サルサンク

236帖 泉

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 ゲストルームに案内され、荷物を整理しソファーで横になってると窓を叩く音が聞こえきる。

 窓に近づくと、ハディヤ氏の息子達が呼んでる様や。僕はラフな服装に着替えて外へ出てみる。


 中庭には藤棚みたいな緑の天井があって、その下にベンチが並んでる。そこに息子娘達が集まってて、僕を招いてる。男の子が6人。女の子が4人。どうやら珍しい東洋人に興味を持ってる様で、なんとなく緊張してるみたいや。


「こんにちわ。僕は北野です」

「こんにちは。僕はムスタファです。どこから来たのですか?」


 一番大きい青年が聞いてくる。


「僕はジャポンやで」

「ジャポンですか。うーん……、カンフーを知ってますか?」


 ムスタファは、なんかで見たんやろ、カンフーの真似事をしてる。まぁ東洋人と言えばみんなカンフーや空手を出来ると思てるんかな。


「ああ、出来るよ」

「おお、それは凄い。是非、見せて下さい」


 僕は調子に乗ってカンフー映画で見たいろんな型を真似してやってみた。中学校の時からよく真似をして遊んでたんで一連の流れは出来てる。ホンマの人が見たら下手くそで怒られそうやけど、初めて見るクルドの人には相当な腕前に見えたんやろう、みんなあっけに取られて眺めてた。


「これがドラゴン(龍)の拳や」


 とか、


「これがタイガー(虎)の拳や」


 と説明しながらやって見せる。

 更に蟷螂かまきりや鶴や蛇や酔っぱらいやなどとホンマはデタラメやけど、いろんな型をやってみせるとみんな拍手をしてくれた。

 すると小学校中学年位の子が出てきて何かの真似事をしてる。


「それはなんや?」


 と聞いても英語は分からんみたい。


「リー! リー!」


 と言うてたから、


「ブルース=リーか?」


 と聞くと、頷いてる。


「ブルース=リーはこうやで!」


 と「アチョー」と言いながら真似をしたらみんな笑い転げてた。

 これで緊張感が解けたのか、男の子が寄ってきて代わる代わる僕を攻撃してくる。

 それを僕はサラリと受け流し、軽く攻撃をする。ちょっとしか当たってへんのにみな大げさに痛がってる。それを見て女の子達は笑ろてる。

 それでも次から次へと代わる代わる攻撃してくるさかい、汗も出てきて疲れてしもた。


「ごめん。いっぺん休憩や」


 僕はいったんベンチに座る。女の子が僕を見てきたんで笑顔で挨拶をすると、なんかキャーキャー言うてた。

 男の子は僕が休憩してる間も、自分らでカンフーの真似事をやってる。


 庭には大きな木があり、ちょっとした築山の様なものや花壇もある。広場は皆の遊び場なんやろう。


 それを眺めてたら、高校生位の娘さんがチャイを持ってきてくれた。


「ありがとう。僕は北野です」

「いいえ。私はミライです。どうぞ」


 そう言うと恥ずかしそうに向こうのベンチに逃げてしもた。ちょっとくせ毛やけど肌は白く茶色い目は透き通ってて可愛らしい感じの子やった。カンフーをしてる時に何回か目が会うたんで気になってた。


