288帖 永遠の別れ

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 ミライの叫び声が聞こえた岩陰の窪みに入ると、そこには顔に手を当て恐れ慄くミライの姿があった。ミライは僕を見つけると駆け寄り、しがみついてくる。


 ミライは混乱してるのかクルド語で何かを訴えかけてる。


「ミライ、落ち着いて。どうしたん?」


 そう問いかけてもクルド語で何かを言いながら泣き叫んでるだけやった。僕はミライの身体をぎゅっと抱きしめ落ち着くのを待つ。


 ミライが目を覚まして無事やったんと、ミライ以外に誰も居らんかったんで僕は少しホッとして冷静になる。多分ミライはハミッドさんの亡骸を見つけて驚いてたんやろ。顔に手拭いでも掛けといたら良かったと思た。



 少し落ち着いたんかミライは顔を上げて僕に話しかけてくる。


「どうなったの。何が起こったの?」


 それでも混乱してる様や。そやし僕は岩の傍にミライを座らせ、


「取り敢えず水を飲んで」


 とポリタンの水を飲ませる。相当喉が乾いてたんか、ゴクゴクと飲んでる。その間に僕はハミッドさんの顔に手拭いを掛け合掌する。


 ミライの傍へ戻って、ミライの顔に付いてる涙を手で拭い、目を見つめる。


「落ち着いて聞いてや」


 と言うと、ミライはコクリと頷く。

 一呼吸置いて僕は、あの爆発の時からの経過をゆっくりと語り、聞かせた。勿論、ハミッドさんの死の事も。


 話し終えるとミライはまた僕に抱きつき、また泣き始める。そりゃそうや、さっきまで一緒に過ごしてた人が死んでしもたんやし……。


 一頻り泣いた後、ミライは涙を拭いて顔を上げた。


「これから私達はどうなるの? どうしたら良いの?」

「今は兎に角ここからは逃げよう」

「うん。でも、ハミッドさんは?」

「連れて行けへんから……、ここに埋めよう。さっきまで穴を掘ってたんや」

「そう……なのね」


 そうは言うものの、ミライはハミッドさんの亡骸を見つめ、まだ死を受け入れられて無い様な表情をしてる。


「残念やけど……」


 申し訳ないけど、ハミッドさんは一緒に連れて行けへん。今はなんとかミライを無事に連れて帰る事が優先や。そう考えて僕はなんとか気持ちに区切りを付ける。


 そうしてる間に何時敵が現れるかも分からへんし、あまり時間も掛けてられへん。僕はまたスコップを持って穴を掘り始める。

 さっきまでは穴を掘ってると涙が溢れてきたけど、今はそれが無い。これからミライを守っていかなという思うからか、自然と涙は出んかった。ハミッドさんに勇気を貰った様な気さえしてきた。

 暫く掘ってるとミライも手伝ってくれる。左の肩が痛いみたいで右手だけで砂を掻き分けてた。


 人が入れる程の穴が掘れた。穴と言うても30センチ程の窪みが出来ただけ。二人でハミッドさんの亡骸を運び穴の底に寝かせる。僕は手拭いを取り、もう一度合掌する。その隣でミライは跪いてお祈りをしてる。


「ハミッドさんも喉が乾いてるやろうから」


 と、僕はポリタンの水を血で赤く染まってる口に流し込む。水は口から溢れるだけ。それがとても悲しく感じた。

 グッと涙を堪え、掘り出した砂をハミッドさんに掛ける。


「ちょっと待って」


 ミライがハミッドさんの服を調べると、ポケットから小さな手帳と紙幣の束を見つける。


「これはハミッドさんのお母さんに渡しましょう」


 ハミッドさんには年老いたお母さんが居るらしい。なんて言うて渡したらええか分からんけど、ちゃんと届けようと思てリュックにしまう。


 ほんで再び砂を掛け始める。

 少しずつハミッドさんの姿が砂で埋もれていくと、また涙が溢れそうになってきた。


 ここは岩陰の砂の吹き溜まりみたいになってるさかい、亡骸が露出する事は無いやろけど、念の為に二人で周りに落ちてた岩や石を拾い集めて積み上げ、埋めた所が分かる様に目印も兼ねて墓標の代わりにした。


「さー、一刻も早く逃げよう」


 ミライのカバンを僕のリュックに詰める。ハミッドさんのカバンは入り切らへんさかい着替えの上着を一枚だけ遺品としてリュックに入れる。するとミライがハミッドさんのカバンから分厚い封筒を見つける。それには結構な金額の紙幣が入ってた。


「これはお父さんが渡したものだわ」


 この先どこでお金が必要になるか分からんし、それは持って行くことに。それにお土産に買うたんやろか、乾燥肉の塊や香辛料の入った袋、綺麗な柄のスカーフも出てくる。

 お母さんに上げるつもりやったんやろか……。


 それもリュックに押し込め、立ってリュックを背負う。二人でハミッドさんに最後のお別れをして、坂を下り始めた。

 僕もミライもハミッドさんが眠る墓石の方を何度も振り返ってた。


 こんな悲しい別れは無いわ……。


 と、この旅で初めて経験した死別を悔やんだ。そして、その根源である戦争を憎んだ。


 台地を下り、砂地に足を取られながらも止まること無く進む。お腹が減ってる事に気が付いたけど、ハミッドさんの埋葬に時間が掛かってしもたんで少しでも遠くに逃げ様と足を動かす。


 月明かりを頼りに、次は山を登り始める。


「あの尾根を越えたらいっぺん休憩しよ」

「ええ。がんばりましょ」


 それぐらいしか喋られへんかった。二人共ハァハァ言いながら山を登る。僕はミライと手を繋ぎ、僕自身もしんどかったけど少し引っ張りながら先を急いで登った。



 近くに見えてた尾根のシルエットは意外と遠い。それでも休まず登り続ける。ミライも頑張って登ってくれた。

 尾根を越えたと所で振り返ると、台地の上に黒い車の影が見える。炎はもう消えてたけど、まだ煙りは上がってる。遠くに薄っすらと見える街の明かりはKirkukキルクークやろか。


 川の向こうには暗闇がある。そこには敵が潜んでる様に思えて怖かった。もしかしたら敵にはずっと僕らの行動が見えてるちゃうかと思うとゾッとする。


 ほんでも結構歩いたし、ミライもしんどそうやったんで尾根を少し下った所で休憩する事にした。



 つづく

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