252帖 次の日の朝は、

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



「おにちゃん、起きて。朝だよ」


 うむ?


 明るく優しい囁きが聞こえる。


 8月24日の土曜日。

 ベッドの脇で確かにミライの声がしたんやけど、起き上がった時にはもう姿は無い。

 着替えて外に出てみると、皆も屋敷から出てくるとこやった。


「おはよう、キタノ!」

「おはよう」

「穴を見に行こうぜ!」

「おお、そうやったな」


 カレムに言われるまで忘れてたわ。昨晩ミライと大分荒らしたしな、穴はどうなってるやろう。


 穴まで行ってみると既にムハマドが覗いてる。


「キタノ。少し水が溜まってるぞ」

「どれどれ」


 カレムと一緒に覗いてみる。


「本当だね」

「ほらな! 言うた通りや。これはあそこのタンクから溢れた水が土に染み込んでここまで流れてる証拠や」

「へー凄いね」

「そやさかい、ここは果樹園に適してると思うで」

「そうなんだねー」

「よっしゃ。ほんなら、穴、埋めるで」

「うん。シャベルを持ってくるね」


 カレムは倉庫へ走って行く。僕とムハマドで足を使って掘り起こした土を戻す。


「後はやっておきますよ」

「ほんじゃ、よろしく」


 そう言い残して僕は畑に向かうと、ラヒムさんがトラックでカゴを運んで来てくれた。

 待ち受けた子ども達は、おのおのカゴを取ると畑へ収穫に行く。

 カゴを手にしたミライと目が合うと、彼女はニコッと微笑み僕の方へやってくる。


「おにちゃん。一緒にやろう」

「おお、やろやろ」


 昨日までと違ごてめっちゃ明るく、そして活き活きしてる様に見える。トマトの収穫をしてると、遠くの方からアズラとメリエムがこっちを覗いてるんが分かったし、僕が手を振るとアズラがOKサインを出してくる。

 何がOKなんかよう分からんけど、取り敢えず僕からもOKサインを出しといた。


 トマトの収穫中、何度もミライは、


「おにちゃん、おにちゃん」


 と嬉しそうに言うてくる。ある意味ほんまに一人ぼっちで寂しかったんやなと思たけど、そないに何回も言われると恥ずかしくなってくるな。一体この事をみんなは知ってるんやろかと思てミライに聞いてみる。


「ミライ」

「なーに。おにちゃん」


 やっぱり照れるなぁ……。


「うん。僕がミライのお兄ちゃんになったって誰かに言うたんかぁ?」

「えっ! まだ誰にも言ってないよ」

「あっ。そっかぁ」

「だって、それはおにちゃんと私の秘密なのよ」

「ええ、そうなんや」

「そうよ」

「そやけど、そのうちみんなにバレるやろ」

「そうかなぁ」

「仲良くしてたら、バレるで」

「それでもいいよ、私は」


 うーん。どないしたもんやろ。


「まあ、ええか」

「そうだよ。それまでは秘密ね」

「うん、分かった」


 まぁどうでもええか。


 と思てたらハディヤ氏がやって来る。なんかいつもよりニコニコしてるで。


「おはよう」

「おはようございます」

「キタノ。今日の昼から時間を貰ってもいいかね」

「昼からですか。別に構いませんが」

「あと、よろしくね」

「おう」


 ミライは収穫作業を中断し、朝食の準備に向かう。


「なかなか仲が良いじゃないかぁ」

「えっ! そ、そうですか」

「うん。それにミライも明るくなった様だな。いえね、姉のエリフが嫁いでから元気が無かったんだが、最近は大分明るくなったよ。これもキタノのお陰かもしれないな」

「そ、そうですかねー。へへへ」


 愛想笑いをするしか無かったわ。ハディヤ氏もなんか含みの有るような笑いを残して屋敷に戻って行く。


 暫くして満面の笑みを浮かべてゼフラが走って来て、僕の体を捕まえる。


「おはよう」

「おはよう、キタノ。朝ご飯出来たよ」

「分かった。ありがとう。これを運んだら行くね」

「うん。今日は上手に出来たんだからね」

「そっかぁ。楽しみにしとくね」

「うん。早く行こうよう」

「待って。これ運んでからね」

「手伝うよ」


 こんな感じで話してゼフラがカゴを運ぶのを手伝ってくれる。トラックにカゴを乗せると手を引っ張って行かれる。


 食堂に着き、どんだけ上手く出来たか少し楽しみにしてたけど、やっぱり僕の分の卵焼きは少し歪んでる。昨日よりはましやけど、それでも自信たっぷりのゼフラを悲しません為に大げさに褒めてやると、ゼフラは鼻高々に喜んでた。


 食後の勉強時間は、いつもの様に家庭教師をする。ところが今日は、片付けが終わったミライが横に座ってくれて僕の勉強が始まってしもた。

 何を教えてくれたかというと、それは勿論クルド語。挨拶から始まり数字の数え方や基本的な会話まで進んだんやけど、子音の発音が難しくてなかなかミライのOKがでえへん。終いにはゼフラにも仕込まれる様になって、ちゃんと発音が出来へんと怒られてしまう。逆に上手く言えるとこんな小さなゼフラに褒められてしもた。ほんでもなかなか厳しいゼフラ先生やわ。ミライ先生の方がめっちゃ優しい。


 そんな調子で勉強会が終わった後、ミライにチャイを入れて貰ろてのんびりする。

 飲んだ後はまた東の荒れ地に行き、ハミッドさん、ガディエルさんと一緒に開墾を行う。日差しもきつい高い気温の中で働くと、まさに汗が滝の様に流れる。また泉で泳ぎとなってしもたわ。


 昼飯の時にハディヤ氏に、


「飯の後、直ぐに出発するぞ」


 と言われ、昼食後は外へ出て待ってた。


 一体僕を何処へ連れて行こうとしてるんやろう?


 そう思いながら暫く待ってるとハディヤ氏が車に乗ってやってきて、助手席に乗る様に促してくる。直ぐ様、僕は助手席に乗り込むと車は動き出す。


「何処へ行くんですか?」

Duhokドゥホックだ」

「了解です。何度かガディエルさん達と行きました」


 と言うて、ふとミラーを見ると、走って車を追っかけてくるミライの姿が見えた。



 つづく

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