253帖 平和な光景

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



「ミライが追っかけて来てますよ」


 と言うとハディヤ氏は車を止め、追いついたミライはハディヤ氏と何か話してる。話がついたんかミライは後ろに乗り込んで来て、


「おにちゃんと一緒行くの。えへへ」


 と嬉しそうな顔で笑ろてる。


「キタノ。『おにちゃ』とは何だね」

「えーっと、それは……」


 僕が返答に困ってると、ミライがハディヤ氏にクルド語で説明してくれる。ほんでそれが終わるとハディヤ氏は大きく頷き、苦笑いをしながら僕の方を見てくる。ミライはなんと説明したんやろう、ちょっと気不味い雰囲気になってしもたわ。


 車は順調に走り、避難民のキャンプを過ぎてDuhokドゥホックの街に差し掛かかる。さっきまでハディヤ氏と話してたミライが急に静になったと思て後ろを見ると、ミライはぐっすり寝てる。口が半開きの寝顔は少し幼く見えて可愛らしいく、ほんまに妹の様に思えてきたわ。


 街に入ると青果店やショッピングモールへ寄り、その度にハディヤ氏は僕とミライを連れて店に入り、店主に挨拶をしてる。毎日の納品はラヒムさんがやってるけど、ハディヤ氏は誰とでも顔なじみや。

 ハディヤ氏は、なんでか僕を自慢げに紹介してくれ、ほんでどの店主も僕を歓迎してくれて握手やハグをされてしまう。ミライは少しおっかなそうな顔をして僕にぴたっと付いてくる。

 そんなんで6、7軒程の店を回った後、チャイ屋で休憩をした。


「どうだ、キタノ。これが商売の基本だ」


 ハディヤ氏と店主達が何を話してたかは分からんけど僕は適当に話を合わせる。


「なるほど。人やお店との関係は大事ですよね」

「その通りだ。よく分かってるじゃないか」

「えへへ。ほんなら、この後もまた回るんですか?」

「いや、今日はもう終わりだ。明日のバザールの下見だけして帰ろう」

「明日はバザールですか?」

「そうだ、日曜バザールだよ。もう少ししたら羊と山羊を買いたいからね」

「ああ。昔、飼ってたんですよね」

「うむ。牧草地が出来たらまた育てるよ」

「なるほど」


 ハディヤ氏は満足そうな顔をしてる。その後ミライとハディヤ氏が話し込み、ミライは嬉しそうに話をしてる。驚いたり、喜んだり、恥ずかしがったり、真剣な顔をしたりとホンマに活き活きと話をしてる。

 僕はクルド語が分からんかったさかい、笑みを浮かべて聞いてるフリだけしてた。


 その後バザールの下見に行き、既に搬入を終えてる山羊や羊の生産農家と話だけをして帰る事に。そこでミライが嬉しそうにしてたんで聞いてみると、明日はみんなでバザールに買い物に来ることになったらしい。久々の買い物で楽しみにしてるみたい。


 帰りは僕とミライが二人で後ろに乗り、ミライ先生によるクルド語講座をして貰ろた。いや、して貰ろたと言うか強制的やったけど、お陰で少しクルド語が分かる様になったわ。まぁ、この後直ぐに忘れてしもたんやけどね。


 Sarsankサルサンクの屋敷に帰って来てから僕は東の開拓地に出向き、雑草の生え具合を見てみる。毎日、朝昼晩とガディエルさんがぎょうさん水を撒いてくれたお陰もあって雑草の新芽も増えてきたし、少しずつ大きくなってきてる。

 下の果樹園予定地を見てみると、昨日掘った穴より更に50メートル程下の方にムハマドとカレムが穴を掘ってたんで行ってみる。


「また穴を掘ってるんか?」

「うん。今日はこの辺を掘って、ここまで水が来てるか確かめたいんだ」

「おお、それはおもろいなぁ。ほれ、貸してみ。僕も掘るわ」


 カレムからシャベルを受け取り、穴に入って掘り進める。直ぐに汗が流れてきたんやけど、力仕事でかく汗は気持ちええ。ついつい調子に乗って1メートル程掘ってしもて疲れ果てる。最後はムハマドが掘って少し硬い土まで辿り着いた。既に少し水が滲み出てたんで、また明日確認する事にして屋敷に戻る。

 太陽が沈み、少し涼しい風が吹いてきた。


 シャワーを浴びた後、のんびりしてると部屋へミライがやって来て、


「おにちゃん、晩ご飯だよ」


 とクルド語で言うてくる。これ位は分かる様になってきたけど、やっぱり「おにちゃん」ってミライに呼ばれると、身体がムズ痒くなる。


「今から行くわ」


 と英語で返事をするとミライはクルド語で言い直してくれる。そやしクルド語で言うてみたけど、やっぱり発音は難しい。ミライは両肩を上げ、ちょっと難しい顔をしておどけてた。


 食堂に行き、ゼフラの隣に座ると嬉しそうに話し掛けてくる。


「明日ね、みんなでバザールにお買い物に行くんだよ。めっちゃ楽しみー!」


 みたいな事を言うて燥いでる。


「キタノ。明日は一緒にお買い物しようね」

「OK。いいよ」

「やったー!」


 ってな感じでゼフラのテンションは更に高ぶってた。


 食後の団欒も終わると僕は一旦部屋に戻り、ヘッドライトとウインドブレーカーを持って外へ出て、夕方に掘った穴へ行ってみる。思た通り、さっきより気温も下がって風が冷たくなってる。


 今宵はほぼ満月で、月明かりに照らされてる所は少し青白く、影は黒い砂漠の風景。なんとも言えん平和な光景や。少し風も強く吹いきて、涼しいというよりは寒い感じや。


 そんな中をのんびり歩いて行き、穴に着いて覗き込んでみるとヘッドライトで照らすまでもなく、ほんの少し溜まった水が月明かりを反射してる。

 僕は穴の手前に腰掛け、また遠くの砂漠の風景を眺める。


 僕の頭の中では、久しぶりに「月の沙漠」の歌が流れてきた。



 つづく

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