295帖 接近

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 少年は間抜けな程びっくりした顔をしてる。


 もしかして敵がやって来たと思てビビってるんやろか。まぁ、それは無いか。


 その中学生位の少年に、ミライはクルド語で話し掛ける。暫く話し込んでミライとの会話が終わると少年は、僕を上から下まで舐める様にして眺めてくる。

 そしてミライに一言声を掛けると坂を下り始めた。


「おにちゃん。こっちよ」


 ミライも坂を下り始める。


「どこ行くねん?」

「まぁいいから」


 しょうがないし僕も二人の後を追って坂を下る。

 果樹園らしき林を通り小さな川を渡ると家があり、その家の間を抜けると広場に出る。

 そこを歩いてた二人の老人が僕らを見つけると、


「やぁ」


 と、手を上げて気さくに声を掛けてるくる。僕も手を上げて軽く挨拶をする。


 広場の反対側の家の裏に入って行くと、一番奥の家の前で立ち止まる。

 少年は家の中へ入り、誰かと話しをしてる。暫くして少年とそのお父さんらしきおっちゃんが出てきた。

 おっちゃんは僕をジロジロ見て、それが終わると、


「ハロー」


 と英語で話し掛けてくる。


「ハロー。メルハバ(こんにちは)」


 と挨拶すると、おっちゃんはニコッと微笑み「中へ入れ」と手招きする。ドキドキしながら僕が中へ入り、ミライも続いて入る。

 少年はそのまま走って行ってしもた。羊の所へ戻ったんかな。


 土で出来た質素な家。天井からは乾燥したトウモロコシ等の野菜が吊るしてある。床には少し汚れた絨毯が敷いてあって、壁際にはベッドが3つ置いてあった。電気は点いて無かったけど、曇った窓から外の光が差し込んで薄明るい。

 奥は台所やろか、人の気配はあった。


 絨毯に座ったおっちゃんに、


「荷物を降ろせ」


 と言われてるみたいやし、僕はリュックを降ろし、おっちゃんの対面に座らせて貰う。僕の少し後ろにミライが座る。


 するとミライがおっちゃんに話し掛ける。二人のは会話は早口のクルド語やったんで、何を話してるかは全く分からへん。

 それでも聞いてると、「ジャポン」って言葉が出てきたし、どうやら僕の事も説明してくれてるみたい。

 するとおっちゃんは奥に向かって2つ3つ言葉を投げかけると、奥から女の人の声がした。


 その後の会話は、「Sulayスレイmaniyahマニヤ」とか「Arbilアルビル」とか街の名前が出てきたし、どうやらミライはここへやって来た経緯を話して様や。


 そこへおっちゃんの奥さんらしき人が現れる。なんとチャイを持って来てくれた。


「どうぞ。それから残り物だけど召し上がれ」


 みたいなことを言うて、皿に載ったナンを置いてくれた。そのナンを見た途端、急激に空腹感が襲ってくる。唾まで出てくる始末や。

 おっちゃんは、


「どうぞ」


 と手をかざしてる。ミライの顔を見ると、


「おにちゃん、食べて」


 と笑顔で言うてくれる。そやけどミライもお腹が空いてるはずや。僕は冷めたナンを2つに切り、片方を皿に乗っけてミライに渡す。

 それを見てたおっちゃんは、


「ジャポン、グー!」


 と言うて笑い声を上げてる。


 照れ笑いをしながらチャイを一口飲んで、ナンを口にする。口の中に広がる小麦の香り。塩とバターの味が仄かにする。

 久しぶりに口にした炭水化物。噛めば噛むほど甘味が出てくる。


 ナンってこんなに美味しかったかな?


 そう思いながら飲み込む。そしてもう一口。それを見てミライもナンを食べ始める。


「美味しいなぁ」


 ミライは頷きながらナンを噛み締めてる。


 ナンは3口程で無くなってしもたけど、それでも満足やった。空腹感は収まらへんけど、チャイとナンを屋根のある家の中で食べられた事で気持ちも落ち着いてきた。


 食べ終わった後は、ミライを通訳にしておっちゃんからいろいろと情報を聞く。ここは何処やとか、アルビルまで後どの位やとか。それと今の戦況についても。


 まずおっちゃんから返ってきた話しは、政府軍、つまり敵の動き。

 先月までは戦闘とは無縁の村やったけど、今週に入ってから政府軍が2回程村の近くまで偵察に来てたそうや。その間にPêşmergeペシュメルガも1回警備に来たらしい。


 ほんでこの村やけど、ここはアルビルエリアやから安心してええと言うてた。しかも車やったら1時間程でアルビルの街に着くそうや。

 ただ、車を持ってる人はこの村から居らん様になってしもたから車は無い。そやしロバ車やったら明日にでも送って貰える様に頼んでやると言うてくれた。


 ロバ車かぁ。なんか懐かしいなぁ。スピードは遅いけど、まぁ歩くよりは全然ましかぁ。


 と思いながらおっちゃんにお礼を言うてたら、急に入り口のドアが開き、さっきの少年が入って来る。入るや否や、慌てた口調でおっちゃんに話し掛けてる。


 穏やかやったおっちゃんの顔が急に険しくなり、少年に指示を出して走らせる。

 それと同時におっちゃんも家を出て行ってしもた。


「ミライ。何があったん」

「この村に政府軍の車が近づいて来てるって言ってたわ」

「マジかぁ」


 今まで安心してたのに急に心臓が高鳴りだす。どないしよと思て家の中を見渡してみても、当然武器なんかはあらへん。そやさかいどないする事も出来へん。今から逃げても遅いかも知れんし、ただただ成り行きを案じてた。


 ミライの顔を見ると少し怯えてる様や。

 僕はミライの腕を取って手をギュッと握り締めた。



 つづく

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