263帖 橋の下の約束

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 傘も差さずに走ってくる。まぁ、今まで傘を差してる人は見たこと無いけど。


「おにちゃーん!」


 ピカっ。


 閃光とほぼ同時に爆音が聞こえる。


「キャー!」


 耳を押さえてその場にしゃがみ込むミライ。雷は近くに落ちた様や。


「ミライ。危ないし屋敷に戻ってー」


 2発目の雷が鳴って聞こえへんかったんやろか、ミライは再びこっちへ向かって走ってくる。


 砂漠の畑の真ん中では、雷を遮るものは無い。


「おにちゃん!」

「ミライ! しゃがんで」


 そう僕が叫んでも、雷の怖さを知らんのやろ、ミライは走り続ける。

 その間にも僕は増々ドロドロになってきて、もう既にパンツまでドボドボや。


「おにちゃん、大丈夫?」

「あかんて! ミライ、しゃがんで」


 僕は傍まで来てくれたミライの腕を引っ張り、ちょっと乱暴やけど地面に伏せさせる。


 ドォォォン!


 3発目の雷が川の土手の林の向こうに落ちたみたい。木々のシルエットが見えると同時に、衝撃がやって来る。


「キャッ」

「ごめん、ミライ。伏せとかな雷が落ちてくる。そしたら死んでしまうんや」

「……」


 僕はミライの頭を押さえ、なるべく低い姿勢にさせる。もうミライもドボドボでドロドロや。雨の跳ねっ返りでミライの白い肌に泥水が付く。

 それを僕は手で拭いながら、


「雷は高い所に落ちるねん。そやから低くしてて」

「うん」


 4発目、5発目の雷鳴が響く。


「ヒィー」


 両手で耳を押さえてる。


「怖いか? ミライ」

「大丈夫。おにちゃんと一緒だから」

「そうか。ええ子や」


 そう言うたものの、いつまでもこんな所で寝っ転がっても居られへん。辺りを見回すけど北の屋敷は遠いし、南の村まではもっと遠い。東は砂漠やし、西は……。


 屋敷からDuhokドゥホック方面に向かう道の途中に川を越える橋がある。しかもコンクリートで出来てる。


 そうや。橋の下に入ってたら大丈夫やろう。


「ミライ。あそこの橋の下まで走れるかぁ」

「う、うん」

「そしたら今のうちに走って行って」

「おにちゃんは?」

「ゆっくり歩くから」

「私もおにちゃんと歩く」

「そやけど……」

「おにちゃん、一人で歩けないでしょ」

「大丈夫、歩けるから。そやから先に行って」


 次、いつ雷が落ちてくるか分からん。ミライだけでも先に避難させたい。


「いやよ。おにちゃんと一緒」


 歩けんことはないけど、確かに一人では歩きにくい。それよりも一刻も早く避難せんと……。


「分かった。ほんなら肩を貸してくれる」

「うん!」


 ミライに起こして貰ろて肩に掴まると、ミライは腕で僕の身体を支えてくれて、そのまま二人三脚みたいに歩く。


 頼む! 今暫くだけは鳴らんとってくれ。


 そう祈りながら田んぼの畦道を歩いてると、一段と雨がきつくなってくる。


 早よせんとまた雷が来そう……。


 ミライのお陰で少し早く歩け、なんとか僕らは橋の下に潜り込めた。


 そうっと腰を降ろして、ふーっと息を吐いたその瞬間。


 カラッカラッ、ドォーン!


 フラッシュの様に光って雷鳴が轟く。


「ワッ!」


 ミライはめっちゃびっくりしてる。僕もびっくりした。何処か近くに落ちた様な感じや。間一髪セーフってとこかぁ。


「危なかったなぁ」

「うん」


 橋の下に無事に避難できて雨や雷の恐怖からは逃れられたけど、泉から流れてくる冷たい水のせいで、ひんやりとした空気が流れてくる。それに雨でドボドボな身体が風でどんどん冷やされてくる。


「ミライ、寒くない」

「ちょっと」


 僕はミライに肩に手を回しミライをこっちに寄せる。やっぱり冷えたんやろう、少し震えてる様や。


「ミライ。こっちへおいで」

「え?」

「ほら、この前みたいに僕の前に座り」


 と言うて僕は足を広げる。僕の股のとこにミライが座ると、僕は後ろから手を回しミライの背中と僕の身体をくっつけて抱きかかえる。


 冷たぁー。


 身体をくっつけた瞬間は冷たかったけど、次第にミライの体温を感じて温かくなる。多分ミライも僕の体温を感じてくれてるはず。


「どう? 温かい」

「うん。おにちゃんの身体は温かいよ。おにちゃんは寒くないの?」

「おお。ミライを抱いてると温かいで」


 そう言うけど、首筋から背中にかけてヒヤッはとしてる。帰るまでの辛抱や。


「帰ったら温かいシャワーを浴びよな」

「うん。シャワーで温まろうね」


 ミライがそんな事を言うもんやさかい、ミライと一緒にシャワーを浴びてる様子を想像してしもたがな。


 そんな僕を叱るかの様にまた雷鳴が響く。そやけど少し雷は遠くに移動したみたい。閃光と音が少しずれてきてるし、音も小さくなってきてる様や。


「もう少しの我慢やで」

「うん。分かったわ」


 もう少し腕に力を入れて、ミライを強く抱きしめる。

 ミライの髪の毛は、濡れて癖毛がより一層跳ね上がってる。それが僕の頬に擦れてこそばい。


 そのまま時間が過ぎていくけど、僕らは黙って耳を立て、雨音を聞いてた。


 少しずつやけど、雨がマシになってきてる様なきがする。雷も大分遠くなってきてる。

 

「凄いね、おにちゃん」

「何がや?」

「だってほら、雨が止んできてるよ」

「そうやな」

「おにちゃんは何でも知ってるのね」

「いやな。ジャポンでは『夕立』って言うてな、こんなんがしょちゅうあるねん」

「へぇー。ジャポンて不思議な国なのね」

「そうやなぁ。季節も4つあるし。その季節によって色んな事が起こるわ」

「そうなのね。私、どんな所か見てみたいわ」

「そうなん。ジャポンの写真、持ってるで」

「ほんとに。見てみたいわ。ジャポンを」

「ほんなら、シャワーを浴びたら見せたるわ」

「うん。約束ね」

「ええよ」

「じゃ、キスして」

「えっ!」


 なんでキスやねん。そういう風習かぁ?


「キスしてよー」

「わ、分かった」


 僕は後ろからミライの両頬に軽く唇を付ける。


「あれ? 今、なんか聞こえへんかった」

「ええ?」


 耳を澄ましてしてみると、ムスタファやムハマド、アズラにメリエムの声が聞こえる。

 どうやら僕とミライを探しに来てくれたみたいや。


「ミライ。みんなに知らせて」

「うん」


 ミライは立ち上がると、橋の下から出て土手を登って行く。そしてアズラやメリエムの名前を呼ぶ。


 雨はもう小降りになってた。



 つづく

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