「あなたは何と言う名前ですか」


 と一番年上やと思う子から順番に聞いてみた。


「私はラビアです」

「エシラ」

「私、ゼフラ!」


 一番小さなゼフラはめっちゃ元気が良かった。拍手をすると嬉しそうに駆け出して、男の子に混じってカンフーをやり始める。勿論デタラメ。


 なかなか相手をして貰えへんゼフラは手当たり次第攻撃してる。それを男の子はするっと交わすから、余計にゼフラは必死になって攻撃をしてた。

 それを見て笑ろてると、高校生位のラビアが寄ってきて一人一人の名前を説明してくれる。


「一番大きなのがムスタファね」

「うん。ムスタファは憶えた」

「彼と一緒に遊んでるのがオムル。それで、あそこに居るのがカレムで、その隣がユスフね。ゼフラと遊んでるのがアフメットとムハマドよ」

「ごめん。いっぺんに言われたら憶えられへんわ。また教えてくれるかな」

「いいわよ。いつでも教えてあげる」


 笑顔が素敵なラビア。金髪の長い髪が特徴や。彫りは深くちょっと鋭い青い目をしてる。

 そこへムハマドがやって来た。


「キタノ。スプリングへ行こう。スプリング!」


 と誘ってくる。


 スプリング? バネ、春? 一体なんやろうと思てると、ムハマドがみんなに声を掛けて集めてる。


「さーこっちだ」


 カレムとユスフとアフメットやったかな、僕を手招きして歩いていく。そこへゼフラもやってきて、


「一緒にいきましょ!」


 みたいな声を掛けられた。ムスタファとオムルはベンチに座りに来る。


「ムスタファは行かないのか?」

「はい。僕とオムルはこれから仕事だから行けません。キタノさん、皆と一緒に行ってきて下さい」


 それならと、僕らは6人で、その「スプリング」に向かって敷地を出て上り坂を歩いて行く。


 林の中を進むと川が流れててその上流にダムの様なものが見える。そこまで歩いて行ってびっくり。なんと幅10メートル、長さ20メートル位のプールみたいに周りがコンクリートで固められた溜池になってる。しかも底から無色透明の水がどんどん湧いている様で、溢れた水が川に流れてた。


「ああ、スプリングちゅうのは泉のことか」


 そう思てるとみんなは上半身裸になって泉の中に入って行く。ほんでムハマドを先頭にみんな泳ぎ始めた。

 泳ぎ方は余り上手くないけどムハマドとカレムが反対側まで泳ぎ切る。

 ユスフは犬掻きみたいにちょろちょろ泳いでるだけ。アフメットは怖がって壁伝いに歩いてる。もちろん女の子のゼフラは泳がず、足先だけを泉に付けてた。

 それを見てると、ムハマドが話し掛けてくる。


「キタノは泳げますか?」


 琵琶湖の傍で育った僕が泳げんはずはない。


「勿論、泳げるよ」

「じゃあ、僕と競争しませんか」

「いいよ」


 さっきの泳ぎ方やったら、平泳ぎでも簡単に勝てそうや。


 僕もTシャツを脱ぎ、短パンになって泉に入る。


「ひえー、冷たい!」


 水温はどれぐらいやろ。絶対に20度は無いぞ!


 心臓麻痺で死ぬかと思うぐらい湧き水は冷たく、思ったより深かった。180センチの僕が立ってぎりぎり顎が出る位。

 隣にムハマドとカレムがやって来る。


「準備はいいですか?」

「いいよ」


 ムハマドが合図をすると、ゼフラが何か掛け声を上げた。それと同時にムハマドとカレムが泳ぎだす。それを見て僕も泳ぎ始める。


 途中までムハマドがトップやったけど、僕を振り返った時に水を飲んだんかバシャバシャと暴れてる。それを見ながら余裕で追い抜くと僕が1番でゴールした。続いてカレム、ムハマドの順番やった。


「キタノ、速い!」


 ゼフラもアフメットも僕の勝利を喜んでくれた。ユスフはムハマドを見て大笑いしてる。


 ビリッケツになったんが悔しかったんかムハマドはもう1回やろうと言うてくる。今度は真剣にやると言うてるみたい。


「いいよ。何度でもやったるでー」


 水温に慣れてきたんで今度はコンクリートの壁の上から飛び込む事にする。


「それは何をしてるのですか?」


 とカレムが聞いてくる。


「これは『飛び込み』と言うて、ここからスタートするんや」

「そんな事が出来るんですか? 一度やってみて下さい」

「いいよ。よく見といてや」


 勢いよくジャンプして入水し、そのまま向こう岸まで泳ぎ切った。


 それを見てたムハマドとカレムは泉から出てきて僕を真似して飛び込もうとしてたけど、怖いのか足から入ってる。それでも何回かやってるとそれっぽくなってくる。

 何度もやってるうちにお腹を打ったんか、ムハマドは水から上がってお腹を押さえてた。


「大丈夫か」

「痛いです」

「それは『腹打ち』と言うて失敗や」


 そう言うと悔しがってまた飛び込みに行く。


 その時や。


 ゼフラとユスフが大声を上げてた。


「カレム! カレム!」


 その声の先を見ると、さっき飛び込んだカレムの姿が水中にあった。


 カレムが溺れた!


 僕は泉の傍まで行き、そのまま飛び込んだ。



 つづく

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