289帖 砂漠でビバーク

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 岩陰にリュックを降ろし、ポリタンを出してミライに渡すとゴクゴクと飲んでる。それで1つ目のポリタンは空になった。


「あそこの泉で水を汲んどいて良かったなぁ」

「そうね」


 ミライに少し笑顔が戻ったみたい。

 ヘッドライトを点けて見つかったら怖いさかいに、月明かりだけでリュックの雨蓋を探ってるとチョコレートの欠片とビスケットを見つけた。パキスタンのSostスストで買うたヤツの残りや。

 それを半分づつ分けて、ミライに渡す。


「ありがとう。おにちゃんは何でも持ってるのね」

「いやぁ、登山用に買うた残りもんで悪いねんけど……」


 ミライは噛み締めながら食べてくれる。


「甘くて美味しいね」

「そうか。良かったわ」


 僕にはパサパサしてあんまり美味しいと思えへんかったけど、少しは空腹を紛らわす事が出来たし、気持ちも落ち着いてきた。


 するとどうやろ、首が痛い事に気が付く。今まで緊張してたし分からんかったんやろう、首を回すとある角度以上は痛くて動かせへん。そんな自分の事とよりもミライや。


「そうや。ミライの肩は大丈夫?」

「そうね。まだ少し痛いの」

「見せてみ」


 僕はミライの服の背中のボタンを外して左肩を露出させる。白い柔らかそうな肌が月明かりでもしっかりと分かる。それと同時に左肩の後ろの方が紫色に内出血してて少し腫れてるんが分かった。多分、車から放り出された時に地面で打ち付けたんやろ。


「大丈夫か。薬を塗ろか?」


 筋肉痛の消炎鎮痛剤のクリームならある。


「ううん。大丈夫。ちょっと痛いだけだよ」

「そやけど……」


 ミライは衣服を整え始めた。それを手伝って元通りにするとミライは僕に持たれ掛けてくる。それをそっと抱きしめて、遠くを眺める。


「おにちゃん、ありがとうね」

「何が?」

「私を助けてくれて」

「いや、これからやで。ミライも頑張ってな」

「うん」


 夜の暗い内になるべく遠くへ逃げたい。一つ尾根を越えただけやし、まだ1キロも歩いてへんはずや。


「今日は行けるとこまで逃げるで」

「うん。おにちゃんに付いて行くよ」

「よっしゃ。もう少し休憩したらまた歩くで」

「分かったわ」


 そう言いながらも身体は動かんかった。ミライを抱いてると落ち着くんもあって心地ええ。それに昨晩は殆ど寝てないし、少し眠気も襲ってくる。時計を見ると9時を過ぎたところ。


 あかん。早よ逃げな!


「ミライ。しんどいやろけどそろそろ動くで」

「うん。行きましょう」


 腰を上げ、リュックを背負ってミライに手を伸ばす。ミライは嬉しそうに僕の手を握りしめた。ミライの笑顔を見ると、ふとハミッドさんの事が思い出されたけど、今暫くはミライの為に話題にせんとこうと思た。


 岩と砂混じりの坂を下る。何処へ逃げたらええのんかは分からんけど、兎に角今は車が爆撃された所から遠ざかる様に進路と取る。確実に一歩づつ、しかもなるべく急いで坂を下る。


 それからまた上り。シルエットで見える稜線を越したらなんとなく少しは安全やと思えた。

 登山道があるわけでも無く、ましてや月明かりの中、慎重に進路を探して登るけど、急な岩場はミライには登れへん。そやし迂回しながら上を目指す。結構時間が掛かってしもたけど、月が真南に差し掛かる頃に稜線に出られた。


 冷たい乾いた風が吹き、汗が一瞬で乾く。だいぶん気温も下がってきてる。

 2つ目のポリタンを出して水分補給をし遠くを眺めてると、さっき見えた方角とは違う所に街の明かりがぼんやりと見える。


「あれはArbilアルビルの街かなぁ」

「結構遠いね」


 それを見て少し落胆するミライ。


「大丈夫。そう見えるだけやで。必ず行ける。僕がミライを守るから」


 と言うと、ミライは頷いて少し笑みを浮かべてくれる。

 地図が無い今、何処へ行ったらええんか分からんし、取り敢えず目指すのはアルビルの街。そこまで行けば何とかSarsankサルサンクへ戻れるやろうと二人で相談して決めた。


 それから稜線に沿って再び歩き始める。しんどいし、まだ空腹感もあったあけど、何より敵に見つかるのが怖かった。

 兎に角歩けるとこまで歩くつもりやったけど、山登りに慣れてへんミライの身体がそれを許さへん。歩き始めて直ぐにミライの足が動かへん様になってくる。昼間は40度を越してた気温も今は25度を下回ってきてる。


 ミライに無理はさせられへん。


 そう思て少し稜線から下り、適当な岩陰の砂地でビバーク(露営)をする事にした。


「ちょっと待っててや」


 僕は地面を整え、リュックからシュラフ(寝袋)を出して敷く。


「一つしか無いけど、一緒に入って寝よか」


 ミライは、疲れ果てた顔に笑顔を作って、


「おにちゃんと一緒だもの。嬉しいよー」


 と言うて喜んでる。

 少し大きめのシュラフでも、二人で入ると狭いし、チャックは全部閉まらんかった。ほんでも二人でくっついてたらそう寒くはないやろ。

 ゴソゴソしながらポジションを決めて落ち着く。勿論、僕とミライは密着してる。丁度抱き合いながら寝る感じ。


 今日は怖いことや悲しい事があったけど、今二人で生きてられる事に感謝しつつ、お互いを慰め合いながら心が落ち着くまで唇を重ね合わせた。


 暫くするとミライの頬を流れる涙が僕に伝わってくる。僕はより一層力を込めて抱きしめ、力強く口吻する。ミライもそれに激しく応えてくる。

 それも束の間、身も心も疲れ果たんやろ、ミライの身体から力が抜けていくと寝息が聞こえてきた。


 僕はミライから唇を離し、空を見上げる。夜空には満天の星。


『砂漠で野宿をして星空を見ながら寝る』


 そんな僕の中のミッションが、こんな形で達成できるとは思ってもみんかったわ。ハミッドさんの事や、これからの行く末を思うと全然楽しく無かった。



 つづく

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