286帖 なんとなく嫌な予感

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 爆撃でもされたかと思たけど、そんな衝撃は無かった。冷静になり車を降りて調べてみると、なんと左の後ろのタイヤがパンクしただけやった。

 皆でホッとしてるとハミッドさんが声を掛けてくる。


「よし。素早くタイヤを交換して、このエリアから出よう」


 たまたまパンクで良かったけど、これがもし政府軍の攻撃やったらと思うとゾッとする。


「分かりました。手伝います」


 トランクの中からスペアのタイヤを取り出し、ジャッキアップしてタイヤを交換する。この作業中にも太陽はどんどん沈みかけてる。


 作業が終わった頃には辺りが薄暗くなり、ミライの不安そうな顔がより深刻になってた。


 再び走り出した車の後部座席でミライは沈黙してた。そりゃ僕も怖いけど、そんな様子を見せたらもっとミライは怖がると思て敢えて明るく振る舞い、そっとミライの手を握り締める。

 するとミライもしっかりと握り返し、少し笑顔も出てきて幾分顔の強張りが取れた様に見えた。


 ハミッドさんは慎重に車を走らせ小さな街に入る。T字路を右に曲がると橋があった。

 それを渡り終えるとハミッドさんは、


「ここはもうArbilアルビルエリアだ」


 と言うて少し安堵の表情を漏らしてる。ミライも少し安心したみたい。


 川の北側のTaqtaqタクタクと言う街。そこそこ大きな街やと思うけど、灯りは点いてないし街を歩いてる人の姿も無い。まるでゴーストタウンの様や。


「以前、この街でも戦闘があったのだ」


 そう言われると、街の所々にある壊れた建物や廃墟らしいものの存在に気が付く。もう人は住んでへんのやろか?


 暫く走り交差点をアルビルの方へ左に曲がる。その交差点付近には、数人のおっちゃんらの人影があった。


「あっ! 人が居る」


 こっちをジッと見てはったんで気になってしもた。それと同時になんとなく嫌な予感もしてくる。それをどう伝えてええやら分からんとモヤモヤしてる間に車は街を抜け、川に沿って砂漠の山間部の平地を走って行く。


 まだ薄明が継続してて真っ暗ではないけど、


「ライトは点けないぞ。もし敵に見つかったら攻撃されてしまうからな」


 そう言いながらハミッドさんは少しゆっくりと車を走らす。


 そのハミッドさん言葉に緊迫感や緊張感は無かったから半分冗談やと思いながらも、


「どうなんやろ。ゆっくり走った方が標的になりやすいんとちゃうんかなぁ。それとも、ここはアルビル県やからそんなに心配する必要が無いんかなぁ……」


 とまぁ考えが纏まらんまま時間が過ぎていく。


 そんなんで僕も黙ってたら、ミライが心配そうに僕の顔を覗き込んできた。


「どうしたの?」

「い、いや。今晩は何を食べよかなぁって考えてたんや」


 と誤魔化すと、


「次の街で夕飯にしよう」


 とハミッドさんが明るく言うてくれた。それから車内では何を食べたいかという話で盛り上がり、幾分明るさが戻る。


 車は川から離れ、ほんの少し高くなった台地へ駆け上る。台地に上がってびっくりしたんは、道路の脇に車が捨ててあった事。

 少し進むとまた車が止まってる。しかも真っ黒に焦げで、窓ガラスやドアは無く、タイヤも燃えて無かった。


「あれは一体……」


 ハミッドさんに声を掛けようとした瞬間、


 ヒューーー!


 と言う音が聞こえたと思た。ほんまに聞こえたかは分からん。そやけどそう思った時には既に大きな爆発音と衝撃と共に車がフワッとした後、体中に衝撃が走って何がなんやら分からん様になってた。



 痛い……。首が痛い。


 暫くして目を開けると僕の身体が上下逆さまになってる事に気が付く。


 目の前には車の天井が……。あれ?


 僕が逆さまになってるんと違ごて、車ごとひっくり返ってるんや。ドアは無くなってて外が見える。天井が押し潰されペッシャンコになって身動きがしにくい。砂やガラスの砕けた破片が纏わり付いてる。


 あれ、ミライは? ミライが居いひん!


「ミライ! ミライ! どこっ?」


 呼んでも返事はない。体を動かしてみたけど、ミライの姿は見えへん。


 取り敢えず車から出よ。


 車から出ようとするけど、潰れた車内は狭くて身動きが取れへん。邪魔なシートを蹴り出し、それで出来た隙間から外へ這い出す。

 すると車から4、5メートル程離れた所にミライの黄色い服が見える。車から抜け出た僕はミライに駆け寄り、抱きかかえる。


「ミライ! ミライ! おいっ」


 ほっぺたを叩いてみたけど、返事もない。ほんでも息はしてる様や。

 一体何があったんか頭の中は整理出来へんけど、さっきみたいなパンクやのうて、明らかに敵に攻撃されたんだけは判った。


 逃げな!


 また攻撃されたら一溜りもないし、僕は安全な場所を探す。

 辺りは砂漠やけど大小様々な岩が点在してる。そやし少し離れた所にある岩陰にミライを連れて行く事にした。

 ミライを抱きかかえ岩陰に向かって走ったけど、石か何かに躓いて転けてしまう。ミライを庇って転がったし地面で肩を打ってしまう。痛いけど、それでも早よ逃げなと思てミライの脇を抱え、引きずりながらも岩陰に連れて行く。


 岩陰でミライを寝かせ、もう一度呼びかける。ほんでも返事はない。そやし僕はミライの胸に耳を当てる。


 心臓は動いてる! 気を失ってるだけやな。


 そう思うと少しホッとした。一息付いてミライの顔に付いた砂を払い手ぬぐいで拭う。目を瞑ってるミライを眺めてると思い出した。


 そや! ハミッドさんは?


 僕は岩陰からハミッドさんに呼びかけてみる。何度か呼んでみても返事はない。


 また攻撃されるかも知れん。でも助けに行かんと!


 姿勢を低くして車に近づく。後部座席よりも運転席の方がひしゃげてる。その中にハミッドさんの頭が見えた。


「ハミッドさん!」


 呼び掛けても返事は無いし、腕を掴んで引っ張る。引きずり出そうとするけどハミッドさんの背中にハンドルが引っ掛かってて出てこうへん。ハンドルを蹴ってもビクともせえへんし、もう無理やり腕を引っ張ってハミッドさんを引きずり出した。


 ハミッドさんは額から流血してるし、腹部も血で赤こう滲んでる。しかも……、目は開いたままやった。


 もしかしたら、もう……。


 それでも僕はハミッドさんを引きずって岩陰に連れて行った。



 つづく

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