で呼ん痛てっ」

「まあ、ご当地ヒーローみたいなものだよ」


 気づかず続けようとする友人を机の下で蹴りまくり、料馬が話を引き取った。

 オフクローは確かにここらで名の知れたヒーローだ。ただし、


「観光用のヒーローじゃないから、『ご当地』っていうと違うかな。時々深夜に現れて、オフィス街に蔓延る違法労働組織・『24《トウェンティーフォー》ブラック』の連中と戦ってるんだ。昨日もロソマ食品の社長が捕まったしな。全国ニュースでも取り上げられたことがあるよ。な、佐原」

「そうそう! 正体不明だけどさ、一回だけ撮られた動画がネットに上がってたよな。『24時間戦う我らを遮るな!』『断る!聴こえないのか!? 妻と、子どもの泣き声が! 故郷でお前を案じ続ける、お袋さんの溜め息がッ!! 自宅に帰れ、社長のしもべ!!』ってな」


 亜緒は、ふうん、と気もなく肩を竦めた。それから、仰々しく広げられた重箱を何気なく見た。


「……お弁当、すごいのね」


 懲りない佐原が、きつい瞳にもへこたれることなく料馬を指差しヘラヘラと笑う。


「そうそう。亜緒ちゃん、こいつんち定食屋でさあ。すげー料理うめーんだよ。よかったら亜緒ちゃんも一緒に食べね? お昼いっつも一人じゃん」


 最後の一言は余計だった。

 耳より高い位置で二つ結びした艶のある黒髪が、首の後ろでぴこんと跳ねる。


「い ら な い 。あたしお昼は購買だから。教えてくれてどうも。じゃね」


 濃緑のスカートを膝上で翻し、鼻をならしてそっけなく去って行く。


「なんだあ、ありゃ?」

「わからん」


 キーン、カーン、コーン。

 二人のぼやきに、昼休み終了の予鈴が鳴り響いた。


 ◇


 地下鉄の階段を上り、オフィスビルの立ち並ぶ通りの角から細い路地へと駆け曲がる。

 日暮れの早いこの季節。薄暗がりに暖かな明かりがともる定食屋へ、部活の勧誘も断って、辰巳料馬は帰宅する。


 おふくろ亭。

 料馬の曽祖母・浜の代、昭和初期から続く店だ。


 定時になると、残業前のサラリーマン達がこぞって定食目当てに訪れる一方で、持ち帰りの窓口では、主婦の惣菜用に塾前の買い食いにと、百円コロッケが飛ぶように売れる。夕時は、猫の手でも借りたい時間帯だ。父は外で働きに出ているため、祖母と母の二人に、近くの大学に通ういとこにバイトを頼んでいても手が足りず、料馬も帰ってすぐから閉店後の片付けまで、毎日厨房で汗を流すのだった。


 ――さて。


 いとこが「おばちゃんまたねー」と明るく引き戸の桟を越え、父が帰宅し、食卓を囲んでから数時間。


 短針と長針がつかの間交わり、日付が一日進む頃。

 とっぷりくれた夜の街。犬の遠吠えと、酔いどれ以外の泣き声は、ひっそり屋根の下に消え、人の耳には届かない。月に群雲、小寒い木枯らし吹きおりる、宵闇の中にぽつりとひとつ、明かりが灯る。

 おふくろ亭の厨房だ。


 ガス火が一人でに吹き上がり、ピルエットをくるくる踊る。

 その色は鮮やかな赤と、目の覚めるような青。


 ボヤだろうか?


 ……いいや!

 いいや、そうではない。

 竈を司る荒ぶる神、コージン様からオフクローへの出動命令に他ならない!


 そう。

 辰巳家こそ、涙を流す弱き立場の妻子のため、代々「オフクロー」を務めてきた家系。本来は代々長女に受け継がれるお役目であったが、現在辰巳家には高校生の息子がたった一人だけである。

 料馬は、異例中の異例、初の男による跡継ぎなのであった。


「リョウマ! リョウマ!! 悪の組織を見つけたゼ!!」

「はいよっと」


 竈神かまどがみの呼び出しに応え、二階からパジャマのままで駆け下りてきた料馬は、手近な前掛けを素早く羽織って腕をまくった。

 神棚の水を替え、ガス台の前で柏手と礼。


「コージくん、コージくん、今日も宜しく願います!」

「やりなおし! 『様』をつけろよ、コージン様だい」


 踊る炎ににまりと笑って、もう一度柏手をパン!


「細かいことは気にしない! 変身頼むぜコージくん!」


 踏みしめた足音から蒸気が噴き出す。

 コンロが眩しく輝き、瞬間的に炎が立ち上った。

 しかし、熱さは感じない。渦巻きながら料馬の全身を覆い尽くし、厨房全体が眩く光る。


 パン! という響きとともに、前掛けの油汚れが光をまとったように一瞬で綺麗になる。

 前髪は逆立ち、三角巾が額に巻きつき装着される。

 菜箸が回転し、輝く白木に素材を変えて、フライパンの錆が消えて巨大化する。


 その身を包むは炊きたてご飯の郷愁香!

 家路の明かり、眩い思い出に包まれたその姿は、人呼んで、


 【 割烹慈母神かっぽうじぼしん・オフクロー! 】



「敵の居場所は地面の下ダ! 気合いを入れて頑張れヨ!」

「ああ!」


 竃神の激励に、左手の巨大な鉄器をぶんと振り。

 オフクローは足を踏みしめ、力強く頷いた。


「ほいじゃ、ちょっくら行ってきますか!」


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