第1話/Bパート


 地下鉄、さばみそ煮駅。

 今まさに終電が出ようとする1番ホームで、複数の影が揉み合っている。


「止めろ止めろ! やつを帰宅させるな!! 裏切り者めっ!」

「息子が! 息子が重病で一刻を争うんだ! 帰してくれええ!」

「お客さん、電車が出ます! 駆け込み乗車はご遠慮ください!」


 駅の平和を守る駅員は、一人を残して悪の組織の毒牙にかかり、息も絶え絶えに這っていた。誰もが肩を上下させ、痛みに耐えて呻くばかり。それでも、駅員さんは彼らの職務に忠実に、ダイヤ通りに終電を発車させようとしていた。


「お客様がお帰りだッ! 発車だ! 俺たちのことはいい! 定刻通りに発車しろ!!」

「逃がさんっ!」


 走り出した電車の扉をこじ開けて、戦闘員がぞろぞろ乗りこむ。ガタン、ガタン……、ゴトトン、ゴトトンゴトトン……!

 車両の中で追い追われ、乗客たちが悲鳴を上げる。

 しかし、じりじりと速度を増す地下鉄の最後尾車両に、裏切り者が追いつめられるのにさして時間はかからなかった。


「お客様! 車内での迷惑行為はご遠慮願って……ぐはっ! お客様ぁ!」


 取りすがる車掌を突き飛ばし、戦闘員たちは腰の抜けた男を取り囲んだ。


「『社長』のお勤め中に一人帰宅しようなどとは組織に対する敬意が足りん! さあ、会社に戻ってもらおうか!」

「やめてくれ! 追わないでくれ! もう悪の手先はたくさんだッ!! 俺は、俺は妻と息子の待つ家に帰るんだああああああ!!」


「よくぞ言った! その家族愛、褒め称えるに値するっ!」


 大音声と共に、車両内を白い蒸気が覆い尽くす。車両を区切る扉が自動的に開かれて、蒸気の向こうに割烹着姿の人影が、ゆらりと音なく現れる!


「き、貴様! 何者だっ!?」

「………『何者か』…!? 問われるならば答えよう!

 聴こえないのか!? か弱い子どもの泣き声が!!

 故郷でお前を案じ続ける、おふくろさんの溜め息がッ!!

 自宅に帰れ!!

 さもなくば、この割烹慈母神・オフクローが、彼らに代わっておふくろの味で貴様らに家庭の心を刻みつけるッ!!」


 いっそう激しく吹き上がる蒸気に、悪人たちが怯むその間を逃しはしない! 巨大フライパンを一回転させると、銀色に輝く寸胴の金属器が中に突如と現れる!!


「食らえ、必殺! ニック・ジャガー!!」


 説明しよう!

 ニック・ジャガーとは、豚バラ肉をじゃがいもと玉ねぎ、にんじんと糸こんにゃくで砂糖醤油味に煮込んだ、オフクローのもっとも得意とする攻撃である! ご家庭では手の届きにくい牛肉ではなく万人向けの豚肉を使用し、人参は彩りと栄養を慮った母の愛であるっ!!

 対する汎用性が高く有効範囲も非常に広い、まさにオフクローを象徴する技といえよう!!


「ぐわああああ!」


 大部分の戦闘員が、圧倒的な力になぎ倒される!

 それでも懲りずに立ち上がろうとした一人が、オフクローと彼らの間にある車両の扉に這いずり、手を伸ばす。連結器を外し、最後尾のこの車両だけでも会社に残ろうとする悪あがきだったが!


「させないっ!」


 風を切って白い菜箸が蒸気を貫き、中指と薬指の間にガガッとささる。

 屈辱に歯を食い縛り、見上げる戦闘員の襟を掴むと、オフクローはにっこり笑った。


「さて。『社長』の元に案内してもらおうか」



 ……


 並み居る戦闘員が洗脳を解かれて、タイル張りの廊下にバタバタと倒れ込んでいる。最奥の豪奢な一室で、黒革張りの椅子に悪の幹部が追い詰められていた。菜箸を首元に突きつけ、オフクローが鋭く彼を断罪する。


「貴様が、この企業組織『洋王』の幹部――『社長』だな。諦めろ。証拠は出そろい、貴様の味方はもはや一人も残っていない」


 社長は、マホガニーの机に膝をつくオフクローを空ろな目で仰ぎ、枯れた笑い声を洩らした。


「フ……フフフ…フハハハハ……ハハハハハハハハ!! 笑わせるッ! 貴様の『正義』など、所詮自己満足よ。組織を甘く見ないことだな。私を倒したところでいずれ第二・第三の私が……!」

「何とでも言うが良い。例え悪の芽は尽きぬとも、私はただ、目の前の悪行を止めるだけだ」


 覚悟を決めたその姿に、ガクリと、悪の社長の肩が落ちる。憑きものが落ちたように座り込むスーツの男たちに静かに微笑み、


「……オフクローの名のもとに、よい家路を」


 今宵のオフクローの任務は、完了した。


 群雲に月明かりが飲まれていく。立ち去る背中のエプロン紐は、湿気を含んだ夜風にたなびき、路地へと溶けて消えていった。



 ◆



 秋の暮れ時、おふくろ亭。

 残業に備えたサラリーマン達が、日替わりの鯖の味噌煮A定食をかっ込み、塾通いの中高生たちがコロッケ売り場にたむろっている。定食コーナーからコロッケ売り場へとくるくると忙しく働くいとこの玲実に負けないように、帰宅した料馬も明るいいとこの声と、定食スペースのニュース番組をBGMに、コンロの熱気で汗を滲ませていた。

 しとしとと雨が降り続き、コロッケ売り場を閉める時間まであと五分。客の入りが途切れてくる。


「はーい、毎度ありッ! 次のお客さまどうぞっ」

「……あの。カニクリームコロッケひとつください」

「料馬ちゃん、カニひとつー。って、あれ、こげ高の制服じゃん。もしかして、料馬ちゃんの知り合い?」


 いとこに水を向けられて振り向く。

 聞き覚えのある声だと思っていた通り、そこにいたのは白地に青い水玉の傘をさした、白緑亜緒だった。


「白緑!」

「……あぁ。ここ、辰巳くんちのお店なんだ」


 謎めいた転校生は、珍しく表情らしきものをみせた。


「きゃー! 料馬ちゃんのガールフレンド? やだやだー写真撮っていい!?」

「レミ姉やめて」


 盛り上がるいとこを呆れ顔で止め、待ち客がいないことを確認すると料馬は厨房の火をいったん落とした。

 コロッケ売り場のカウンタへ、手を拭って顔を出す。


「偶然でも何でもいいや。おまけするから食ってって。うちの目指してる味は『万人に通じるおふくろの味』だからな。美味いと思ってくれたら嬉しいんだけど」


 言いながら、カニクリームコロッケと、もうひとつ、別の皿から小判型のコロッケを紙袋に入れて、手提げの袋に更に入れ、百円と引き換えに突き出した。


「これ、おまけな。基本にして万能の、うちを象徴するコロッケだ」

「ふうん。なに?」


 訝しげな瞳に応えて、オフクローは、料馬は親指をグッと突き立てにまりと笑う。


「肉じゃがコロッケさ!」




 第1話/完

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